こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

クローン羊ならぬクローン人間?

2015年01月24日 00時06分09秒 | 文芸
クローン羊ならぬクローン人間?

 八十歳を過ぎてから大病を患った義母。その介護と仕事を、やはりご老体なのに懸命にこなしている義父。夫の生家はすぐ近くなのに、なかなか手助けができずにいる自分がじれったいというか情けないというか……。
 わが家は高校生二人、中学生一人、保育園に通う末娘を抱え、経済的にも時間的にもまったくゆとりのない日々です。夕方から翌朝にかけて働く夫。昼から夕方までパートで働くわたし。空いた時間に夫婦交代で家事、育児をこなすしかないのです。
 少ない睡眠時間を確保しようとすれば、二十年近く続けてきた夫婦の共通の趣味すらあきらめないといけない現状では、どうしようもないのです。もちろん、裏の畑の世話もなかなかはかどりません。
 そんなわたしがいまいちばん欲しいものは、もう一人のわたしと夫。夫の両親とわたしの親のそばでそれぞれ親孝行ができる性能があるなら、ロボットでもクローン人間でも……!ああ、夢のまた夢なんでしょうね。   (平成十三年五月掲載)

お盆のお墓参りで
戦死者の墓に、もう二度と愚かな
戦争は繰り返すまいと誓う

 夫の実家では毎年お盆になると、親兄弟の家族みんなが集まってお墓参りをするのが習わしとなっている。まず墓地の入り口に並んだりっぱな石塔、続いて土饅頭がたくさん競ってある本家の歯か。最後に家の近くにある先祖の石碑群にお参りするのだからたいへんところで、いちばん最初の石塔の銘を呼んでびっくり!英霊を祭る石塔だった。徴兵されて戦地に赴き戦死した村の若者たちだ。いずれも二十代、三十代のあまりにも早すぎる死である。
 いくらりっぱな墓石を建てられても、戦争で散って行った彼らの無念はいかばかりだろうか。
 翌年のお盆から、わたしは戦死者の石塔に手を合わせるたびに、二度と戦争を起こさないようにわたしたちは努力しています。そんあわたしたちをぜひ見守っていてくださいと、胸のうちで語りかけるようになった。
 まだ小さく幼いわが子たちは、そんなわたしをキョトンと見詰めている。この子たちに戦争を体験させまいと、お盆を迎えるたびに固く心に念じている。
(パンプキン平成三年八月掲載)

においの見張り番?

 わが家のにおいの見張り番は夫です。というのも、夫はもともとレストランのコックで、食材が腐っていたりしているのを調理して出したら、もうおおごとです。
 それにガス漏れなんかも命にかかわってきますので、知らず知らずのうちに鼻が敏感になったというのです。
 もうコックをやめてだいぶたちますが、今はその鼻が家族を食中毒やガス漏れの危険から守ってくれていて、感謝感激です。
 ただ困るのは、あの『おなら』。我慢したら体に悪いし……?家族の前だったら音が出ないように慎重にやるんですが、これが夫にはすぐにわかってしまい、
「おい、だれかやったな。あ、おまえや。わしの鼻はだませんで」
 と指をさされ、子どもらの前で恥をかかせられたなんてのはしょっちゅうなのです。
 まあ、おならより命のほうがだいじなんだから、文句なんか言えませんけどねぇ。
(平成五年十二月掲載)


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