こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

憂鬱な逃亡・その2

2014年12月25日 01時22分29秒 | おれ流文芸
職場の誰かの家族に不幸があれば、会社からそれなりの弔慰金が出ることになっているが、伯父、甥なら対象にはならない。だから反射的に伯父を殺すはめになった。伯父が知ったら、頭から湯気を出して怒るだろう。殺されても死なないようなゴツイ伯父の顔が、祐介の頭に浮かんだ。
「それはどうも、ご愁傷さまです。はい、専務の方にはちゃんと連絡しときますので」
「よろしく頼んます」
ガチャッと受話器を引っ搔けると同時に、祐介の内部にみるみる解放感が広がった。さっきまでのどんよりした気怠さが嘘みたいにかき消えた。事実、嘘だったに違いなかった。
 祐介の足は自然と、いつもの駅前の喫茶店に向かった。グランド喫茶の肩書通り、店内はかなり広かった。いつもと一時間ぐらいの時差なのに、混み方も客層もガラリと変わっているのが、ちょっとした驚きだった。祐介の指定席は幸運にも空いていた。別の席でも一向に構わないのだが、不思議と落ち着けないのは、前に一度、掟破りのフリーの客に指定席を奪われた時に体験済みだった。祐介は新聞ラックから、朝刊三紙と、スポーツ紙一紙を取り上げてテーブルに着いた。今朝は、ゆっくり新聞が読める。いつもの十分間では、珈琲カップをせわしく口に運びながら、空いている片手でピッピッと性急にめくり、紙面に目を走らせるのが精一杯だった。せいぜい一紙の政治面から社会面、テレビ欄まで走り読みして満足する時間でしかなかった。
「今朝はゆっくりなんですね?」
 顔馴染みのウェートレスがおしぼりと水の入ったグラスをテーブルに置きながら声をかけた。顔馴染みだといっても、私的な会話を、そうしょっちゅうするわけではなかった。今朝のを含めれば、これまで三度ぐらいのものである。
「おはようございます」
 とオーダーを取りに来る彼女に軽く会釈して見せるだけのコミニュケーションが殆どだった。ちょっとふくよかな体型で、スマートには程遠い女の子だったが、祐介は彼女の醸し出す田舎っぽさに好感を持っていた。彼女の底のなさそうな笑顔が、祐介の胸をときめかしさえした。それでも、十分間の逢瀬(?)は、名公的な性格の祐介の持ち時間としては、余りに短かった。
「お休みなんですか?」
 最初の質問にドギマギしているうちに、彼女は更に訊いた。朝のピークタイムが終わった後だけに、ゆっくりした対応だった。
「ええ、まあ」
 祐介はやっと、それだけ答えた。
「いつものでいいですか?」
「はい、お願いします」
 せっかくのコミニュケーションを深めるチャンスがついえ去った。ウェイトレスは笑顔を残してさっさと立ち去った。よく突き出た尻が格好よくスカートに包まれて、右に左に揺れて遠ざかるのに、祐介はしばし見惚れた。珈琲とモーニングセットの皿を彼女が運んで来た時、祐介はスポーツ新聞の大相撲の記事に神経を奪われ、目の前にそれが置かれるまで迂闊にも気付かずにいた。
「ありがとう」
 祐介は消え入りそうな声で慌てて礼をいったが、既に役割を終えた彼女は、こちらに背中を向けていた。遠ざかる魅力的な彼女の尻は、もう祐介とは無関係にリズミカルな揺れをを見せているだけだった。祐介はゆっくりと珈琲を味わい、新聞の隅から隅まで目を通すつもりでいた。それは、毎朝時間に追われ続ける祐介のささやかな願望である。どう考えても時間が自分の自由になるなんて不可能だった。その時間が今はどうにでもしてくれと、祐介に身を任せて来ていた。じっくりと料理すればいいだけだった。祐介は十分もせぬうちに尻が落ち着かなくなった。思惑に反して、どんどん居心地が悪くなるばかりだった。珈琲をじっくりと口に含んで味わおうとしているのに、口に入った珈琲は喉へ直行してしまい、みるみる間に白い肉厚の珈琲カップの中身は底を見せた。珍しくモーニングセットのトーストを平らげるべく手をつけたが、それも時間稼ぎにはならなかった。ゆで玉子すら、あっさりと殻は剥けすぐに胃の腑へ収まってしまった。新聞は、いざ落ち着いて読もうとしても、そう簡単に習慣づいたことは改まらないもので、せっかちにピッピッとめくっているちに、もう興味のある記事はひとつもなくなった。新聞を抛り出すと、椅子の背に身体を押し付けて、落ち着かぬ視線を店内に遊ばせた。また客層が変わっていた。主婦らしい女たちの姿が目立っている。集金袋をテーブルに投げ出したブローカー然とした男が、シーシーと歯を穿っていた。風体の定まらぬ連中もあちこちに見える。階下にあるパチンコ屋の開店を待っているのだ。               (続く)


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