花がいっぱい。

どんな花も無心に
咲いているから素敵なんだって。
無心になんかなれないよ。
どれもこれも気になっちゃってるんです

歌舞伎座 建替 ついに発表

2008年10月20日 | 歌舞伎
歌舞伎座の建替えが、ようやく本決まりらしい。
2010年4月の公演が最後になるらしい。

建替え後は、劇場とオフィス棟を併せ持つ複合建物ということを松竹が20日に発表したそうだ。
2009年から1年4か月にわたって「さよなら公演」というのがあるらしい。
そして、新劇場の概要などについては09年1月中旬に発表ということ。
そしてその後、新しい劇場は3年後に開場予定とか。

1889年に創立されて以来120年という歌舞伎座、どんな建物になるのか?
今の建物は、1950年に東京芸大教授、吉田五十八氏の設計による4代目の建物。
1951年1月から歌舞伎の興行が続けられてきた。
今後、オフィス棟がつくのは、時代の流れかもしれないけれど、
今の歌舞伎座のよさは残してほしいものだと願うけれど・・・。
どうなるのかなあ?
ちなみにサイト記事にあったが、今の、歌舞伎座は国の登録文化財だけれど、
文化庁によると、届け出によって解体できるということだそうだ。

松竹では、今後、劇場などでファンにアンケートを行い、人気の演目や配役を「さよなら公演」に反映させていきたいという・・
さあ・・反映してもらえるかどうかわからないけど・・「アンケート」とやらに見たいものじゃんじゃんかかなっくちゃ。
どこにあるんだろ?「アンケート」


桂小米朝改メ 五代目桂米團治襲名披露公演

2008年10月20日 | 古典芸能
『小米朝改め五代目桂米團治の襲名披露公演』が10月4日、京都・南座から始まり19日は新橋演舞場で行われた。
 今年お正月、桂小米朝と柳家花緑の二人会が浅草公会堂で行われ、その時、チケットは購入したものの、他の公演とダブルブッキング。そのためこの落語会には、母に行ってもらったのだが、その時、母が桂小米朝を気に入り、さらに米團治の襲名披露公演があることを聞き、できればその公演に行きたい!と言い、
今回、母と一緒に襲名披露公演へ。

上方落語の大名跡で、さらに師匠で人間国宝の実父・桂米朝が師事した大師匠の名前だ。
今回、行われる襲名公演というのは、上方落語では、珍しく30公演という大規模なものということだ。
その出演には、上方はもちろん、江戸落語のほうからも、沢山の噺家が、名を連ねている。
今回の新橋演舞場は・・

桂 吉弥
春風亭 小朝
桂 ざこば
桂 春團治

 中入

襲名披露口上
柳家 小三治
桂 米團治

というならびで、
襲名披露口上では、中央に米團治
南光の司会で、米朝、ざこば、小朝、小三治、春團治のご挨拶。

まあ、みなさんリラックスな楽しいご挨拶で、何度センターの米團治さんこけることやら・・。

客席にも舞台で見る役者さんを何人か見かけた。

母と二人で・・、みなさんいいけど、小朝さん、小三治さんの江戸落語のほうが、聞きやすいよね。といいつつも米團治さんの落語は、上方でも若いのかな?聞き安いし、話が、忠臣蔵の四段目が入って・・面白いね!!と、小朝さん、小三治さん、米團治さんの落語で大笑いをしていた親子だった。二人で・・歌舞伎も上方より江戸の世話物、荒事がかっこいいよね。と帰り道の落語から広がる話は相変わらず尽きない。

 米團治さんの南座での襲名の時、松竹の方から「いつから米團治ですか?」とたずねられ、朝TVにでてその時、小米朝で、その後南座で米團治もへんだし、「朝から」といったら、「どこの朝ですか?」と更に聞かれ、横にいたさこば師匠から、「ニュージランドでいいじゃないか?」って。世界で一番早く朝を迎えということだったけれど、やはり日本に。そして襲名の初日は京都だったけれど、やはり大阪ということにして、松竹の方が、調べるとその日の大阪の日の出は、朝5時55分だたそうで、それで5代目だったと。語呂がそろったエピソードも混ぜつつ、
米朝師匠の歌舞伎好きは有名だけれど、息子さんの米團治さんも楽しい四段目入りの丁稚の噺(蔵丁稚)だった。


小米朝十番勝負

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落語と私
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