詩はここにある(櫻井洋司の観劇日記)

日々、観た舞台の感想。ときにはエッセイなども。

吉右衛門の富樫 2018年1月

2018-01-21 19:33:41 | 日記
友人のAさんからメールが届きました。

今月歌舞伎座に出掛けられるのが昨日だけだったので駄目元で虎視眈々とチケットweb松竹のサイトを覗いていたら2日程前の深夜に突然戻り券が出たらしく、花道外ですが12列●番という悪くない席が手に入りました。

昨夜は勧進帳の2回目。安倍総理がSP引き連れて来てましたが、白鸚が自慢げに口上で来ていただいてと披露しちゃったのでその後の幕間は写真と握手責めで大変そうでした。幸四郎が長足の進歩でビックリでした。

友人のAさんは初日を観ているので、幸四郎の弁慶の成長ぶりに驚いたとのこと。あの吉右衛門の富樫を相手役に得て、日々成長していけないなら歌舞伎役者としては嘘でしょう。それほど吉右衛門は素晴らしかった。一体何が良かったのか自分なりに整理してみようと思い立ちました。

頼朝と義経。兄弟でありながら頼朝に疎まれ、義経は陸奥へ弁慶らを引き連れ山伏に変装して逃げる最中に富樫が守る安宅の関に到着。さて、どのような展開になるのか。毎年、配役を替えながら上演され続けている歌舞伎屈指の名狂言。物語の展開が変わるはずもなく、誰がどの役をどのように演じるかが興味の対象となる。でも、新幸四郎の弁慶は、白鸚、吉右衛門という立役の頂点に君臨する役者に富樫をつきあってもらえるので幸運の反面、どちらも生半可な演技では吹き飛ばされてしまうことだろう。

『勧進帳』を観るたびに「さても 頼朝、義経 おん仲不和と、ならせ給ふに、より、判官殿主従、作り山伏となり、奥秀衡を頼み、下向ある由、 鎌倉殿、きこしめし及ばれ、 国々へ、かく新関を、立てられ、厳しく、詮議せよとの、厳命によって、それがし、この関を、うけたまわる」の台詞を聞くたびに、白鸚と吉右衛門兄弟が不仲だということを思い出してしまう。そう二人は芸の上ではライバル同士。人気では染五郎時代から白鸚が先行した。ミュージカルでも現代劇でも代表作がいくつもある。吉右衛門は、映像の世界での活躍もあって知名度では負けてはいない。そして吉右衛門は兄をも凌ぐ名優になった。このとおろ何を演じても素晴らしい、記憶に残る舞台をいくつも演じている。

さて、今回の富樫。鎌倉にいる頼朝の命令を第一に考え、冷徹な仕事ぶりであることを「なおも、山伏来たりなば、はかりごとをもって、虜となし、 鎌倉殿の御心を、安んじ、申すべし」の台詞で見事に表現した。不機嫌なのかと思うくらい、吉右衛門が頼朝と一体化したように思えた瞬間もあった。上手に座っているだけなのに、そんな愚直なまでの富樫の「気」が満ちたような本舞台。一方の弁慶一行を観ていると、ひょとしたら関を通ることができないかもと不安な気持ちがわいてきた。もちろん芝居の結末が変わるはずもなく、物語は進んでいくのだが、そんな不安を抱かせるほど吉右衛門の富樫を巨大な壁となって幸四郎の弁慶の前に立ちはだかっていた。

何の遠慮もなく。主役の弁慶が同じクラスの役者なら、少しは手加減するのかもしれないが、情け容赦なく向かってくるのだから、幸四郎はたまったものではない。それでも、弁慶として二重の意味で最大の敵に挑んみ、目に見える成果があがっているというのだから、これほどの襲名へお祝いはないのではないだろうか。

「勧進帳の読み上げ」、「山伏問答」は観客の注意をすべて言葉に向かわせたこと、そしてその意味を考えさせたことが吉右衛門の芸の力だと思った。観客の誰一人として集中力を切らさずに舞台での出来事を見守っていたと思う。だから、安易に拍手などできる雰囲気ではなくなっていた。尾上梅幸の著書に『拍手は幕が下りてから』というのがある。

六代目菊五郎は、梅幸に「途中でお客様の手を叩かすな。幕が下りて”ああ、よかった”とハーッとため息が出るような芸を心掛けよ」と言っていたという。途中で手を叩かれると役を忘れて自分が表面に出てしまう。お客様を最後の最後まで引っ張っておいて、幕が下りた瞬間に割れんばかりの拍手が起こるのが理想。スタンドプレー的な、媚びた芸をすると、その瞬間は、拍手してくださるが、後に、印象に残らない。

吉右衛門の富樫はまさにこれだった。だから、富樫の「気」が残っている舞台では、花道に弁慶がかかっても拍手が起きなかった。最初はイヤホンガイドで拍手はしないものですと解説しているのかと思った。『勧進帳』では珍しいことである。弁慶の飛び六方にあわせて手拍子などという珍現象も起こるわけがなく、近頃の歌舞伎座では最もよい観劇環境だったといってよい。

それは、何よりも吉右衛門の覚悟の賜物なのだと思う。高齢になって身体が10年前のように自由にならない。1回1回の舞台の疲労度も以前より増していることだろう。それでも、70年近い役者人生でようやく掴みかけた歌舞伎の神髄を次世代の役者と観客に伝えなければならないという強い使命感を感じて舞台に立っているのだと思う。亡くなった父親である初代白鸚がそうだったし、歌右衛門、十七代目の勘三郎もそうだった。そうした大先輩の役者の背中を見てきた吉右衛門も、そうあるべきと思っているに違いないのである。

40年前、初めて歌舞伎座で歌舞伎を観た日。仮名手本忠臣蔵の『九段目』が出た。空前絶後の配役で、歌右衛門、当時の幸四郎、勘三郎、芝翫、雀右衛門、延若らが出演した。何しろ初めての歌舞伎である。舞台で起きていることの半分も理解できなかったけれど、歌右衛門はすごい役者だということだけはわかった。玉三郎のように、若くもなく、美しくもない歌右衛門にどうして心惹かれたのか、その答えを見つけるために40年間歌舞伎を観てきたような気がする。

その答えは、いまだに見つからない。役者も観客も40年、50年の年月を経なければ何もわからないということだけはわかった。吉右衛門が覚悟と使命感を持って演じるならば、観客も覚悟と使命感を持つべきではないだろうか。そして演劇評論家のお歴々。役者の名前を変えれば誰にでも通用するような批評を書くな。借り物ではない自分の言葉で語れ。観客も評論家の受け売りのような使い古されたような言葉で語るな。自分で考えて、自分の言葉で語ろう。最近の吉右衛門を観て思う。同時代の誰もが到達したことのない境地に吉右衛門はいる。見逃すな。心に刻め。そうした思いにかられる。観客の心を動かないでおかない役者なのだ。





連獅子・口上 市川團十郎丈・海老蔵丈奉納演舞 成田山開基1070年祭記念大開帳記念

2018-01-20 09:22:22 | 日記
今年は、成田山新勝寺の1080年。10年前はこんな催しがありました。今も橋本猊下がお元気で何よりです。


成田山の大本堂前の広場には、ご開帳に備えて大きな柱が立てられていた。その上の方から本堂のご本尊に向けて糸?が張られ、柱に付けられているリボンに触るとご本尊さまと結ばれているとかなんとか…。でも今日の客席の中央に立っている感じなので後方席の中央ブロックの観客には邪魔だったかも。

 さて舞台は大本堂の前に設けられていて、所作舞台が敷きつめらていた。大階段に山台が作られ、その後方にはガラス越しに本堂内部の照明が薄暗く見える。舞台の左右にイントレが組まれ、照明とスピーカーが置かれ、後方には4層のイントレが左右に、後方のテントには音響調整卓が置かれていた。椅子席はヨコ40、タテ25ぐらで総数は1000席前後だったろうか。座席の周囲にはロープが張られ、その周囲で立ち見ができる。なにしろこの公演は無料なのである。ありがたい。かなりのスポンサーがいたはずだが、山崎事務長が挨拶でちょっとふれた程度で、チラシや看板、プログラムの類が一切ない潔さがよかった。これは観客に向けて演じられる歌舞伎ではなく、あくまで不動明王に向けて演じられるのだと実感する。

 舞台の下手側、階段横が下座になっていて、その横にエンジ色の鳥屋が仮設でできていて、そこから舞台に向かってL字型の花道が作られていた。もちろん定式幕などなく、まったくのオープンステージ形式である。台詞や長唄にはPAがつかわれていた。

 開幕を告げる鐘がつかれ、半鐘?と鐘の音に、市内の無線放送の「夕焼け小焼け」のメロディにカラスの鳴き声なども混じって、野外らしい独特の雰囲気である。最初に成田山新勝寺の山崎事務長が登場して挨拶。なんとも性格がよくて、優しいお人柄が伺われる穏やかなお坊さんで、その話の内容も市川團十郎家と成田山の関係から始まり、最近の活躍、そしてこの催しの後援者への感謝の言葉を述べ、過不足がなく、開幕の言葉としては誠に深い内容でありながら簡潔で感服させられた。

 次に成田市長の挨拶。この人は、千葉ロッテマリーンズのファンで成田後援会の会員でもある。今日の唐川君の活躍を喜んでいるのではないだろうか。昼のお練りの出発式では、拍子木を打っていたが、はっきりいって話は下手。成田のPRを東国原知事にならってといって「伊能歌舞伎米」を宣伝していた。旧大栄町の成田空港に隣接した伊能地区は、300年続く農村歌舞伎がある。純粋な農業の集落で、以前は時代狂言などを披露していたらしい。一時衰退してしまって、村の祭りでサワリを演じるくらいだったものが、ここ十数年のうちに復活したようである。もっとも白浪五人男などを演じるようで、泥臭さはなく少し変質してしまっているのが気になる。でも伊能地区って畑作地帯で米がとれたかしらん?
  
 本堂の両脇には篝火が燃え、まずは口上。裃姿の正装で主に團十郎と海老蔵が、成田山と團十郎家の関係などを述べ開基1070年を祝った。そして10分の休憩。

 開幕になって山台に長唄、お囃子連中が登場して並ぶ。さすがに観客の前を歩いて並ぶので袴は前掛け式のものではなく、本物を着けていた。下座は階段脇にいて観客から見えるのが面白い。

 きっかけで、いつもの狂言師姿で團十郎に続いて海老蔵が登場。二月の親獅子と違い、海老蔵はやはり子獅子が似合うようである。もっとも幼い前髪姿という感じではなく、親獅子と対等というか青年の香気が立ちのぼってくるようで、その気迫に圧倒された。

 もっとも二月のように「ちゃらい」感じでは、到底立ち向かえないような悪条件の会場なのである。気迫で負けていてはダメなのである。成田空港が近く、遠雷のようにジェット音が絶え間なく響く。また観客は歌舞伎慣れしていないのか、成田屋後援会と踊りのオバサマ達の席では反応が違いすぎた。子供や女性まで盛んに声を掛け拍手する後援会側とほとんど拍手のないオバサマ席…。

 カメラのフラッシュはひっきりなしに焚かれ、おしゃべりや携帯電話が鳴ったり、閉ざされた劇場空間とは明らかに雰囲気が違うのである。いつもの海老蔵なら投げてしまっても可笑しくないのだが、さすがに成田山の本堂前なので手は抜いていなかった。視線は遠くの空を見つめ、宇宙まで繋がっているような感覚があるのも野外ならでは。向こうを振り返れば本堂のお不動さまに向かうような感じがして面白い。

 目を見張らせたのは團十郎の大きさと深さで、何やらとてつもない巨大なものに触れた感じで恐ろしいほどだった。特にいくつも試練を役者に課したような舞台だったが、最大の危機にして、最高の奇跡の瞬間が訪れた。

 親獅子が子獅子を谷に蹴落とす試練を与える場面で雨が落ちてきた。役者に観客にも試練であるし緊張感が走る。果たして最後まで無事で終わるのだろうか?傘を差し掛けた人もいたが、椅子席の人々は濡れながら舞台を見つめた。芝居の上の試練と自然が与える試練が重なって、野外での歌舞伎らしい。また芸能の原点を観る思いだった。

 團十郎も海老蔵も少しもあわてることなく、むしろ余計に想いがこもったような気がした。親の想い、子の想い。天が与えたもうた試練、それを越えようとする強い意志。芝居と現実が重なって深い感動を呼んだ。目頭が熱くなる思いで観ていると海老蔵の役者魂に火が点いたようである。その躍動感、挑みかかるような気迫。二月の大阪松竹座の連獅子とは別人のようである。150度は曲がったと思えるような海老蔵の海老反り…。観客を熱狂させて二人は鳥屋に入っていった。

 その頃には不思議と雨は止んで宗論に。日蓮宗と浄土真宗の僧がお不動さまの前で宗論というのも面白いが、宗教の違いで無益な争いを止めよというメッセージなども感じられて興味深かった。踊りの要素よりも台詞で見せていくやり方で、派手さはないがデリケートな問題を品良くまとめた右之助と市蔵は誉めてよい。太鼓と鉦をお互いに言い間違えるという演出で成田山に配慮したのかも。

 かつて橋本貫首猊下にうかがったことがあるが、成田山の考え方は宗教に関して懐が深いようである。何を信じようと最終的な目的とするものは同じなのだとか。山にたとえれば登山道が違うだけということらしい。確かに貫首猊下は、クラシック音楽がお好きで、世界的に著名なピアニストとも交流があったりする方である。バッハの宗教曲を好まれたりもする。いささか俗に思えるような成田山の光景も、多くの人にお不動様を信心して欲しいということであれば納得できる。歌舞伎の舞台では退屈する宗論の部分も別の意味が浮かび上がってきて誠に感動的に思えた。

 獅子の登場は、花道が短いのでどうするのかと思ったら、本堂の階段上に獅子になった二人が登場。長唄の山台の脇を花道に見立てて階段を降りてきた。本堂の黄金の扉に衣裳が映えて劇的な美しさに息を呑む。篝火に照らされた二人の獅子はこの世のものとも思えない神々しさだった。

 ここでも海老蔵が圧倒的な迫力で爆発。劇場で同じ事をしたなら過剰すぎて顰蹙を買うかもしれないが、野外では全く気にならずに、気迫に圧倒され続けた。毛振りは湿っている状態では気の毒で、多少もたついた部分もあったが、これまた海老蔵が超高速で回して驚かせた。いつものように決まって終わりになると、幕が閉まらないので、二人は再び階段を上がって階段上で二人が出会い、そのまま本堂の奧へ…。まるで獅子がお詣りしているように思えて嬉しがらせた。そして本堂下手奧に引っ込んでめでたくお開きとなった。

 そしたらまた雨が…。恐るべし成田屋パワー!けっこう本格的な雨であった。気力体力ともに充実している時期に二人の連獅子を観ることができて幸福な夜だった。帰りの参道に明かりが点いている店は、ことごとく外国のエアラインクルー御用達の店ばかりであった。何時の間にこんなに外国人向けのパブやらクラブやらが増えていたんだろう。観客に外国人の数は数えるほど、もったいなかったなあ。

初春歌舞伎公演 Aプロ 『天竺徳兵衛韓噺』『寿初春 口上』『鎌倉八幡宮静の法楽舞』2018年1月6日

2018-01-20 08:46:45 | 日記
昼の部、夜の部ではなく、今回はAプロ、Bプロ。海老蔵だからA、Bなんだとか。チケットも早々に完売したとかで、海老蔵の興行価値は高いようだ。これからも単独での本公演が続くのだろう。本当は、幸四郎みたいに吉右衛門に鍛え上げられる機会が必要に思う。團十郎さえいてくれたらなあとも思う。

『天竺徳兵衛』は、病気から回復した獅童が主演の演目。前半は、娯楽作に徹した作りで僅かな時間で病気が癒えたことや長男誕生なども織り込んだ異国話、妖術渡し、蝦蟇の立ち回り、飛び六方と見所満載。獅童の古風なマスクが生きた。芝居のコクは望むべくもないが、そういうのは、他の劇場に任せたという姿勢が潔いよいのかもしれない。

『天竺徳兵衛韓噺』後半は座頭になって木琴の演奏やら葛籠を背負っての宙乗り、立ち回りもあって盛り沢山の内容だけれど、畳み掛けていくようなスピード感に乏しいので盛り上がりに欠けたのが残念。海老蔵も登場しての幕切れは古風な風貌が活かされ時代に決まっていた。全体に軽い味わいなのは経験を積んで克服しかないだろうな。

『寿初春口上』海老蔵が「巻触れ」といって巻物に書かれた狂言名題を読み上げる所作。これを観ると一年間、無病息災に過ごせるという「にらみ」を見せる10分ほどの演目。昨年最愛の人を亡くして、本来ならば寂しい正月のはずなのに「おめでとうございまする」とは何とも気の毒に思えた。

『鎌倉八幡宮静の法楽舞』全演目に出演だけれど、ようやく海老蔵が本格的に登場。新歌舞伎十八番というものの明治18年以来ということでほぼ新作。河東節、常磐津、清元、竹本、長唄に箏曲が一度に舞台へ。七役を替わるが化生となって大暴れに迫力があり、やっぱり荒事の人かと納得した。もっと練り上げが必要。

シス・カンパニー公演『近松心中物語』 2018年1月14日 新国立劇場中劇場

2018-01-13 22:42:29 | 日記
新劇の作家だった秋元松代。今ではすっかりミュージカル専門劇場なってしまった帝国劇場で舞台が全部階段という意表を突く舞台装置で観客の度肝をぬいた『ハムレット』を演出した蜷川幸雄。
その二人が顔を合わせてできた『近松心中物語』。

1979年2月の帝国劇場初演から2004年3月の日生劇場まで東京での上演は全て観た。2004年版は演出が異なった新演出だったので2001年3月の明治座が原演出としては最後だったけれど。

一番強烈な印象を残したのは、初演の平幹二朗と太地 喜和子だった。平幹二朗の台詞を格調高く謳い上げる見事な朗唱術。決して美人ではないけれど、色気があって可愛い女を演じさせたら天下一品。豪放磊落、天真爛漫、恋多き女優、厚ぼったさがあって歌舞伎の女形もいけそうな女優だった。ある意味、対照的な二人だったけれど、見事な舞台を作り出した。

暗闇の中にスポットライトで辻村ジュサブローの遣う梅川の人形が現れて、森進一の歌が流れ、一転して明るくなると舞台を埋め尽くすほどの群衆がひしめきあう廓でのお祭り騒ぎ。そこへ客席通路を通って花魁道中。お大尽が小判を巻いたりと冒頭の場面は見事な展開。

群衆の中には異形な人が紛れこんでいたり、メインの芝居の後ろで紗幕越しにリアルな生活が演じられていたり、細部までこだわり抜かれた演出がされていた。舞台装置には大量の赤い彼岸花が自生?していたり、本水のプールとか、公演を重ねごとに降る量が増えていき、最終的には客席にも積もるほどの大量の雪とか、ケレン味もタップリの演出だった。

今回は3部作の『元禄港歌』に続いての再演となったが、演出は劇団☆新感線のいのうえひでのり。生前に蜷川幸雄に託されていたという触れ込み。流石にヘビメタは流せないし、ギャグはともかく、アクションシーンもないし、どうなるのだろうと期待半分、心配半分だった。

新国立劇場中劇場の奥行のある舞台と回り舞台を駆使し、大量の赤い風車がつけられた舞台装置を移動させての大スペクタクル。まあ、赤い風車で彼岸花を越えようとしたのだろうけれど、水子地蔵に飾られている風車みたいだった。移動も目まぐるしいし、舞台転換の度に客席に向かって目くらましのスポットライトが放たれるのも落ち着かない。

安易としか思えないギャグの数々は笑えないし、古臭いし。冒頭のダンスシーンは温くて恥ずかしくていたたまれない感じだった。結局は蜷川幸雄を乗り越えられるはずもなく、退屈で刹那的な白けた笑いだけが残る舞台だった。

出演者の台詞を聞き取るのも難しく、ミュージカル並みにピンマイクを全員が使えば良かったのに。俳優としての基礎ができていない、着物の着方がぎこちない。安心してみていられるのは歌舞伎の市川猿弥だけだったというお粗末さ。

原演出のあの燃え上がるような恋はとうとう最後まで立ち上ってこなくて残念な出来。

『近松心中物語』前半。回り舞台と沢山の赤い風車がついた牢獄にも見える舞台装置。設えは立派なのに散漫な芝居。言葉の持つ力に拮抗できている役者がいない。歌舞伎の猿弥は安定しているけれど、宮沢りえ、堤真一、小池栄子らが揃っても蜷川幸雄演出の金字塔を乗り越えるのは難しい。

『近松心中物語』後半。あの世で蜷川幸雄が祝杯をあげているのではないだろうか。全てにおいて遠く及ばないどころか後退した無残な出来。演出家の舞台に対する美意識の欠除が致命的。ミュージカル?コメディ?歌舞伎?どんな舞台にしたいのか迷い過ぎだと思う。もっと挑戦的かと思った

映画『ダンシング・ベートーヴェン』を観て

2018-01-13 21:48:30 | 日記
早く観ないと終わってしまいそうなので、早起きして有楽町ヒューマントラストシネマでわ映画『ダンシング・ベートーヴェン』を観ました。

「第九」といえば20年ぐらい前までは歌うものでした。20代から30代にかけて20回ぐらいは歌ったでしょうか。母校の管弦楽団の記念公演に紛れこんで?サントリーホールでも歌いました。

成田楽友協会の海外公演の一員としてポーランドの南部、クラクフの近郊の街、カトヴィチェで歌ったのが最後だったかもしれません。

ゲネプロが終わってから、夜の本番まで時間があったので、バスでアウシュビッツ収容所の見学に出かけました。あまりのショックに「歓喜の歌」「人類皆兄弟」と歌うのがためらわれました。まして、ポーランドの方々の前でドイツ語で歌うのは、彼らもナチスに酷い目にあっているので特別な感情があると聞いていたので余計です。結果は大成功でした。

でも帰りに寄ったウィーンのベートーヴェンのお墓。快晴だったのに、ベートーヴェンのお墓にお参りした途端に、雷鳴轟く集中豪雨になってしまい全員ずぶ濡れ。バスに戻ると晴れという不思議な体験。絶対に「第九」の出来が気にいらないベートーヴェンに雷を落とされたのだと思いました。

今はもっぱらチェロで第4楽章の有名なメロディを弾くだけになってしまいました。映画の中ではモーリス・ベジャールの傑作バレエとして『春の祭典』『ボレロ』と並んで紹介されていました。日本で上演されたパリ・オペラ座の公演と今回の上演を2回観ているのですが、大掛かりで上演が困難という事で、持ち上げられているだけで、ベジャールとしては普通の作品だと思います。

東京バレエ団の50周年記念公演として上演。主催は日本舞台芸術振興会。東京バレエ団の生みの親、佐々木忠次さんが日本舞台芸術振興会を作ったので、まあ同じ団体です。ミラノ・スカラ座やウィーン国立歌劇場を招聘する事業を通じて大儲け?映画にも出てきますが目白の東京バレエ団の本拠地はお城みたいです。

映画では語られませんが、佐々木忠次さんの人脈でモーリス・ベジャールのバレエ団、ズービン・メータ指揮イスラエルフィルとの夢の共演が実現したのです。佐々木忠次さんの功績、夢の実現だったのです。オペラの客はオペラしか観ない。バレエの客はバレエしか観ない。クラシックの客はクラシックしか聴かない。そんな風潮も打破したかったのだと思います。

映画は現在の芸術監督であるジル・ロマンの娘が様々な人にインタビューしていき、リハーサルの映像が挟まれていきます。実は本番よりリハーサルの方がずっと面白いと思いました。映画では退屈だったり珍妙な部分は映さないので。いいとこどりなので非常に楽しめる映画となりました。

会場がNHKホールなので渋谷のスクランブル交差点は当然のように登場します。ホテルは新高輪プリンスホテル。イスラエルフィルのリハーサルはNHKホールの北側のロビー。

残念だったのは、バレエ評論家の三浦雅士さんと東京バレエ団の当時に芸術監督だった飯田宗孝さんのインタビュー。あまりに浅薄な理解しかしていなくてベジャールと禅宗を強引に結びつけようとする馬鹿馬鹿しさ。恥ずかしいやら笑えるやら。俗っぽくて嫌になります。

ダンサー達は誰もが美しく真剣に踊っています。リハーサル場面のバレエが面白くて大満足でした。今も踊り続けるエリザベット・ロスやジュリアン・ファブローも見られました。でも、ベジャールのバレエは古い。悲しくなるほど陳腐だったりする。昨秋の来日公演を観ていても魅力的なダンサーがいませんでした。「希望は常に勝利である」っていうベジャールの言葉も思わせぶりなだけかな。