こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

年の瀬バタバタ

2021年12月31日 07時34分42秒 | 日記
家の裏手にあるちいさな畑を、
防除柵でやっと囲み終えた。
わたしの誕生祝いに何がいいと聞く末の娘に、
イノシシ除けのスチールメッシュはどないやと答えたら、
30枚買ってくれた。
作業は2日で終了。
実は家と連なっているので、
源ちゃんのドッグランで併用目的もある。
すこし離れた、
向こうの畑ドッグランへの往復は、
仕事を犠牲にすることが多いので、
急ぎの用事がある時の仮ドッグラン。
完成ですぐ源ちゃんに披露すると、
すぐにダーッと駆けだした。
向こうの畑の三分の一ぐらいだが、
いい感じである。
ただ家の周囲はイノシシの遊技場と化している。
夜中に「ブイブイ」とやる。
果たして源ちゃん、共生はできるかな。
余談だが、源ちゃんは甲斐犬、
猟犬イノシシ犬がルーツらしい。
なんとかなるかな。

深夜、おせちづくりに取り掛かった。
和食は専門外なので、
ネットのサイト便りである。
まずは田作り、
同時に栗きんときのサツマイモをゆでる。
調理を始めると、
もう夢中になる私。
「まだまだ熱いじゃん」と、
妻が娘にしょっちゅう囁いている。
13歳年の差で40年以上の結婚生活。
熱い夫の姿を見せ続けているからかな。(笑)
明日は村役の仕事で、
段取り良くいくかどうか?
とにかくやるっきゃない!
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おおさぶこさぶ

2021年12月30日 03時17分15秒 | 日記
村の世話役になっている、
薬師・今善寺の正月の準備に出向いた。
隣の高峰神社は既に準備済み、
とにかく月に一回のお大師さん月命日と同じに、
参道の掃除と物花の供花で山の頂上まで、
88か所巡りお地蔵さんの石堂を回った。
海抜139mあるとか、
終わると、足がガクガク。
一応正月を迎える用意はできた。
31日は投光器を設置する予定で、
家の年末に関わる暇はなさそうだ。

正月前後は寒くなりそうで、
村役のお勤めも楽ではなさそうだ。
寒いといえば、
最近外で遊ぶ子供の姿は滅多に見なくなった。
遭遇しても、一人か親子連れ、
ボクの子供の頃のように、
村の男の子や女の子が集まって外遊びをすることはなさそうだ。
僕らは冬休みになると、空き地に集まって遊んだものだ。
当時あった「こども会」の顔ぶれが大体揃う場だった。
男の子同士、女の子同士と遊びは違った。
僕らはかえし(メンコのようなものかな?)、ダルメ(ラムネ玉)、釘刺し、
一般的な缶蹴り、押しくらまんじゅう、
あんたがたどこさ……結構いろんな遊びをしていたんだ。(なつかしい!)
北風なんか吹き飛ばしかねない熱気で、
顔を赤く火照らしたみんなは、
えらく真面目に競い合っていたんだと思い返す。

さあ、どんな正月を迎えられるかな。
ちょっと冷えて来たぞ。(ブルッ)
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餅つきペッタン

2021年12月29日 04時02分52秒 | 日記
数年前まで、年も押し迫ったころの、
家族総出の餅つきが、我が家の恒例行事だった。
それがコロナでやれなくなった。
餅つきを引っ張っていた父も、
今年97歳でなくなり、
餅つきはもはや風前の灯状態に。
仕方がなく、ここ数年市販の餅に頼っている。
形も量も統一された規格で使い勝手はいいが、
家でついていた餅の不揃いの丸餅は、
捨てがたい風情があった。
昔ながらの臼と杵で、
「ペッタンペッタン」と突き上げた餅を、
餅粉を広げた台へ移し、
何人かがよってたかって、手で丸めるが、
馴れていないと、いびつな丸い餅になってしまう。
何より、臼で搗きあがった餅を、
手でちぎって小分けする作業が難しい。
それを器用にやってのけたのが父だった。
たかが餅なのに、
年季がものをいう。
幼いころから参加しているが、
子供の役目といったら、
蒸しあがったもち米(おこわ)や、
丸めた餅を頬張ることだった。
あんこやきな粉が用意されて、
なんぼでも食べられるおもち。
もんぺと割烹着姿で手ぬぐいをかぶった母を思い出す。
「腹いっぱい食べな」
忙しく立ち働きながら、
母は子供たちへの優しさを忘れることはなかった。

きのう孫二人を預かったが、
あの子らに餅つきを体験させてやりたいと思ったが、
臼や杵はもうない状態では、
どうしようもない。
マシーンを使った餅つきでは味気ない。
自分の手でで搗き、そして丸める、
あの光景が復活する日を願いたい。
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正月も盆も、ノルマノルマだった

2021年12月28日 04時53分48秒 | 日記
年末になると思い出す、
青年期の試練(?)
19歳で就職。
本を読むのが好きということで選んだのが書店。。
3年後に調理師専門学校へ。
卒業後はレストラン、郊外型飲食店、駅ビル内喫茶店、
喫茶店のマネージャー、独立して喫茶店オーナー、
兄弟の死でふるさとにUターン、
ふるさとでは弁当総菜製造会社へ、
最後にはマックバリューの鮮魚担当に。
なんと人生の大半を調理の世界で過ごしている。
自分で経営する場合を除くと、
各仕事にノルマが多かれ少なかれあった。
書店の場合は婦人誌新年号が、
各50~100冊有無を言わさず課せられた。
20代で内気な男性には気が遠くなる冊数だった。
店頭販売で20冊程度は何とか捌けても、
残る雑誌は自腹で購入。
当時住んでいた狭いアパートでカレンダーが付録の婦人誌を枕元に置いて寝たものだ。
当時発行されていたのは、
主婦の友、婦人倶楽部、主婦と生活、婦人生活で4大婦人雑誌と呼ばれていたっけ。
その4種類が正月だというのに、
独身男性の枕元に並んでいたのだ。(今考えれば異様だな。笑)
他に百科事典、学年雑誌の新学年号などなど結構ノルマのある仕事だった。
調理関係の仕事では、
正月のおせちのノルマがかなりきつかった。
客単価1万から3万のものを、
最低5個だから、とにかく売るしか逃げ道はなかった。
最初は自分で抱え込み、
正月からしばらくおせちを食いつづけたなんてことも。
ほかに節分の丸かじり巻きずし(10本から50本)、
土用の丑のうなぎのかば焼き、弁当にして最低10個……
自分で調理して、自分で消費するという笑い話。
人見知りする性格ながら、
懸命に売ったのは、その仕事が好きだったからに他ならない。
現場で働くのと同時に営業もというのが、つらかったのも本当だ。
考えてみれば、
自分が作ったり扱ったりするものを、
自信をもって売れるのは道理だよな。
それにしてもよく頑張ったと自分を褒めてやりたい。

来年はノルマの影はいっさいない正月を迎えられそうだ。
家族がコロナ禍で商品ノルマのない仕事に転職したせいである。(苦笑)
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忘年会

2021年12月27日 01時35分40秒 | 日記
クリスマスが終わると、
2021年ゴールへまっしぐらである。
いまはこれというやることもなく、
怠惰な日暮らし状態。
ふと忙しかった20代の頃を懐かしく思い出す。
当時、姫路商工会議所の中にある、
レストラン「清交倶楽部」に勤務していた。
12月はクリスマスを挟み、
ロータリクラブ・ライオンズクラブ・JCの、
忘年会を兼ねたクリスマスパーティが連日あり、
何日か泊まり込んでの仕事だった。
オードブル料理に、おでん・ソバなどの屋台など、
仕込みや盛り付けで、
大げさではなく息をつく暇もない状態だった。
その仕事に続いてあった職場の忘年会。
商工会議所の大忘年会にレストラン勢も参加した。
パーティ料理は私たちが用意、セッテイングを終えると、
急いでコック服から私服に着替えての出席だった。
50人以上の出席で、大ホールは熱気に包まれた。
各職場の代表者によるかくし芸のプログラムも。
ふだん調理場で黙々と料理を作っていた私は
先輩コックに誘われて、なんと漫才をやってのけた。
拍手喝采にうれし涙、涙をごまかすのに必死だったっけ。
翌年は「同期の桜」をパフォーマンス付きの大熱唱。
宴会の席では、ふだんたしなみのない酒を、
すすめられるままに飲み過ぎて正気を失った経験も。
最近はコロナもあるが、
あんな大規模な忘年会の話は聞かないなあ。
すこし寂しく感じるのは、年のせいでもあるのかな。
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源ちゃんにクリスマスケーキ

2021年12月26日 02時25分45秒 | 日記
きのうは妻が仕事休み。
この間か取り掛かっている、
新しい年を迎えるための準備である。
大掃除もじっくりと時間をかけている。
4人の子供たちが参加しない分、
慌てず騒がず、
夫婦のペースでやれるから気楽だ。
ところできのうはクリスマス。
珍しく妻がケーキ作り。
それも夫婦二人でいただくものだけではなく、
もう一人(?)の家族、源ちゃんのものも。
ケーキ代は砂糖を使わず、硬めに仕上げ、
ボイルしたささみ、犬用おやつキューブ、
ミニトマト(畑で食いつくした源ちゃんのために)
ゆでたサツマイモなどで飾ったものだ。
なんと完食の源ちゃん。
ただミニトマトだけは食べなかった。
市販のものと畑で育ったものと、
何かが違っていたのだろうか。
しかし、
子供がいなくても、
源ちゃんを引き擦り込んだクリスマスも、
結構いいもんだ。
コロナのせいで、
新年も源ちゃんを入れた家族3人だけで、
迎えることになるかもしれない。
夫婦二人きりより、
楽しいお正月になるのは間違いないだろう。(笑)
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クリスマスがやってきた

2021年12月25日 01時38分07秒 | 日記
クリスマスイブ。
ひとりテレビ画面を眺めている。
画面にはクリスマスを彩るイルミネーションが。
今年もわたしのイブはおひとり様。
しかし長い人生、
おひとりさまはしょっちゅうで、
もう慣れっこ。
独身時代など、
同世代が賑やかに楽しんでいる、
クリスマスパーティを背後に、
カウンターで一人チビチビと呑んでいたものだ。
あの頃もいまもいっしょ。
人間しょせんひとりだと、
自分に言い聞かせるイブである。
深夜ラインに孫のクリスマスシーンの写真が送られてきた。
やっとハッピーなクリスマスがやって来た。(単純。笑)
メリークリスマス~~!イェーイ!!
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クリスマス・イブ

2021年12月24日 03時10分20秒 | 日記
いよいよクリスマスイブ。
この時期になると、
子供4人と迎えたあの日を思い出す。
ケーキを囲み、
笑みが子供たちと、
それを見守り幸せに浸る私と妻。
当時妻はスーパー、私はコック、
職場でノルマだったケーキを、
ひとつづつ持ち帰っていた。
三つのケーキに夢心地の子らの表情といったら。
その晴れやかな笑顔を守る親を演じられた日。
まさに理想の家族が実現した瞬間だった。
そう、人生においてほんの束の間といっていいだろう。
あの日をもう一度と、
願わずにはおれない。

昨日の夕食にタイのあら炊きを作った。
夫婦二人きりの夕食。
妻の希望である。
地元の濃口醤油は旨味は引けを取らないが、
色を出すのが難しい。
ちょっと浅い色にしあげた。
その味は、
皮肉やの妻が何も言わず平らげたから、
まあまあ以上だったんだろうな。(笑)
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源ちゃん連れの日暮らし

2021年12月23日 10時54分48秒 | 日記
畑仕事も、いまや子連れならぬ源ちゃんづれ。
畑の周囲は防護柵をはり巡らしたので、
好き放題に走り回れるのだが、
源ちゃん、少し走り回ったと思ったら、
作業する私の許へ。
掘り返す土の中へ鼻先をクンクン。
足元にじゃれつく、
「相手してよ」とばかりに吠える。
結局作業の手を止めて相手してしまう私。
予定した仕事の半分もできればいい方だ。
そんな時に強い味方が現れた。
4時ごろに下校してくる小学生。
「可愛い」「可愛い」と、
柵越しに相手してくれるようになったのだ。
「ワンちゃん、名前おしえてよ」「ゲンだよ」
以来「源ちゃん、源ちゃん」吠えることもなく、
尾っぽを振って大喜びして見せる。
道草を食わす悪い大人と反省しても、
(もうちょっと相手しといて―な)なんて思ってしまう。(笑)
最近畑に来るのに使っている愛車である軽トラ。
その助手席に源ちゃんを載せてくるのだが、
ちゃんと座ってお行儀がいい。
畑でもそうやって、
私の仕事が終わるまで待っていてくれればいいのだが、
とはいえ時々相手する源ちゃんに、
幸せなひと時を貰っている私。
まあいいかなあなんて、源ちゃんに問いけている。
「クン」源ちゃん小首をかしげて、
また私の心を鷲掴みしてくるから困る。

夕飯はカマメシ風味の炊き込みご飯。
やっぱり自家製野菜をたっぷり使った極旨。
いつもはいっぱいで済ますのが、お替りしてしまった。
そうそう、畑を耕す前に、
この間の霜で枯れてしまったじゃがいもを掘り起こしてみた。
掘ってびっくり、
なんとも見事なジャガイモが育っていた。
この喜びが、
野菜作りの醍醐味なのかも知れないなあ。
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天婦羅

2021年12月22日 02時56分08秒 | 日記
きのうは朝から、
お大師さんの世話役で、
山の頂上までに連なる88か所を巡り、
仏花を供えた。 
「揺るぎ岩」に象徴される畑の山は、
岩があちこちに顔を覗かせている。
中でもかなり大きい岩の中ほどに、
まつられたお地蔵さまが印象的だ。
しかし急な山道を上がり下がりすると、
足がパンパンだ。
子供の頃はへとも思わず駆け巡ったものなのに。

夕食に久々にてんぷらを供した。
エビと竹輪、ブナシメジ以外の野菜は、
わが家の畑で育てたもの。
大根おろしもそうである。
市販野菜にはかなり見劣りしても、
味にそう変わりはない。(そう思うことにしている。笑)
サツマイモだけはそう負けてはいない、
立派なものが収穫できたので、
もみ殻の中にうずめて保存している。
てんぷらにすると、やっぱり美味い!
味噌汁も大根の皮が入っている。

私が用意した天婦羅定食は、
家族も大喜びで完食。
今は子供一人しか残っていないが、
あちこちへ巣立った3人の子供たちと、
その夫や孫を含めた笑顔を、
思い浮かべて料理することが多い。
それが料理の味に、
一層の美味をプラスしていると、
信じて疑わないおじいちゃんである。


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