2017.1.5(木)くもり後夜雪
☆うれしかったこと
・プレバト3時間スベシャルをじっくりと見れたこと
・映像の切り取り方、無駄な言葉は使わないプルシャンブルーなど勉強になったこと
暮れに酒屋さんからいただいた世界遺産の写真のカレンダーを見ていたぎーくんは、モヤイ像を見て「怖い」と・・怖いけれど何回も見ていた。
今日はお嫁さんのご両親がぎーくんを迎えに来てくれる日。少し早めに寝せようとおんぶ。おんぶしながら昨日と同じくカメラの画像と動画を見せたら喜んでいた。いつもの曲はかけずにおんぶして10分で寝た(12:45)
迎えは1:45だった。よく寝ていたが「お迎えだよ」とそっと声をかけて抱いて起こした。半分ねぼけたような顔でお父さんに渡した。駐車場までお見送り。外はとっても冷たい強風で寒かった。ぎーくんはチャイルドシートにのせられて手を振って行った。
郵便局で年賀状を3枚投函。らっくりとしたのか、今日は思わず鼻歌が出てしまった。
早めにお風呂に入ってプレバト3時間スペシャルを見ていた。煮魚は10分しか煮るなくていいのねぇ・・10分以上煮るとゼラチンが抜けて、身が硬くなってしまうと・・長い時間煮て味をしみ込ませるのは昔のことで、今は煮しめなくて煮汁だけを煮つめて、あとでからめるだけ。と・・・道理で私の赤魚の煮付けは身が硬くてぼそぼそとしていたわけだ・・・・そんなことも知らない私でした(^^ゞ知らなかったことを知ることができたのでヨシ!としましょう。鯛めしは切り身にして米の上に乗せるのねぇ・・すぐに忘れそうだが・・・
プレバトのCMの時に食器を洗っていた。それで思い出したことがある。子供のころは薪風呂だった。風呂焚きは私の仕事。テレビも見たい!風呂の火も消さないようにしなくては、とCMの間に立って薪をくべに行ったものだった。最近こんな風に昔のことをよく思い出す。他にも綿入れ半纏を着て寒さをしのいだこと。布団を着ているようなものだったので暖かかった。今はエアコンの室内温度を上げて、薄着で過ごしている若者と孫たちを見ると、なんだか違うような気がする。「ヒートテックを着ているから・・暖かいんです」と言うが、これも年をとったせいなんだろうなぁ。
今まで見たことがなかったのですがプレバト一度見てみようとかけてみたのですが
かけたら父にチャンネルを換えられたり私が寝てしまったり誰のかわかりませんが
仮屋崎さんが生け直している場面しか見れませんでした(-_-)
でもほんのちょっといじっただけで変わるものなのですね(^.^)
プレバトの生け花、そうですよねちょっと直しただけで変わるものですね。
この次は見ることができるといいですね(^。^)
コメントありがとうございました。うれしかったです。
私の子供の頃は、井戸から水を汲んでバケツで運んでいました。沸かすのはきちんとした薪ではなく、枯れ枝とか枯れ竹とか。沸くまでには随分時間がかかりました。
その後、蛇口が引かれ・・・その次に灯油バーナーになり、太陽熱温水器も加わり・・・。
今は、ボタン一つでお好みの温度ですからねぇ。
そうでしたかぁ、それは重労働でしたね。薪がなかったのですね。それも大変でしたね。
わが家には松林があってたきつけの松葉があり、叔父が大工だったので薪はふんだんにありました。
大きな薪はなたで割っていました。節があるとなたがささって取れなかったり、うまく割れなくて困ったことを思い出します。
風呂ひとつにしても大きく進化しましたね。便利なのはいいですが・・
コメントありがとうございました。うれしかったです。