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大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

今日は国際連合デー!

2019年10月24日 | 今日は何の日

10月24日は「国際連合デー」です!

国際連合とは、世界の平和と安全を維持し、平等と民族自決の原則に基づく各国との間の友好関係を発展させるとともに、国際間の経済・社会・文化等の問題を解決するうえでの国際協力を奨励することを目的とする国際平和機構で、総会・安全保障理事会(安保理)・経済社会理事会・信託統治理事会・国際司法裁判所・事務局の6つの主要機関とその下に置かれた付属機関・補助機関から成り、本部はアメリカのニューヨークにあります。
この国際連合は、現在国際社会に存在する国際組織の中では、敵国条項が存在するなど第二次世界大戦の戦勝国の色が強いものの、最も広範・一般的な権限と、普遍性を有する組織です。

1945(昭和20)年の今日(10月24日)、第2次世界大戦の戦勝国であるアメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中華民国などの国際連合憲章への批准により、発効に必要な過半数の批准が得られたため、同年6月26日にサンフランシスコ会議で定められた国連憲章が発効し、アメリカのサンフランシスコで国際連合が正式に発足しました

発足当初の加盟国は51ヵ国でしたが、その後、加盟国は増えていき、最近では2011(平成23)年7月14日に南スーダンが加盟したことにより、現在は193ヵ国が加盟しています。
日本は1956(昭和31)年12月18日に加盟しましたが、80番目でした。


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加古川線 河合西駅!

2019年10月23日 | 

兵庫県小野市新部町字久保田にあるJR西日本の河合西駅は、山陽本線の加古川駅と福知山線の谷川駅とを結んでいる全線単線の加古川線(34.6km)の駅です。
もともとは播州鉄道の旅客駅として1913(大正2)年8月10日に開業しましたが、その後、播丹鉄道を経て国鉄加古川線の駅となりました。

谷川方面に向かって右側に配置された単式ホーム1面1線のみを有する無人駅です。
かつては1940(昭和15)年10月に建てられた木造駅舎がありましたが、加古川線の電化に伴って2004(平成16)年12月に新しい簡易駅舎に建て替えられました。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は311人で、これは起終点駅を除く加古川線の全19駅中11位です。

河合西駅が属する加古川線は、兵庫県の中央部を流れる加古川に沿って山陽本線と福知山線を結んでおり、パークアンドライドの普及とともに、神戸市や大阪市への通勤輸送が増加する一方、地域輸送も担っています。 また、この加古川線は1995(平成7)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の際には、JR神戸線が寸断されたため、東海道・山陽本線(JR神戸線)の迂回路線として非常に重要な役割を果たしました。

  <河合西駅の年表>

 ・1913(大正2)年8月10日:播州鉄道の旅客駅として開業
 ・1923(大正12)年12月21日:播州鉄道が播丹鉄道に譲渡され、同鉄道の駅となる
 ・1940(昭和15)年10月 :木造駅舎が竣工
 ・1943(昭和18)年6月1日:播丹鉄道が国有化されて国鉄加古川線となり、同線の駅となる
 ・1973(昭和48)年10月1日:駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1990(平成2)年6月1日:加古川鉄道部の発足により、その管轄となる
 ・2004(平成16)年12月19日:加古川線電化と同時に新しい簡易駅舎が竣工
 ・2009(平成21)年7月1日:加古川鉄道部の廃止に伴って神戸支社管轄へ変更され、加古川駅の被管理駅となる
 ・2010(平成22)年12月1日:組織改正により、近畿統括本部の管轄に変更される
 ・2013(平成25)年8月1日:駅構内終日全面禁煙化
 ・2016(平成28)年3月26日:IC乗車カード「ICOCA」の利用が可能になる

 
(駅 名 標)

 
(谷川方面を望む)

 

 
(駅舎・ホーム側)

 
(河合西駅駅舎)


 撮影年月日:2015(平成27)年12月29日


長良川鉄道 美並苅安駅!

2019年10月22日 | 

岐阜県郡上市美並町白山にある美並苅安駅は、美濃太田駅と北濃駅とを結んでいる全線単線非電化の長良川鉄道越美南線(72.1km)の駅です。 もともとは国鉄越美南線の一般駅である苅安駅として、1928(昭和3)年5月6日に開業しました。

かつては相対式ホーム2面2線を有していて列車交換も可能でしたが、現在は単式ホーム1面1線のみの簡易委託駅(平日のみ8時30分~17時のみ)です。
開業時に建てられた木造駅舎が今も健在で、かつての事務室は工芸事務所として使われています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は60人で、これは長良川鉄道越美南線の全38駅中16位です。

美並苅安駅が属する長良川鉄道越美南線は、もともとはは日本国有鉄道(国鉄)の路線で、岐阜県と福井県とを結ぶ鉄道(越美線)として建設されました。 しかし、全通は果たせず、福井県側の越美北線は西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継されましたが、岐阜県側は国鉄分割民営化を前に1984(昭和59)年6月22日に第2次特定地方交通線として廃止承認され、1986(昭和61)年12月11日に第三セクターの長良川鉄道に転換されました。

  <美並苅安駅の年表

 ・1828(昭和3)年5月6日:国鉄越美南線の一般駅である苅安駅として開業
 ・1974(昭和49)年10月1日:貨物取扱い廃止
 ・1985(昭和60)年4月1日:駅の無人化(簡易委託)
 ・1986(昭和61)年12月11日:国鉄越美南線が第三セクターの長良川鉄道に転換されたことにより、同鉄道の駅となる。 
 ・1986(昭和61)年12月11日:駅名が美並苅安駅に改称される
 ・2004(平成16)年10月20日:台風23号による土砂災害で美濃市駅~北濃駅間が不通になったことにより、営業休止
 ・2004(平成16)年11月15日:美濃市駅~郡上八幡駅間が運行を再開したことにより、営業再開
 ・2018(平成30)年2月21日:ヤマト運輸と提携の上で、宅急便を列車に積載する貨客混載輸送を関駅~当駅間で開始
 ・2018(平成30)年7月6日:平成30年7月豪雨による土砂災害で美濃市駅~北濃駅間が不通になったことにより、営業休止
 ・2018(平成30)年8月1日:美濃市駅~郡上八幡駅間が運行を再開したことにより、営業再開

 
(駅 名 標)

 
(美濃太田方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(美並苅安駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2008(平成20)年6月1日


和歌山線 御所駅!

2019年10月21日 | 

奈良県御所市にあるJR西日本の御所駅は、和歌山駅と関西本線の王寺駅とを結んでいる全線単線の和歌山線(87.5km)の駅です。
もともとは南和鉄道の一般駅として1896(明治29)年5月10日に開業しましたが、その後、関西鉄道を経て国鉄和歌山線の駅となりました。

かつては単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有していましたが、現在は相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な簡易委託駅です。
1896(明治29)年4月に建てられた古い木造駅舎が下りホーム(五条・橋本方面行きホーム)側にあり、上りホームへは跨線橋で連絡しています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗車人員は1,160人で、これは起終点駅を除く和歌山線の全34駅中15位です。

当駅から西へ歩いて5分程の所に、近鉄御所線の御所駅があります。

御所駅が属する和歌山線は現在、関西本線と接続する王寺駅から高田駅までの間は大阪方面からの直通列車が多く運転されていますが、高田駅~和歌山駅間は線内のみのローカル輸送に徹する形となっています。 また、和歌山線はかつて、東京駅に直通する急行「大和」の寝台車(和歌山線内では普通列車に連結して運転)や、1960年代から1980年代には紀勢本線の白浜方面に直通する急行「しらはま」、その後身の急行「紀ノ川」といった優等列車が運転されていましたが、いずれも国鉄分割民営化までに廃止されてしまい、現在は普通列車・快速列車のみ運転されています。

  <御所駅の年表>

 ・1896(明治29)年5月10日:南和鉄道の一般駅として開業
 ・1904(明治37)年12月9日:南和鉄道が関西鉄道に譲渡され、同鉄道の駅となる
 ・1907(明治40)年10月1日:鉄道国有法により関西鉄道が国有化される
 ・1909(明治42)年10月12日:国鉄線路名称制定により線路名が和歌山線となり、同線の駅となる
 ・1984(昭和59)年2月1日:貨物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1991(平成3)年4月1日:大阪支社の管轄から王寺鉄道部の管轄に変更になる
 ・2002(平成14)年4月1日:駅の簡易委託化
 ・2003(平成15)年10月1日:コンコースの喫煙コーナーを廃止
 ・2017(平成29)年   :御所市が駅西側に駅舎を新設する方針を決定する
 ・2018(平成30)年3月17日:IC乗車カード「ICOCA」の利用が可能になる
 ・2018(平成30)年3月27日:IC乗車カード専用の西口改札が2番のりば(上りホーム)に開設

 
(駅 名 標)

 
(王寺方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(御所駅駅舎)


(駅 舎 内)


 撮影年月日:2013(平成25)年3月29日 


旧国鉄標津線 春別駅!

2019年10月17日 | 

北海道野付郡別海町中春別東町にあった春別駅は、釧網本線の標茶駅から根室標津駅に至る線(69.4km)と中標津駅から根室本線の厚床駅に至る線(47.5km)の2つの線からなっていた全線単線非電化の標津線(116.9km)の一般駅として、1934(昭和9)年10月1日に開業しました。
しかし、標津線が国鉄からJR北海道に移行後の1989(平成元)年4月30日限りで廃止されたことに伴い、春別駅も廃駅となりました。

開業後しばらくは、駅舎側に島式ホームと駅裏に単式ホームを持つ変則的な相対式ホーム2面2線を有していて列車交換も行われていましたが、廃止時には島状の単式ホーム1面1線のみを有する無人駅でした。
開業時に建てられた木造駅舎は、無人駅化後もそのままの姿で廃止時まで解体されずに健在でした。

春別駅が所属する標津線は、根釧原野の開拓に伴う物資や農産物を輸送するためと産業の振興をはかるため、改正鉄道敷設法別表第149号に規定する「根室国厚床付近ヨリ標津ヲ経テ北見国斜里ニ至ル鉄道」の一部並びに第150号「根室国中標津ヨリ釧路国茶ニ至ル鉄道」により建設されましたが、沿線の大部分は原野と農地が占め、この地域で町として成長した地区は中標津など数駅の周辺だけであり、広域的にみれば全国でも有数の人口希薄地域だったので、開業当初から標津線の利用者は限られており、貨物取扱量も1965(昭和40)年をピークに減少に転じました。 そのため、1968(昭和43)年9月1日に国鉄諮問委員会が提出した“赤字83線”の意見書にも名を連ね(当時の営業係数は219)、いくつかの駅を直営駅から業務委託駅に転じさせるなどして経費の圧縮を試みましたが焼け石に水で、年々赤字が増えていきました(1970年の営業係数は405)。 1980(昭和55)年12月27日の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、営業キロが100km以上もあった長大路線であったため地元の自治体が特別な配慮を求めたことや、沿線道路が未整備だったため、冬季の代替輸送に問題があるなどの理由により一時廃止承認が保留されたものの、その後、運輸省(現・国土交通省)の調査結果を受けて1985(昭和60)年8月2日に追加廃止承認されてしまいます。

そして標津線は、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989(平成元)年5月1日に廃止され、これに伴い春別駅も廃駅となりました。

ちなみに、春別駅の跡地には現在、中春別ヘルスパークが設置されています。

  <春別駅の年表>

 ・1934(昭和9)年10月1日:旧国鉄標津線の一般駅として開業
 ・1980(昭和55)年4月30日:貨物取扱い廃止
 ・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
 ・1986(昭和61)年11月1日:駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる
 ・1989(平成元)年5月1日:標津線の廃止に伴って廃駅となる


 
(駅 名 標)

 
(春別駅全景)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(春別駅駅舎) 


 撮影年月日:1989(平成元)年2月23日