オレのブログ

ロックとイラストの大好きな、社会の底辺にいるチンケな一青年のブログです。
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ヨーロッパはやはりナショナリズムに抵抗を持っていたようだった

2017-05-08 07:39:15 | 出来事
 フィリピンのドゥテルテ氏にアメリカのトランプ氏と、急進派ナショナリストが政権を握り、マリーヌ・ルペン氏が当選したらナショナリズムが蔓延すると危惧される今日ですが、それも杞憂で終わりみたいです。

敏腕銀行家から大統領に=政界進出から3年で―マクロン氏
05:31

 【パリ時事】「金融界の寵児(ちょうじ)」と呼ばれた敏腕若手銀行家が2014年夏の経済相就任を機に政界で急激に存在感を増し、3年足らずでフランス大統領の座を勝ち取った。「フランスを覆う分断の機運に立ち向かう」と宣言したが、既存政治に失望した有権者の期待に応えられるか。正念場はこれからだ。

 大聖堂と銘菓マカロンで有名な仏北部アミアン生まれ。子ども時代はピアノを習い、高校で演劇部に所属した。大学では詩や哲学の研究に取り組む文学青年の印象が強く、当時の同級生は「政治家になるとは想像できなかった」と振り返る。

 エリート官僚養成校の国立行政学院(ENA)を04年に卒業後、会計検査官として勤務。08年にロスチャイルド系の金融機関に転身した。豊富な人脈を生かし、スイス食品大手ネスレが米製薬大手ファイザーの子会社を買収する90億ユーロ(約1兆1000億円)規模の大型案件を成功させ、金融業界を驚かせた。

 オランド大統領のブレーンである仏経済学者ジャック・アタリ氏の知遇を得て12年にオランド氏の顧問に就任。経済相としては日曜就労拡大などの規制緩和を推進した。労働組合が強い影響力を持つ左派政権の限界に直面し、16年夏に経済相を辞任して大統領選に臨んだ。

 経済相時代の14年11月に訪日し、都内で時事通信の取材に応じた。幅広く経済問題に精通し、専門的な質問にもよどみなく答える姿は、有望な前途を予感させた。

 高校時代に25歳年上の恩師ブリジットさんと恋に落ち、家族の反対を押し切って29歳で結婚。ブリジット夫人との間に子はいないが、夫人と前夫の子3人がマクロン氏と同年代で、血縁のない「孫」が既に7人いる。休暇には夫婦で演劇鑑賞やレストラン通いを楽しむ。39歳


 マクロン氏へのフェイクニュースとかがばら撒かれてルペン氏が大統領になると予想されていたが、結果はマクロン氏が当選し、ルペン氏は敗北し、フランスのナショナリズム化は阻止されました。

 この間のエスターライヒ(オーストリアの事。オーストラリアと間違えるため、当ブログでは現地読みの「エスターライヒ」と呼ばせてもらいます)の選挙でも極右政党の候補が選挙に勝てなかったのですが、ヨーロッパはどうやらナショナリズムに対する拒否感が未だに強いみたいですね。
 その背景にナチスドイツがありますが、ユダヤ人に対する行為があまりにも凄惨で、第二次世界大戦の切欠もドイツにあった為に、ヨーロッパの方々はナチスに対する拒否感が強く、ナショナリズムにとっても不利な環境におかれている訳です。

 ただ、オランド政権も何の効果を与えれなかった事から結局国民の支持を失って大統領職から退く事になったんですよねぇ。
 マクロン氏もこれからが試練です


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