はとるのメモ帳

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終わりと始まり:二つのサイボーグ009

2012-12-07 00:04:43 | 映画とかドラマとか音楽とか
小説で刊行された009完結編「2012 009 conclusion GOD'S WAR」。
映像化された序章が2002年、第1巻の刊行が2006年。新たに1巻も含めて全三巻が文庫で刊行されました。

調べたら、009は1964年に始まってるんですね。もう48年前。当然生まれる前

著者石ノ森章太郎がライフワークとして描き続けた物語は、著者の他界により完結することが無いと思われましたが息子の小野寺丈が残された膨大なアイディアメモを纏めることで完結することができました。



読み終えてたのは結構前なんですが、いろいろ考えることがあったので寝かせておきました。

1979年のアニメのオープニング・エンディングが作者の作詞であり、ここにその作品のテーマ性をみることができます。
改造されたことで普通の人間でなくなったサイボーグたちが、なんの報酬も求めずにその人間の生み出した悪と戦い続ける物語。
完結編となる物語はもともと1969年の「天使編」、1970年の「神々との戦い編」との2つの中断を経た3度目の正直でした。

この完結編そのものは「未来の001が人間に警告するために送ったテレパシーを受け取った石ノ森章太郎が漫画を描いた」という設定のメタフィクションであり、漫画との直接の話の繋がりはありません。
複雑な設定をリセットする意味でも、これは上手いやり方だと思います。

完結編3巻の解説に、何故神々と戦わなければならなかったのかが述べられています。
ある意味、衝撃の結末もサイボーグ戦士たちが戦いを終えるためには必要な展開だったのかもしれません。

最後の戦いは凄惨すぎて「ここまでして戦わなければならないのか」と正直、涙が止まりませんでした。
苦しい戦いを終えて、安らぎを得た戦士たち。それはそれでハッピーエンドだと思います。

ただ、このラストには少々、引っかかる気もします
す。

戦う理由である「悪」。それを生み出すのは人間である。悪を滅ぼすことは人間を滅ぼすこと。
でも守るべき対象も人間であり、ここに矛盾がある。
これが完結編を2回挫折した根本の理由だろうという推測もおそらく正しいでしょう。

更生できない人間を滅ぼすことに決めた神。その神の描くシナリオに逆らうサイボーグ戦士たち。
人間の中の「悪」だけを滅ぼすという、この結末。
これは「人間性」を諦めたラストではないのか?
何が正義で何が悪なのか、それを踏まえた上で、人間の素晴らしさを描き切って欲しかった。
そんな気がしました。

これが、本当に石ノ森氏の描きたかったラストなのか?そういう疑問もない訳ではありません。
しかし、それとこれはまた別の話なので、そういった批判をするつもりはありません。

世界の創造をも描いた神話としてサイボーグ009は完結することが出来ました。
作者の石ノ森氏と小野寺氏には、お疲れ様でした。そしてありがとう、と言いたいですね。


そして完結編が刊行されたのと、ほぼ時を同じくして映画「009 RE:CYBORG」が公開されました。
こちらは原作として009が使われてますが、完全オリジナル作品。

キャッチコピーは「終わらせなければ、始まらない」。
ここからこの映画監督の神山健治(脚本も手掛けてる)なりの完結編の解釈と、リスタートを描くものだと思って観に行ったのですが…

序盤で「天使の化石」なるものを発見されたことが描かれ、完結編との関連を暗示させたのですがそこまで。
ストーリーを簡単に言うと、かつてサイボーグ戦士たちの活躍で平和になった世界が、「神」と言えるかも知れない存在によりまた不安定になってしまい、再び戦いの日々を送ることになるまでの話。

つまり、戦う理由づけの話です。だから続編が作られる可能性も十分にあると思います。
完結編を読んでから観たので、何か拍子抜けの展開でした。

これは続編を作って欲しいなぁ。完結編を踏まえて




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1 コメント

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ヨヨヨ・・・ ()
2013-01-15 21:16:01
おろしたばかりのノートPCの画面が映らなくなったのです・・・
買ってから放置してたから初期不良に気がつけなかったのかなぁ、と思いつつ明日にでもサポートに連絡
しょんぼり
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