大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

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旧国鉄池北線 勇足駅! 

2019年07月14日 | 

北海道中川郡本別町にあった勇足駅は、根室本線の池田駅と石北本線の北見駅とを結んでいた全長140.0kmの旧国鉄池北線の一般駅として、1910(明治43)年9月22日に開業しました(開業時は網走線に所属)。

かつて勇足駅は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の他に貨物側線も有し列車交換も可能でしたが、その後の貨物・荷物取扱い廃止とそれに続く駅の無人化により、第3セクター転換時には単式ホーム1面1線だけでした。
開業時に建てられた木造駅舎は、無人駅化後もそのままの姿で転換時まで解体されずに残っていましたが、北海道ちほく高原鉄道に転換後の1993(平成5)年11月27日に新しい合築駅舎に建て替えられました。

また、1962(昭和37)年11月10日からは、この駅から南本別駅の裏手にあった大日本製糖(後の北海道糖業)本別製糖所まで専用線が敷かれ、製糖会社自社機による貨物運用も行われていました。 しかし、1984(昭和59)年2月1日の国鉄ダイヤ改正から、国鉄貨物がそれまでの操車場で行われてきたヤード集結型輸送から拠点間輸送に切り替わることによって勇足駅の貨物・荷物取扱いが廃止されることになり、それに伴ってこの専用線も廃止されてしまいます。

勇足駅が属していた池北線は、1980(昭和55)年12月27日の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、営業キロが140kmもあった長大路線であったため地元の自治体が特別な配慮を求めたことや、沿線道路が未整備だったため、冬季の代替輸送に問題があるなどの理由により、1984(昭和59)年6月22日に一時廃止承認が保留されたものの、その後、運輸省(現在の国土交通省)の調査結果を受けて1985(昭和60)年8月2日に追加廃止承認されてしまいます。 しかし、池北線は長大4線(名寄本線・標津線・天北線・池北線)の中では最も営業係数(100円稼ぐのに必要な費用)が低かったことと沿線自治体や住民の熱意により、1988(昭和63)年11月14日の対策協議会において第3セクターとして存続することに決定しました。

そして池北線は、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989(平成元)年6月5日に第3セクターの北海道ちほく高原鉄道に転換されますが、2006(平成18)年4月21日に同鉄道が経営悪化で廃止されたことにより、勇足駅も廃駅となりました。

  <勇足駅の年表>

 ・1910(明治43)年9月22日:旧国鉄網走線の一般駅として開業
 ・1961(昭和36)年4月1日:路線の呼称変更により、池北線の駅となる
 ・1962(昭和37)年11月10日:大日本製糖(後の北海道糖業)本別製糖所までの専用線使用開始
 ・1984(昭和59)年2月1日:貨物・荷物取扱い廃止。 本別製糖所までの専用線廃止
 ・1986(昭和61)年10月29日:駅の交換設備を廃止
 ・    〃    11月1日:駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる
 ・1989(平成元)年6月4日:北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅となる
 ・1993(平成5)年11月27日:駅舎改築
 ・2006(平成18)年4月21日:北海道ちほく高原鉄道が廃止されたことにより廃駅となる

 
(駅名標)

 
(北見方面を望む)

 
(勇足駅駅舎)


 撮影年月日:1988(昭和63)年11月3日 



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