平和の為に何をやれるか、愚行積善備忘録、園田幸二のブログ

人間『死ぬまでの暇潰し』と思ってみても、日本人として、日本文化を愛し、歴史伝統を護りたい。日本の安寧祈願。旅

夏目漱石と熊本

2011-04-26 23:28:17 | 熊本の旅
阿蘇内牧温泉、山王閣、漱石が熊本の第五高等学校(現熊大)の同僚と共に訪れ、二百十日を書いた舞台。
今も現存しているとの事で黒川温泉への途中で立ち寄って観た。

ビックリした事に宿泊客でなくても簡単に無料で見学出来る、
旅館のフロントでお願いすると気安く承諾してくれた。
宿泊した部屋は旅館の庭の離れに有り、2階建ての至って実に簡素な作り、
手入れも行き届いていない、
本当に簡素との言葉がぴったり、
今。ここに泊まれと言われたら、
絶対嫌だぁ~、
夜とか怖いだろうなぁ~。

『ビールは無かですが、恵比寿なら有ります、』
『え!、恵比寿はビールではないの?』
 こんな感じの会話だったかなぁ~
阿蘇の山の中の人はビールの中の銘柄が恵比寿と云う事すら知らなかった時代』

ここで女中さんが運んで来たビールではない恵比寿を飲み、
阿蘇五山を眺めたのだろうなぁ~、この場所に何泊しかたは不明だが15の俳句を残した。

ついでに温泉だけ入らせて頂いた、無色透明、結構熱めの純粋な温泉。
漱石が『純透明な湯』と称した湯!
内牧温泉、山王閣の人達、穏やかでとてもいい感じでした。
有難うございました。

その後、内牧散策、質素だがいい感じ、薬膳料理のお店で昼食、とても野菜の味が濃厚で、美味しい、
町並み穏やか、時間がゆっくり過ぎて行く、
黒川への道のりも車の窓を開け、新鮮な空気が美味しい、体の中を風が吹き抜けてゆく感覚、

考えてみたら、
漱石はこの阿蘇で多くの俳句を残しているし、
漱石は熊本の事を『杜の都』と初めてよんだ人物でも有る。
熊本に5年弱ほど漱石はいた、
『三四郎』の出身高も第五高等学校だし、
『我輩は猫』の書生も五校の生徒で有った。
『草枕』も熊本が舞台だし、熊本と漱石を語ればきりがなく、
漱石と熊本はゆかりが深い筈なのに、熊本には漱石に関するお土産が無い。
(一部、小天温泉の玉名市が漱石が通った温泉として『草枕』云々でやってはいるが、)
何故だぁ~、何故もっと全体でやらないのかなぁ~
何故もっと漱石を出して観光誘致につなげるとか、文化向上につなげないのか?
阿蘇の街々にしても温泉地にしても、
例えば、三四郎ラーメンとか?三四郎オコシ、
草枕団子、温泉水二百十日とか、
我輩は猫のストラップ、
熊本漱石文学賞とか、
いくらでも考えられる、
何故やらないのか?
不思議としか言いようがない。
経済効果は計り知れない埋蔵量なにになぁ~
参考までにネットで出ている漱石と熊本
http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/bungaku/kumabun.html
逆に、
四国の松山行けば、どこもかしこも『坊ちゃん』、『坊ちゃん』、
坊ちゃん団子は小説坊ちゃんの中で道後温泉に入浴の後、近くの評判の団子屋に立ち寄った話が有る。

確かに、だが美味しいとは一言も言っていない、
温泉だけは素晴らしいと言っているが、
それはまあいいとして、
坊ちゃん饅頭、
坊ちゃん煎餅から坊ちゃんを冠したお土産ばかり、
まあ何でもかんでも夏目漱石にあやかり、
地名さえも、伊予鉄道も坊ちゃん列車、
劇場も坊ちゃん劇場、
最近でも球場の名称も『坊ちゃん球場』、
漱石自身松山にいた時期は短い、
但し正岡子規と漱石が仲良くその縁で松山を訪ねているが、

漱石は理由はよくわからないが、
松山の人々を小馬鹿にしている、
小説『坊ちゃん』の中で松山の事、散々悪く書かれているのに、
漱石から小馬鹿にされても、
松山の人々は漱石に強烈な片想いでもしているかのような観が松山の商店街を覆っているように感じられた。

松山の商魂なのか?、
伊予人の寛容なのか?
わからんです。
小説の中でアレだけ小馬鹿に散々な事を言われても怒らない。何故?!?

小馬鹿とは少し失礼な言葉。
漱石の言葉を借りるともっと失礼になる。
適当な言葉を今度、捜そう。
松山尋常中学からすぐに熊本の第五高等学校に赴任して、
いきなり熊本、肥後人の気質が気に入ってしまったのか、
熊本題材の小説でも熊本の人達の事を良いように書いているのは確かな事実。

もう一つ漱石が散々に言っている都市がロンドン、
ロンドンみたいな都市になってはならない、
文明がもたらす不幸を警告してるのですが、
続は今度、
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京都の蕎麦、名店

2011-04-26 23:16:26 | 蕎麦屋
京都料理の伝統と蕎麦が出会って独特の蕎麦が食べれるようになった、京と云えば、饂飩文化の筈だが、最近蕎麦の名店が多い、じん六は是非行ってゆっくり味わって食べて下さい。

じん六、私はこの日は福井産の蕎麦と北海道産の蕎麦を頂きました。
蕎麦に深みが有る、何故だろう、
蕎麦は『三たて』と申しまして、たて蕎麦とは 1、挽きたて(石臼でその日の分だけ製粉) 2、打ちたて(その日の分だけ全て手打) 3、茹でたてが美味しいのが常識、、でもそれはそれが常識だった、と過去形、じん六はその常識を覆し、蕎麦を熟成させる事で旨みを出す。


まあ、それはいずれ説明します。
要は熟成させてるとの事?????
目からうろこ、え~~、です。次回細かく説明します。


住所 京都市北区上賀茂桜井町67
JR京都駅(近鉄「京都駅」、阪急「烏丸駅」)から地下鉄「北山駅」下車
出口4番から北山通りを西へ向かって徒歩5分程です
駐車場有ります

定休日:毎週月曜日・第4火曜日(祝日の場合は翌日)
営業時間:午前十一時四十五分から午後七時まで(暫くの間)
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三浦半島、葉山の『蕎麦屋・恵土』

2011-04-26 21:42:10 | 蕎麦屋
三浦半島で一番高い山が大楠山、標高241メートル。
横須賀側からハイキング~~
大楠山登山入り口から行く、道が判りずらいく難儀。

山を分け入る感じ、

川の橋はよく整備してあり、いい、


大雨の後の為、道がぬかり、土が粘土質の為、滑る、滑る。

葉山カントリー倶楽部の脇を登る。

最後に230段?の階段を上ると、頂上、
約70分の山道。

頂上はいい
東京湾が見え、相模湾が見え、今日は富士山まで綺麗に見えた。

東京湾側は房総半島まで見え、鋸山がしっかり見える。


富士山、頂きが冠雪してるのが目視出来る。


隣の葉山カントリー倶楽部、


帰りは葉山側へ下り、前田川の方向へ、
途中に、天皇皇后様が愛子様誕生時の植樹碑が有る。


山中で発見、デカイキノコ、綺麗、
まるでアールデコ調のランプみたい。
『食べられるかな?』
『いや~~、綺麗で、形も余りにも見事、色合いもいい、こりゃ、毒キノコだわ! (笑)ダケ??』

あとは前田川の清流に出ると、バス停までスグ、
下りは、40分、


あとは葉山の蕎麦屋さん『恵土』
水を2杯、ビールをがっつり、美味い、美味い、

出汁巻き玉子、



ここの蕎麦は美味しい、旨い、 


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会津の蕎麦 自家製蕎麦和田

2011-04-26 21:37:56 | 蕎麦屋

会津の蕎麦屋『和田』は会津地方独特を出してる蕎麦屋さんだわ、

自家の蕎麦畑を持つ蕎麦屋、
10割の蕎麦は、腰が有り、

量も豊富。
麺は東北系の田舎系の蕎麦、
汁は甘め、

場所は会津百虎隊自刃の場所からほど近く、行きか帰りにチョイと寄るのがいい、
東京の蕎麦屋と違い量は豊富、

会津地方独特の蕎麦とは?
田舎蕎麦風、せいろでもチョイと殻の部分を一緒に挽いているのだろう、
少し濃い色、少し太め、

和田は自家製の蕎麦、それもしっかりした栽培と聞いた。

会津に行ったら一度はのれんをくぐり、
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奇跡のわんこ物語

2011-04-05 00:18:28 | 震災復興支援
宮城・気仙沼沖で救助の犬、飼い主と再会
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1558265&media_id=88 3週間も冬の海の上で生存していた事実が凄い、凄すぎる。
いったいどうやって生きていたのだろう、
寒い、食べ物?飲み物?

凄い生命力、救助された時、衰弱もしていなかったとの事??
何食べてたんだあ??

地震直後、津波が早かった、まだ、日没まで時間が有る、
三沢の米軍、自衛隊、すべてのヘリを総動員、スクランブル発進で行かせなかったのか? 30分で岩手沖の現場の海に行けた。
だとするなら、まだ夕方前、漂流物の上に沢山の人が確認出来た筈、

習志野の航空自衛隊、厚木からもどんどん飛ばすべきだった。
厚木からでも1時間半で宮城県沖へ、イケた。
習志野からだともう少し早い、

アホ菅が地震当日の夕方の会見で、『アメリカからも支援したいとの申し出が有った、これから検討して、何を御手伝いして頂くか決めたい。』
なんと暢気な、
津波、即、スクランブル発進願い、各航空自衛隊へも、緊急発進、
山形空港、秋田空港、全然使えていない茨城空港、その他、補給基地として使える校庭などを即確保、燃料・食料もどんどん運ぶ手立て、
横須賀から米軍空母も即出港、海上自衛隊、海上保安庁も総動員命令、
それやってれば、支持率100%
石原だったら、即、米軍に連絡、自衛隊にスクランブル発進しただろう、

3週間目に入って、懸命な捜索の為の大動員、
残念無念、3月11日、三陸沖には何千人の人々、犬猫が海の上で生きていた事は容易に想像出来る。
助けて~~~と叫びながら、寒さで体力を奪われ、眠ってそのまま海の中、
寒い冬の海は経験したもので無いと判らない、
不気味で寒さが半端じゃない、怖い、
、何故、何もしない総理をそのままにしているのか?
本人は恥を知らないのだろうな!
それにしても、そのワンちゃん、ゴン??だったけ?
『おめえ様は偉い、ホンマ偉い、寂しかっただろうな、よく頑張ったね』
それにしてもよかった、ヨカッタ
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