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A Diary

本と音楽についてのメモ

アイリス・マードック『砂の城』

2006-02-22 13:09:10 | イギリスの小説
■アイリス・マードック『砂の城』(栗原行雄訳、集英社文庫1978)

今回の旅行ではこの文庫本、マードックの『砂の城』を持っていった。どうせ飛行機の中では眠れないのだ。だったら、こういうまとまった時間には読書でもするしかない。それに旅先に本を持っていくと、旅行の記憶と読書の記憶が不思議なかたちで融合して、印象に残ることがある。家にあるいくつかの文庫本は、こういう経緯でとくに愛着のあるものだ。一人旅だと、飛行機でも鉄道でもホテルでもずっと一人だし、飛行機を乗り継いだりする待ち時間とかもあるから、むしろ本は必需品ともいえる。今回の旅は一人ではなかったから、往復の飛行機と、ホテルで夜寝る前くらいしか読む機会はなかったが、さすがは往復30時間の長旅。余裕で読み終わってしまった。

この『砂の城』はマードックの長編小説としては第三作目で、1957年に発表されたもの。この一つ後の作品が、代表作『鐘』(1958)である。こういうふうに書きながら思うのだが、「現代小説」と分類されるこれらの作品も、もう半世紀も時間が経過していることに気がつく。そろそろ「クラシック」となるかどうかの、時代の試練を迎える頃かもしれない。

どんなストーリーの作品であるか・・・いつだったか、マードックの『ブラックプリンス』についてもこの場で書いたことがあるが、大まかに言えば、『砂の城』も似たようなストーリーを持っている。つまり、それなりの年齢の(中年の)男性が、二十歳そこそこくらいの若い女性を熱愛してしまう、というパターン。こんなふうに書いてしまうと、なんとも他愛のない話だと思われる危険性があるが、実際には、具体的・現実的な事柄を十分表現しつつ、象徴的・神秘的なイメージが随所に散りばめられ、さすがはマードックの小説、「文学作品」として読み応えがある仕上がり。

現実的なことがらといえば、これは個人的な感想だが、作品中に「フォートナム・アンド・メイソン」が言及されていて、読んでいてにやりとしてしまった。主人公の男性モアは、愛する若き女性画家レインに「フォートナム・アンド・メイソンで食事しましょう」と誘われて、「駆り立てられるような深い喜びに、心がいっぱいになった」。モアはとある学校の教師をしている。妻と一男一女、地味でつつましい暮らしだ。そういうモアが、ロンドンの、それこそ誰もが知る最高級デパートのレストランで、好きな女性レインと一緒に(レインには資産もある)食事をするというのだ。このように嬉しくないはずがない。

ただこれだけのことなら別に言及するまでもないのだが、僕自身も「フォートナム・アンド・メイソン」には何回も出かけたのだ。なので、とても親近感がある。ただし、食事しにではない。たしかここでは、アフタヌーンティーも楽しめるのだが、当然最高級デパートにふさわしい出費が見込まれる。常識的な金銭感覚では行くべきところではない。むしろ、当時の職場が近かったので、時々、プレゼントとかお土産を買いに出かけたのだ。建物の中には「フード・ホール」という食品売場があって、自社ブランドの紅茶やら、ビスケットやら、ジャムやら、あれやこれやが売られている。日本でもフォートナム・アンド・メイソンは知名度があるから、お土産としても好適で、こういう買い物には便利な場所だった。(というか実際、観光客が山のように押し寄せている。)こういうわけで、「フォートナム・アンド・メイソン」という現実のデパートが、この小説を僕にとって身近なものにしてくれている。

一方、神秘的というか、象徴的な表現として、タロットカードが描かれる場面がある。この小説で、モアの娘フェリシティは非常に神秘的というか、一風変わった存在なのだが、彼女はタロットカードを使った「儀式」を行う。そこでは「塔」のカード、「ハングド・マン」のカードなどが出現する。その「儀式」のときは明らかにはならないが、この小説を読み進むうちに、実はそれらのカードがちゃんと未来を、すなわち、その後のストーリー展開を予見していることがわかる。もちろん、これらのカードの意味についてはいろいろな解釈の余地はあるだろうが、たとえば、モアの息子は学校の「塔」に登ろうとする。そして、失敗する。(「塔」のタロットカードは崩れる塔から人が落ちるところが描かれている。)リアリスティックな世界を表現する一方で、こういうちょっと非現実的な、神秘性を帯びた事柄を織り込んでいるところが、マードックの興味深いところのひとつ。

『砂の城』は、いい年をした男性(モア)が、若い女性(レイン)に惹かれてしまう話だと書いた。どうして彼は、社会的体裁にもかかわらず夢中になってしまうのか。その理由をモア自身が考えている場面がある:

「ぼくが彼女自身に求めているものは一体なんなのだろう。彼は今までに何百回となく繰り返してきた問いを、また心につぶやいた。ただたんにこの小さいエキゾチックな女性の所有者になることではなかった。彼はレインの手をかりてまったく新しい人間になりたいのだ。レインが彼の中から引き出してくれた、自由で創造的で、快活で、愛情に満ちた人間のままでいたいのだ。彼女は愚鈍な彼からこうして奇跡を生み出したのだ」(316ページ)

人を好きになるときは、誰でもこういう「奇跡」を期待していないだろうか。僕自身のことを言えば、正直言って、期待していると思う。「奇跡」とまではいかなくても、この人を通して、新しい自分が実現できるのではないだろうか、新しい視野が開けるのではないだろうか、みたいな、無意識の期待感がある。ある種の変身願望かもしれない。というわけで、初めてこの小説を読み、一番印象に残った表現がこの部分だった。

最後に余計なお世話ですが、タロットカードになどぜんぜん興味がなかったのに、ある程度理解できるようになったのは、イタロ・カルヴィーノの小説『宿命の交わる城』のおかげ。文学を楽しみつつ、タロットカードにも接することができて、そういう必要のある人にはおすすめ。またもっと余計なお世話ですが、フォートナム・アンド・メイソンとはこういうブランドです→http://www.fortnumandmason.com/


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