平和の為に何をやれるか、愚行積善備忘録、園田幸二のブログ

人間『死ぬまでの暇潰し』と思ってみても、日本人として、日本文化を愛し、歴史伝統を護りたい。日本の安寧祈願。旅

雲南、日本の原風景

2017-07-11 03:37:29 | 日本人の思想
司馬遼太郎の『雲南のみち』
少数民族のショーケースと言える雲南への旅、

少数民族好きな司馬遼太郎さん、
文面に好感してる雰囲気が出てる。
いい~
この雲南の棚田が日本の棚田の原風景
この稲作がこの雲南から始まり、
日本に辿りついた、

稲作の祖と言うべきこの人々は今でも稲作りに適した河谷に住んでいる。
しかし、このような河谷が必ずしも多くない、
為に、大人口を形成しなかった。
司馬遼太郎さんは
『もし、彼らが大人口を形成していれば漢民族に対抗出来る勢力となったであろう』
と、言っている。

さて、この雲南の稲作文化が長江(揚子江)を下り、
蜀(今の四川省)へ、
そして、下流へどんどん伝わって、
海に出た。

台湾にも伝わっただろうし、
黒潮に乗り、沖縄群島~南九州~土佐~和歌山へと伝わった。

そして、
コレが面白い
ミャオ族(苗族)がその役目を果たしたのではないか?
この苗族
古代より、
剽悍さ、勇猛さその特徴、
戦闘になって、
少数になっても意気盛んな特性
まさしく、
台湾の高砂族、薩摩の隼人、
司馬遼太郎さんは
『古代苗族は薩摩隼人に似ている』
と言った。

地平線の向こうに行くのに、
海図も無く、行くあてすらない?
小舟に籾殻を入れた袋と水、
海に押し出し、黒潮に流され、
進む、
もう、勇猛と言うより、
蛮勇~命知らず、

海の道で古代より日本と繋がっていた
大陸~台湾~沖縄群島~そして九州、

確かに言える事は
この雲南発祥の稲作文化は日本迄来た。
これは事実、
その冒険的に新天地を目指して来たのが
苗族ではないか?
多分、そうなのだろうと推察出来る。


雲南の少数民族の風習が旧い日本の面影を司馬さん見た。
そこに言いしれぬ愛情を持った目で見る司馬さん、
この本は面白い、
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