思いつくままに書くブログ

基本旅行記と日本ハムファイターズの事しか書きません。そして忖度なくものを言う。いいものはいい悪いのは悪いと。

会津若松の超難読神社 蠶養國神社をお参りする

2020-03-15 06:39:15 | 2020年の旅行記(国内)
会津若松行きはE721系の6両編成とたいそう長い。



通常は2両か4両なので会津側へ車両を送り込む運用を兼ねていると思われ、ゆえにガラガラ。こっちとしては嬉しいがね。車掌が来たので青春18に日付を入れてもらったが、車掌の検札スタンプから日付が無くなったのに今頃気づいた。切符にペンで日付を書くから「あれ?」と思ったんだ。



9時40分に会津若松に到着。



予想通り電車はすぐに切り離され、4両が車庫へ引き上げてゆく。2両はワンマン郡山行きとして戻るよう。



それにしても風が強い、雨はなんとか小雨というところ。次の列車まで1時間ほどなのと天気悪いから駅周辺をぶらつきましょうか。そばに神社か寺でもと思ったらありました。徒歩10分ほどです。





蠶養國神社といいます。って読めないよ!!門柱にルビ振っておけばと言いたくなります。読みは「こがいくに」で社格は県社。保食大神や稚産霊大神が祭神というので食べ物の神様ですね。そして名前があらわすように養蚕の神社で、製糸工場から納められたお蚕さん(おしろさま?)の額がいつくか見えました。私がお願いすることはただ一つ、無事にプロ野球が開幕できますように…。もう自粛自粛の社会はうんざりだ。



そして境内には「照宮御誕生記念碑」があるのは興味深い。照宮なんてもう知らない人のほうが多いかもしれない。よほど皇室に詳しい人でないとという気もしますが、昭和天皇と香淳皇后の最初の子供として大正14年12月6日に生まれたことをお祝いしてる碑となります。時代背景がというひともいるでしょうが、大正天皇は病弱で、当時皇太子の昭和天皇が摂政宮を務めていましたから、女の子であったのは残念だったかもしれませんが、子供が生まれたことは国民がこぞって祝福したと思いますよ。いまの皇室ならここまで祝福はされない。その後18歳でのちの東久邇首相の長男である東久邇盛厚と結婚。東京大空襲のさなかに防空壕で初子を生んだという。戦後は皇籍離脱で一般人となったときには生活の苦しさから遠くまで特売を買い物にゆくようになり庶民派であったが35歳でガンで亡くなる。その時は宮内庁病院に入院し、皇后さまの見舞いを毎日受けたという。子供は5人もいてさぞ無念だったと思うが、東久邇盛厚氏は再婚して2人子供を作ったとある。よほどの好き者だな。

その後社務所で御朱印を所望し周辺をぶらぶら。地元の生協を見かけたので入ると地場スーパーは面白いなと思う。納豆コーナーに地場の商品がこれでもかと並び、全国どこにでもあるような商品は隅っこに少しあるだけだ。ついでに旅の友を買うとキャッシュレス還元5%でペイペイが使えた。ちょっと嬉しい、いま住んでいる近所にキャッシュレス還元スーパー無いんだよね。





11時01分発新潟行き〈あがの〉で先へ進みましょう。


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