goo blog サービス終了のお知らせ 

A Diary

本と音楽についてのメモ

エッジウェア・ロード

2006-11-03 14:05:21 | 日々のこと
地下鉄ノーザンラインのコリンデイル駅から、10分くらい歩いたところに、オリエンタルシティーという名前の小さなショッピングセンターがある。もともとはヤオハンだったところで、僕が住んでいた頃でも、日本食や、中国・韓国などの「オリエンタル」な食材をいろいろ売っているところだった。日本のイトーヨーカドーとか、ジャスコとかの、面積の広い食品売り場みたいなところ(しかし照明は若干暗め)を想像してもらえればいいと思う。

きっと、どこに住んでも日本食が恋しくなるわけだが、別にわざわざゾーン4のコリンデイルまで行かなくても、ピカデリー界隈でいくらでも買うことができた。それに、僕の職場はピカデリー駅近くだったのだから。それでも、わざわざオリエンタルシティーに行ってみようと思ったのは、どんなところなのだろうという興味と、あと、僕が同じノーザンライン沿いに住んでいて、コリンデイル駅がそれほど遠くなかったせい。

オリエンタルシティーは、エッジウェア・ロードという大きな幹線道路沿いにある。エッジウェア・ロード?・・・どこかで聞いたことのある名前。そう、ロンドンの中心、地下鉄マーブル・アーチ駅のところから北西に伸びている道路と同じ名前だ。マーブル・アーチからこの道をしばらく行くと、その名もエッジウェア・ロード駅という地下鉄の駅にたどり着く。このロンドンの中心部にある道路と、ひなびた郊外にあるオリエンタルシティーのところの道路が同じ名前ということは、もしかするとつながっているのだろうか。・・・そう思って地図を見てみると、途中で何回も名前を変えてはいるが、まさしく同じ道だった。(「A4」という道路名がつけられている。)

日本でも、日光や水戸からは遠く離れているのに、都内に日光街道とか、水戸街道という道路がある。それと同じことなのだろう。エッジウェアというのは、ロンドンの北のはずれの地名。そこに向かう道路だから、エッジウェア・ロードと名付けられたのだろう。しかしそれにしても、この道、地図で見るとやたらにまっすぐだ。他の道路がうねうねと曲がりくねっているのに対して、ひときわ直線的。ロンドンの中心から、北西のはずれのスタンモアのほうに向かって、ピンと伸びている。

ということは、この道路を造ったのは、あの人たちだ。

「ローマ人のつくった道は、現在のローマ市内でも、『コルソ通り』や『リペッタ通り』、ポポロ街道から北に向かって走る『フラミニア街道』を見ればわかるように、地勢が許すかぎり一直線に走っている。アッピア街道に至っては、四十三キロもの距離が、自動車で走っていてもあきれ返るくらいの一直線でつづく」
(塩野七生『すべての道はローマに通ず ローマ人の物語X』より)

ローマ人にとっては、「道とは可能なかぎり早く目的地に着くためのもの」だったから、できるかぎり直線に敷設し、トンネルや橋を建設することで高低差によるロスも防ぐのだった。こういう合理的・実用的発想が古代ローマの人たちの魅力的なところ。

エッジウェア・ロードは、古来「ウォトリング・ストリート(Watling Street)」という名前の旧ローマ街道だった。元々は原住民のケルト人が使っていた道だったようだが、ローマ人がブリタニアを属州として以来、石畳の本格的なローマ街道として整備された。ロンドンの中心からエッジウェアのほうを経て、道はさらに続き、セント・オーバンス(St Albans)を抜け、さらに遠くウェールズのほうまで続いている。

逆に、ロンドンから南西にも街道は続いている。だいたい現在のA2という道路にあたっていて、ドーヴァーのほうに向かっている。「ウォトリング街道を通って行きました」とはどこにも書いてないけれども、チョーサーの『カンタベリー物語』の巡礼の旅は、ロンドンのテムズ川南岸のサザーク(Southwark)からカンタベリーまで、この道をにぎやかにおしゃべりしながら、ゆっくりたどっていったものと考えられている。

* * * * *

イーヴリン・ウォーの『大転落』(あるいは『ポール・ペニフェザーの冒険』)の中で、フィルブリックという学校の執事が、運動会の見物に来たお客さんたちと、なにやら怪しげな話をする場面がある。彼の友達が一人、エッジウェア・ロードで「シナ人」に「喉をグッサリ、耳から耳まで」切りつけられ、殺されたという話。それをたまたま耳にしてしまった子供たちについて、こんな描写が出てくる:

「子供たちはおとなしく走り去ったが、あとで男の子の方が、就寝前のお祈りをしている妹の耳もとで、『グッサリ、耳から耳まで』と囁いたものだから、のちのクラターバック嬢は、晩年になるまで、エッジウェア・ロードに向かうバスを目にすると、軽度のたちくらみを覚えるのであった」
(富山太佳夫訳、『大転落』岩波文庫 p.114)

ここは、ほんとうにウォーらしいユーモアがよく出ているところ。ちょっと極端な表現して笑いを誘うという感じ。ちなみに現在のエッジウェア・ロードは「シナ人」(文学上、そういう表現がしてあるので、このまま書く)が跋扈する恐ろしいところではなく、実はアラブ人街という風情の場所。中近東系のレストランがいっぱいあったりする。マルチレイシャルなロンドンを感じられる界隈。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。