ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

神さまがくれたタラント

2005-10-18 | 番組ゲストのお話
◆10月号◆相馬 幸恵さん   ミニチュアクラフト作家 埼玉県在住(2005年9月第三週放映)


・救いの証し

 ある時昔のアルバムを見ていると、物心ついた頃の私の写真は、子供なのにどこか暗い表情ばかりのものが多いことに気づきました。
 ごく平凡な家庭に育ったものの、妹が生まれつきの難病で両親が妹にかかりきりだったので、たぶん健康な私はいつも後回しにされていたのでしょう。それが原因かどうかはわかりませんが、私は「自分は愛されていないのではないか、何をしても人に受け入れられないのではないか」と人一倍そのことを気にするようになりました。
 いつも優等生でいること、人より上を目指そうとしていたその動機には、少しでも人に愛されたい、認められたいという思いがあったようです。しかしそれは表だけの優等生、内側ではいつも人の目を気にし、人をねたんだりうらやんだりする良くない自分がいるのを知っていました。
 小学校の卒業式の直前、母が病死しました。父が若い頃教会に行っていましたので、葬儀はキリスト教式でしました。突然母が死んで、それからの私はますます暗い心で日々を過ごすようになりましたが、母の葬儀をきっかけに父と妹と三人で教会に毎週行くようになりました。教会の方々は私たちを温かく迎えてくださり、その交わりはとても心地よいものでした。
 中学一年の秋に、父は今のクリスチャンの母と再婚しました。両親とも私のために陰で祈ってくれていましたが、長い間固く閉ざされた私の心の中は、なかなか人前で開かれることはありませんでした。一人になるたびに私は「どうせ私のことなど誰も愛してくれない」、「私など生きていても、一生懸命やっても何にもならない」と、暗く悲観的なことばかり考えていたのです。良い成績も、親友も、アルバイトで手に入れたお金も、ポッカリと空いたわたしの心の空洞を完全に満たし続けてくれることはありませんでした。
 しかし教会の中学生会、高校生会と進んでいく中、少しずつ両親や周りの人の祈りのお陰で、次第に神様の愛に目が開かれていきました。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43・4)

 信じられないような聖書の言葉でした。この御言葉によって、私はイエス様が私を愛してくださっているがゆえに十字架にかかって死んでくださったことが分かり、高校二年のとき、洗礼を受けました。

 
・ドールハウスとの出会い

 今から約二十年前、会社帰りに本屋で立ち読みをしていて、たまたま手にしたドールハウスの本に感動し、「これ、絶対作ってみたい」と思ったのです。それ以来、家事や子育ての合間をぬって、試行錯誤をして独学で作り続け、数年前には初めて作品展を開くことができました。
 そして昨年末、さいたま市のギャラリーで開いた個展を見たテレビ東京の関係者の方から、「TVチャンピオンの『ドールハウス王選手権』に出てみませんか」という電話があったのです。テレビ収録は苛酷でしたが、家族や教会の方々の祈りが背後にあることを本当に感じました。ホテルでは限られた時間の中で翌日の撮影の準備をしなければならず、最後はほとんど寝ずの三日間でした。眠くなってしまうので、ホテルの個室で、立ったまま声を出して祈りながら製作をしました。神様が助けてくださったのがよくわかりました。



・神さまがくれた宝物

 『TVチャンピオン』での優勝は、「自分の賜物が用いられますように」と祈ってきた私に、神さまが「一歩、踏み出しなさい」と、新しい扉を開いてくださった出来事でした。
 私にとってドールハウスは「神様がくれたタラント」です。これからもミニチュアクラフト作家として歩んで行く中で、「私に与えられている宝はこれです。神さまは一人ひとりに宝物を与えられています」ということをアピールしていきたいと思っています。
 先日は地元の中学校から講演を依頼され、「一人ひとりに与えられている宝物」というテーマで話をすることができました。今の子どもたちは、親の期待や将来の不安から自信を失っている子どもが多いと思います。講演では、「自信のあるなしではなくて、神さまが必ず一人ひとりにすばらしい宝物を与えてくださっているのですから、それを見つけて、もっと磨いて輝かせてごらん」と問いかけてみました。一人ひとりに与えられた宝物が、それぞれ独特な輝きを放つ、その素晴らしさに気づいてもらえるといいな、と私自身の経験から思っています。

 私は幼い時から、自分は人から愛されていないんじゃないか、自分はだめなんじゃないかという劣等感の固まりでした。しかしこのような私をも愛してくださっている神さまに立ち返った時、「前向きに生きる私」に変えられました。今振り返ると、一つひとつの事柄が、神様の御手の中で織りなされた素晴らしい御業であると、心から感じています。