北関東ばんがいち

ネットの極地に住む、ダメ大学生が日常と社会を淡々とつづるブログ。ネットで会ったおもろい人紹介アリ

セカンドフェイズ突入か?

2007-12-16 20:30:59 | 社会とかそういうことについて
いやね、長崎のライフル乱射事件についてなんだけど


・・・正直言ってヤバい状況に突入しつつあるんかも知れない。


今まではそういうアレなヒトでも、何とかネットとかでコピペ荒らししたり犯罪予告程度
で済んでいたんだと思うんだよ。でもね、とうとう一線越えたかも知れない。

今までこういう事件は、津山三十人殺しとか極々僅かな例外を除いて、日本ではこれまで
殆どなかったし無差別殺人もどっちかって言えばナイフなど刃物を使ったものが主流で、
銃を使ったケースはほとんどない。
基本的に日本の場合、純粋な大量殺人事件自体大阪教育大池田小事件や、池袋通り魔の
ような例を除けばこういう事件は皆無に近かった。

・・・とうとうアメリカ的な方向での「大量殺人事件」が起こってしまったとみなすべき
なのかもしれない。アメリカは銃大国と言うこともあり、この手の事件が結構よく起きる
けど日本はこれまで殆どなかった。まあ、あえて言えば銃規制の問題なのかもしれない
けど宇都宮の隣人殺人事件で
「結構散弾銃なら簡単に所持できる」
ことが分かった以上事実上ザルみたいなもんだ。

オレはむしろ、殺人に至る経緯を重視したい。この手の大量殺人事件をやらかすのは
社会に怨みを抱いているアレと言うのは相場が決まっているが、アメリカのナニの場合
ある一つの重要な要素が含まれている。それは

「歪んだセックスに対する感情」

だ。とあるアメリカの高校で銃乱射事件を起こした子は、好意を寄せていた女の子に
振られ、その日家に送られてきたオランダ嫁がマホノコトリそっくりで翌日凶行へと
至った。ここまで極端な例でなくとも、性的に潔癖すぎたり、好意を持つ相手と思う
ような関係が結べなかったりした結果銃乱射へと至った例は非常に多い。

更にプラスするならば何らかの人種差別的感情を抱いているケースも多い。
例えばネオナチかぶれだったり、教室の隅でゴミムシ的な扱いを受けていて復讐として
銃乱射へ至ったケースもある。

今回の犯人の場合、人種差別的な背景は今のところ感じられないが、クリスチャンで
殺した相手が若い女性と同級生で子どもが三人いるマイホームパパだったことは充分
注意すべき事だろう。
・・・これは仮定に過ぎないが。犯人が「何故真面目で神を信じる自分が三十路無職で、
神を信じずいい加減なアイツが仕事と嫁を持ち温かい家庭を築いているのだ」と考えて
いたとしても決して不思議ではない。むしろ、オレにとっては自然なことのように
感じられる。

・・・そうそう、アメリカの銃乱射事件の犯人の多くが、熱心な宗教の信者-特にキリスト教
だったことを最後に付け加えておく。

後、残り1。もしくは最後通牒

2007-03-25 11:37:45 | 社会とかそういうことについて
もう正直言って月曜日から研修です。社会人です。
この2+4年間色んなことがありました。

でも、彼らは変わらなかったみたいです。

とりあえず個人的に言ってしまえば、今の会社で十年ぐらい
がんばった後、「彼ら」については「きっちりと処分をする」
ために会社でも作ってみようかなと漠然とした願望は今のところ
抱いてますけれどもどうなるかは分かりません。

「何も出来ない」のが彼らの特徴ですから、何もせず
童貞のままダンボールのメルヒェンハウスで死んでいくのを
放置するのも生き方なのでしょうが、どーしてもそこまでは
割り切れない自分が居るのも事実です。

・・・真面目な話、「彼ら」は充分に使える存在だと私は
考えていますしね。どういう意味なのかは想像にお任せしますが、
職が無くて犯歴がない思想厨なんてまさに・・・ね。
仕事と、適切な給与と分かり合える仲間がいれば簡単にああいうの
なんて誰かの思い通りに操ることなんて容易なことだと私は
思ってますから。

勿論、彼らを「そういう風にする」理由としては、将来のビジョンも
含めてちゃんと考えていますけどね。
ヒントは昔、私がポツポツ言っていた夢のような話や、一体私が何に
入れ込んでいるかで分かることだと思いますから言いませんが。
具体的に言えば、紳士様の理想と、非現実的なサヨクの妄想をまさに
実現させてあげるため、左右に通じた私が出来ること・・・。
これでまあ、分かるでしょうw
たまには私も妄想や夢に浸りたいこともあるんですよ。
まず実現不可能な夢なんですから、ちょっとは楽しんでもいいじゃないですか。
まあ、実際出来るのは独立まででしょうが。

しかし、左翼に関する違和感について結構意図的に喋っていたはずなのに
アレらには通じなかったのがなあ・・・。
むっちょ批判すらこっちではやったぐらいなのにw

今の日本に通じるのは戦前のドイツではなく、大変革時の過去の日本でしか
ないんですよ。はっきり言って紳士様が直接行動に出て秋葉原一揆やったら
私は全力で彼らを褒め称え、そして全力で彼らの生い立ちから全てを仕事を
投げ打って調べ上げ、擁護すると思います。
もし、戦前ドイツと今の日本を繋げたいのであれば、私のように彼らを
人足として集め、洗脳し、共同体意識を植え付け、煽動しない限り
「ありえない」でしょう。それに彼らって基本的に個人主義者なので
本質は堕落したサヨクに過ぎないんですよ。自己実現や自分の権利やらを
振りかざすアレらをまとめ上げることは、私はまず困難だと考えております。
だから上の計画は冗談交じりって言ったんですけどね。

唯一、彼らをまとめ上げることが出来る存在が居るとすれば、それは
恐らく女性でしょう。十代前半から二十代後半までの、処女性と神秘性を
兼ね備えた「非現実的な」「憂国者」の「美しい」女性がいれば
ゼントルメンやコヴァや嫌韓厨を「ナチス」まで持っていくことは
充分出来るでしょうね。これはアレらの性癖も勿論意識してますが、
北朝鮮にあったという反政府組織(一時期ワイドショーでちょっとやってた)や
新左翼の重信房子辺りも意識して言及しています。
ネット街宣団体作っても、所詮オフ会から進化することは困難だと
思っています。特に、伝統的な保守は現実主義者なのでよほど勢力が
大きくならない限りそういう組織にはコミットしないでしょうし、
彼ら自身が作る団体もサークルじみた集合離散を繰り返す傾向があり、
数十人単位からはなかなか大きくなりません。
ここら辺に彼らの限界があるとすれば、ソレを乗り越えるためには
カリスマが必要不可欠でしょう。そしてそのカリスマとしては・・・。
まあ、彼らに好かれる存在でなければいけないのです。

話は変わりますけど、憲法ネタですがまあさんざん言われてることですけど
「条文を一条から読めば強力な立憲君主制」
「条文を最後から読めば穏やかな象徴君主制」
と取れることが一番端的に表してると思いますけどね<大日本帝国憲法

少なくとも、大正期は充分リベラルな運用が可能だったワケですし、
言論弾圧も大戦期以外は「よほどアレなことやらん限り厳重注意」
程度だったのが明らかな以上(小林多喜二は公安をかなり挑発して
ボコられたってのは有名な話だからね・・・。死んだヒトもほとんど
大戦期に集中しているし、原因も殆ど餓死に近いし)今の感覚では
厳しいが当時としては普通程度だったのが真相じゃないんですかね。
まあ、勿論ネットで自由に意見が公表できる我々にとっては大正時代の
日本ですら現在の中共程度の辛い環境でしょうけどね。
まあ、そこら辺をどう取るかにもよるんですけどね。

少なくともむやみに暗黒説を採る左派や、海外からの輸入言説でしか
「保守」を語れない右派よりは私は誠実な態度だと思っていますが。
しかし、やっぱり分からないのが、何故現在の保守言説人は明治から
昭和初期にかけての「右翼」言説を見直さず、海外から言説を持って
来ることでしか「右翼」を語れないのかっていう点だったりするんだ
けどね、私にとっては。

確かにその頃の右翼言説は余りにも粗野でかっこわるいっていうのは
あるかも知れないけど、少なくとも保守雑誌の見出しはそこら辺の
直子であるのは明白なワケだし、日本独自の生活を守るためなら
左派の論理さえ援用するという柔軟な「右翼」の存在はそれなりに
「左派を叩くのが生き甲斐」になってしまった「保守業界」や
ネオコン的右派が優位となってしまった政治の世界ではかなり
見直されても良いと思うんだけどね。

ましてや、戦後民主主義の畸形でしかないアレの類の跋扈を見るだに、
「国士思想」というのをせめてもう一度ちゃんと成立させる必要性が
あるんじゃないかとか結構真剣に思うんですけど。それがかなわない
夢だとしても。

私がブログ始めて足かけ三年で」言ってきた事って、そういうこと
なんですよ。

「推定林間」という悲しみ

2007-02-01 11:43:22 | 社会とかそういうことについて
ああ、この国の「右」というものはどうしようもないほど劣化したのかも
しれないとつくづく兵庫の無職のブログを読むたびに思う。
勿論、この国の「いま、ここ」を肯定して生きざるを得ない弱者としての
自分は心の何処かで「そこまで酷いはずはない」と思っているんだけど。
http://bluelong.exblog.jp/4484509#4484509_1
あえていうけど俗に言われるコヴァ板の三大デムパのうち、一番「ビョーキ」
として深刻なのは推定林間だと思う。ファー様は明らかに家庭環境に問題が
ありまくるのが見え見えだし(実家が生長や統一なんじゃないかなあ、実家が
宗教どっぷりで歪んで育った結果ああなったような気がする)、長野粗大ゴミは
親が家から放り出せばまだどうにかなると思う。
ヤナギサワ大臣だってアレは良くある失言・暴言の類だし、むしろあそこで
問題にすべきなのは背景としてああいう発言を生んでしまう日本の厚生労働
行政そのものなんだけどそこまでいかず簡単に左右の対立軸に飲み込まれて
しまうのがなんともある種の「業」を感じたりするけれど。

さて、林間の「ビョーキ」についてだ。
本人以外殆どのヒトが気づいていると思うけど、林間の持つ言語・思想空間は
とてつもなく奇妙だ。その場その場で保守と革新の言語が無造作にパッチワーク
され、その制御システムとして80年代的な価値相対主義が自覚無く取り入れられ
ている。別に「保守」と「革新」、ウヨサヨのアリスゲームに囚われないことは
決して間違っているわけではない。むしろオレもどっちかっていえばそういう
人間で、人間として「痛い」人間がいれば左右問わず自分の言葉でできるだけ
批判するようにはしている。だが、林間は其の自覚が著しく欠如しているような
気がする。
例えば、丸山真男を「戦後民主主義批判」の言語で批判したと思った数行後に
本居宣長を「政府(幕府)に批判的な文化人」として持ち上げたりすることや、
明治時代を持ち上げるために「江戸時代の絶対的な身分制度」などとぬけぬけと
言ったりする辺り酷く思想的な混乱がありありと把握できる。いや、本人と
してはそれらが「整合性に欠く」ことさえ気づいていないのかも知れない。
だとすれば、とても哀しいことだ。

思想的な一貫性の無さ、と言うのは一般庶民が共有する感覚だとオレは
思っている。だから普通の人は四様フィーバーに熱狂しつつ北朝鮮を批判
したり、吉野家の牛丼喰いながらブッシュをアホ扱いしてこき下ろしたり、
中国産野菜を買わないのに中華料理を食べたりする。ウチの親なんて革命が
起きれば資本主義の犬として首を切られる小役人に過ぎないのに議員の
金の問題にテレビの前で怒ったりする。まあ、オレはあえて突っ込まない
けどね。少なくとも徒労だし、むしろそうやって一貫性がない方が一般人と
しては健全なのかなあとは思ってる。
思想的一貫性を意図的にあいまいにして庶民派ぶるエリートは嫌いだが
誰とはいわんが。どこのマスゴミとはいわんが
明らかに党派性があるのに見せないフリをして金も持ってないフリをして
誤魔化す輩は正直言えば腹が立つ。まだ「衆愚」と言い切って憚らない
保守の方がまだ誠実だと思う。それがまあオレが「いま、ここ」を
少なくとも今日のこの時点では肯定する理由の一つだけど。
それはともかく、その一般人の一貫性の無さが、戦後なんだかんだ言って
自民党の長期政権を維持し、革命が起きなかった大きな理由なのかなとは
思っているけど。
ただ、これでいえば推定林間は立派な庶民に過ぎない。まあ、オレも
所詮春からリーマンだから庶民なんだけど、その庶民に過ぎないはずの
推定林間はまるで周りを「衆愚」のように見なして我が物顔で振る舞える
空間を求めている。
コレはものすごく哀しいことだと思う。

昨日の三島とチャップリンに触れたエントリもそうだろう。
本質的に民主主義を実感できなかった三島と、戦後赤狩りによって国外追放
されたチャップリンには成人男性という共通点以外あるのだろうかw
まあ、三島の作品を「飜馬」を中心とする四部作ぐらいしか読んでない
オレにどうのこうの言われたくないかんしゃく起こすとか言い出すだろうけど
チャップリンの「独裁者」だって、意地の悪い見方をしてしまえば本質的に
ハリウッドの工作映画に過ぎず悪の枢軸とアジった現在アメリカ大統領と
大差はない(多分ウィキ辺りには載ってると思うけど、この後赤狩りで
アメリカ追放になったとき、本人はかなりアメリカという国について
理不尽な国だと思ったらしい。ちょっと記憶はあいまいだけどそんな
文章を目にした記憶がある。むしろこっちのエピソードの方が推定の
主張との整合性は取れると思うのだがどうだろうか)。

元祖氏が言ってたけど、推定林間ってブログ時代の犠牲者なのかも
しれんね。オレみたくブログがチラシの裏だって判ってるわけじゃなくて、
ブログを更新することによって分泌業への道が開かれると本気で
考えていそうな辺り。
思想家や堅い分泌業、あるいは学術研究者になりたいのなら、知識はなくても
しっかりとした「自分の考え方の軸」を持たなきゃいけないのだとオレは
大学行ってしみじみ思い知ったけど、推定林間はまだ判らないらしい。

パパの味

2007-01-21 11:33:13 | 社会とかそういうことについて
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070121-00000302-yom-bus_all

読売新聞によると不二家三分割されるみたいね。で、やっぱりオレが
言ったように森永やヤマザキパンが支援するらしい。

菓子部門(ミルキーとかカントリーマァムとか)→森永製菓
洋菓子部門→山崎製パン
ここまで確定

飲料部門(ネクター)→キリン飲料?

と言うようになるとか。まあ、無難と言えば無難な方法かね。
森永は元々関係深いし、ヤマザキパンから見れば不二家の
ブランド(ケチがついたとはいえ)と技術力と店舗網は
十分魅力的だろうし。そんだけ

自分が嫌いなこと

2007-01-19 16:33:22 | 社会とかそういうことについて
なーんか勘違いして居るみたいだけど、オレはアレが
憎くて何かやってるっていうワケじゃない。
本当に憎ければ意識からも消しますし。オレのアレに
対する率直な感情は「哀れみ」ですかね。正直言えば

オレが嫌いなことは「自分の立場が分かってないヤツ」です。
安全地帯から安全なモノを攻撃して正義漢ぶるのも嫌いです。

つーことでオレが「感情的反米」というモノに対して冷淡に
振る舞う理由が良く判ったね。わかんなきゃもう一度読み返すこと
軍事板でも前に書いたけど脳内をみっちりみちみち陰謀論で
満たした状態で感情的に「天狗の仕業じゃ!」と叫んでいれば
済む時代じゃないんですよ。残念ですけど
そういうヒトに対してはウヨサヨ関係なくオレは「哀れみ」の
感情しか湧いてきません。

オレの推定に対してのレスは基本的に
「自分のありのままを見つめて認めて受け入れてそれから
どうする?」と言う問いかけでしかありません。ファー様に
対しても粗大ゴミに対しても菊地に対しても基本的な
スタンスとしてはそういう風に書いてました。

オレのウヨ厨に対するソレより、サヨ厨に対するソレが手ぬるく
見えるのは、オレからすればサヨのそういうのに対しては
社会的セーフティネットがあるからどうにかなるべと言う
「見切り」があるからに過ぎません。オレの性格的に言えば
そっちの方が実は冷酷なんですけどね。怒られるウチ、叱られる
ウチが華と言いましょうか。

サヨコテに対して馴れ合いでグダグダに持っていくのもそういう
感情の一端が現れていると言って良いでしょう。誰のどの時とは
具体的に言いませんけど、今の日本をワイマールドイツに
見立てる物言いをされたときなんて「ああ、間違っているな」と
心底思いましたもん。更にナチスからネオナチまでみっちり
調べるとますますこの国の現状が当時のドイツとはとてもじゃないけど
似通ってないことが判ったぐらいですし。

アレやらソレやらナニやらを統合することが必要なのに、それに
耐えうる人間が誰一人いない(その場しのぎをするヒンデンブルグ候補は
いることはいるが)、かつ、それをやろうとした人間が次々と
潰れる(大月隆寛なんて一番分かり易い例だと思う、本田透もオレから
見れば候補者だったが政治的運動を拒否した)、あるいは統合する
前にセクト化するか内ゲバを繰り返すかと言う実績が着々と積まれて
いるのに「和製ヒトラー」なんて生まれませんよ。
戦前のアレだって、天皇の本来の使い倒し方を元に軍部やら官僚組織やらが
暴走して結局最後は天皇に丸投げしちゃったようなもんだし(その意味で
中野正剛は正しいと思う)。

まあ、前から言ってるけどオレはこのまんまアレの類はネットという
安全弁の中でテキトーに飼育されて使い捨てられると思ってます。
そこら辺は元祖氏と同じ考え方です。まさかアレを現実に呼び出して
使うなんて言う真似をする「マトモな政治団体」がいるとは
思えませんしね。

推定に対しては金髪好きだのなんだかんだ言ってますけど、
別にそのこと自体が悪いんじゃないですよ。別に金髪が好きでも
ょぅじょが好きでも三次で実行に移さなければ本人の勝手だと
私自身は思っていますし。じゃあなんでとやかく言うのと言えば
コミュニケーションの取り方についてふれたいからなんですよ。
まさか三次でいきなり「ポチは・・・」とか言い出したら間違いなく
周囲からドン引きです。
三年前内紛で辞めたサークルに「M先輩(オレは在日と間違えられて
就職できなかったと本気で言った強者)」と「N君(高崎高校出身の
菊地)」と言うそんな感じのヒトがいましたが(ちなみに内紛後
サークルには二人とも残ったらしい。で、どうしようもないのだけが
今でも活動しているとか)、正直オレでも手に余りました。
金髪美少女ハァハァは極端にしても、アレな政治思想よりはまだヲタトークの
方が救いはあります。政治ネタでも、県知事選とか地元議員のネタなら
まだ救いはあります。そうやってアレな話だけじゃなくて徐々に徐々に
マイルドな話が出来るようにするのが人情ってヤツじゃないでしょうか。
少なくともオレはそう思ってます。まあ、面白いってのもあるけど(ヲイ

基本的にああいうのに対してはオレは哀れみか同情しか向けられないんだけど、
それが悪いのかなあ・・・・。