彼女の歌声を、初めて聴いたのはいつのことだったろう。
あれから、まだそんなに時間は経っていないのだけれど、
今ではもう、すっかり彼女の声に魅了されてしまった。
歌を聴いているだけで、思わず涙が流れてしまいそうに
なることもある。
そう、どことなくはかなげで、そして愁いを含んだ歌声に。
低音から高音まで、ゆるやかに丁寧に歌い上げる。
心の中にある、たくさんの想いをカタチにしながら。
彼女の歌が、好きだ。
ささやくような歌声、そして心に響く旋律、リズム。
そんな全てが、ふとした瞬間に僕の心の琴線に触れる。
清谷莉絵(きよたにりえ)。
関西を中心に活動を続けている、新進のJAZZシンガー。
彼女の歌を聴くといつも、“歌う”ということは想いを
伝えることなんだなぁ、と思ってしまう。
そうなのだ。歌うというよりも、心にささやくように。
丁寧に、愛を持って優しい響きで歌い上げる。
伸びやかに、ゆっくりと粘りを持ったその歌声は、聴く者
すべての心を揺さぶらずにはいられない。
なぜだろう、彼女の歌を聴くとき、いつも雨が降って
いる気がする。
激しい雨と強い風、稲光。
歌い始めるまでは、いつもそうだ。
彼女はそんなことは気にも止めずに、ゆっくりと
歌い始めるのだけれど。
いつもと変わらぬ微笑みを浮かべながら、艶やかに。
歌が始まると同時に、しんと鳴り止む雨音。
雨も風も、そして雷までも、彼女の歌に合わせて
なりを潜めるように、ひっそり静かに時を伺う。
先ほどまでの激しい雷雨が、嘘のように。
そして、後には輝くばかりの陽光、そして虹が街にかかる。
雨上がりの JAZZ シンガー、清谷莉絵。
僕は密かに、彼女のことをそう呼んでいる。
彼女が歌を歌い始めたのは、16歳の頃に起こった
“ある事件”がきっかけだったのだという。
大好きだった恋人との別れ、“大失恋”。
まだ幼く、純粋だった彼女にとって、その痛手はあまり
にも深く、大きく、いつしか自分を保つことが出来なく
なっていたのだという。
苦しくて苦しくて、何も手に付かなかった。
眠れない夜が続き、食事も喉を通らない。
・・そんな時、偶然めぐり逢った一枚のCD。
マル・ウォルドロンの「レフト・アローン」という曲。
聴いた瞬間に、心に染み渡るように響いてきたという。
涙が、止まらなかった。
その時、彼女は思ったのだ。
「私も、こんな風に歌いたい。人の心に響く歌を。」
JAZZには、愛を失った曲や失恋の歌も多いのだけれど、
だからこそ、心の声に耳をすませられる、ぬくもりのある
シンガーになりたい、と。
かつて自分自身の心に、あの曲が響いたように、自分の
歌が“誰か”の心を打つことが出来たらいい。
常にその想いを忘れずに、彼女は今日も歌い続ける。
たくさんの人々の、たくさんの想いをカタチにしながら。
「JAZZとは」と、莉絵さんは言う。
私にとって、“愛しい宝物”のようなもの。
カタチに捉われず、心の中心にずっと在り続けるもの。
離れたくても離れられない、大切な存在。
だからこそ、自分の歌を聴いてくれるたくさんの人に
とっても、私の歌が心の拠り所になればいい。
「そのために、私は歌い続けたいと思うんです。」
聴いているだけで、思わず涙がこぼれてしまいそうに
なるような、心揺さぶる“歌うたい”でいたい。
「何でも器用に歌える人じゃなくて、いつまでも不器用な
JAZZバカでいたいから。」
そう言って莉絵さんは、ニッコリ笑った。
雨上がりのJAZZシンガー、清谷莉絵。
彼女は今日も雨雲を振り払いながら、人々の心の中に
鮮やかな虹を架けていることだろう。
ケルビーノ
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「 清谷莉絵 」 ホームページ
http://rie-kiyotani.com/
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