大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

旧国鉄名寄本線 下川駅!

2019年09月12日 | 

北海道(上川支庁)上川郡下川町共栄町にあった下川駅は、宗谷本線の名寄駅から石北本線の遠軽駅に至る本線(138.1km)と中湧別駅から湧別駅に至る支線(4.9km)の2つの線からなっていた名寄本線の一般駅として、1919(大正8)年10月20日に開業しました(開業時は名寄線に所属)。
しかし、名寄本線が1898(平成元)年5月1日に廃止されたことに伴い、下川駅も廃駅となりました。

廃止時は相対式ホーム2面2線を有していて、列車交換可能な有人駅で、木造駅舎が下りホームにあり、お互いのホームは構内踏切で連絡していました。
また、かつてこの駅からは1959(昭和34)年まで珊瑠森林鉄道や下川鉱山までの専用線が敷かれ、それらの木材や未精錬鉱石を搬出するために駅舎側のホームの切欠き部分に貨物ホームと貨物積降線を有し、向かい側の相対式ホームの外側にも貨物側線を数本有していました。

下川駅が属していた名寄本線は、1896(明治29)年5月14日に公布された北海道鉄道敷設法の規定により、道央とオホーツク沿岸方面とを結ぶ幹線鉄道として建設され、1921(大正10)年10月5日の全通後は札幌と北見・網走方面を結ぶメインルートとなりましたが、1932(昭和7)年10月1日に石北本線が開通すると、名寄本線は一転してローカル線に転落してしまい、以後はオホーツク沿岸の市町村を淡々と結ぶ生活路線に徹しました。

やがて名寄本線は、1980(昭和55)年12月の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、営業キロが143kmもある長大路線であったため地元の自治体が特別な配慮を求めたことや、沿線道路が未整備だったため、冬季の代替輸送に問題があるなどの理由により1984(昭和59)年6月22日に一時廃止承認が保留されたものの、その後、運輸省の調査結果を受けて1985(昭和60)年8月2日に追加廃止承認されてしまいます。

そして、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989(平成元)年4月30日限りで廃止され、それに伴い下川駅も廃駅となりました。

この下川駅は、1986(昭和61)年11月1日のダイヤ改正まで運行されていた急行「紋別」の停車駅でした。

ちなみに、駅跡地には名寄本線廃止に伴うバス利用者等の利便を図り、交通資料の保存展示、町民の生活文化向上を目的として、下川町バスターミナル合同センターが1991(平成3)年1月に開設されました。

  <下川駅の年表>

 ・1919(大正8)年10月20日:旧国鉄名寄線の一般駅として開業
 ・1921(大正10)年3月25日:線路名が名寄西線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1921(大正10)年10月5日:線路全通により線路名が名寄線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1923(大正12)年11月5日:線路名が名寄本線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1948(昭和23)年6月 :営林局専用の側線を新設する
 ・1949(昭和24)年1月1日:下川鉱山専用の側線を新設する
 ・1950(昭和25)年  :下川鉱山が当駅まで索道設置
 ・1962(昭和37)年  :下川鉱山がトラック輸送に切り替え、索道廃止
 ・1978(昭和53)年12月1日:貨物取扱い廃止
 ・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる
 ・1989(平成元)年5月1日:名寄本線の廃止に伴って廃駅となる 
 ・1991(平成3)年1月 :下川町のバスターミナル合同センターが当駅跡地に完成する

 
(下川駅駅舎・ホーム側)

 
(下川駅駅舎)

 


(硬券入場券)


 撮影年月日:1989(平成元)年3月25日



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