詩はここにある(櫻井洋司の観劇日記)

日々、観た舞台の感想。ときにはエッセイなども。

熊川哲也 Kバレエ カンパニー『クレオパトラ』オーチャードホール 2018年6月17日

2018-06-17 16:49:30 | 日記
昨年10月に世界初演された熊川哲也振付の新作バレエ『クレオパトラ』が早くも再演され、その千秋楽を渋谷の東急文化村オーチャードホールへ観に行った。

これまで有名作品を熊川版として改訂演出してきた熊川哲也だが、全く何もないところから作品を作り上げたのは『クレオパトラ』が初めてだったらしい。台本、音楽、舞台美術、照明、衣裳を一から作り上げる労力、資金と大変に違いないのだが、完成した作品は残念な結果に終わった。男性ダンサーに超絶技巧を盛りに盛った振付を施しているのだが、エンターテイメントではあっても芸術とは言い難いものだった。ある程度予想はしていたが。

海外で長く活躍し、日本人離れしたプロポーションとテクニックを持つ中村祥子と、昨年上演されたミュージカル『リトル・ダンサー』にオールダー・ビリーで出演していた栗山 廉を観るために出かけたのである。

『クレオパトラ』という語感から、豪華絢爛な歴史絵巻、例えばハリウッド映画ばりの合戦場面などを想像していたが、舞台は至ってシンプルな装置。真ん中から分かれる大階段に一番お金が掛かっていたかも。衣裳も地味目で華やかさはあまりなかった。

政治的な陰謀と愛憎劇が中心で派手さは極力抑えられていた。むしろ振付は例によって過剰なまでの跳躍や回転が入れられていて、辟易させられるばかりでなく単調で退屈。新しく作曲されたらしい音楽もパーカッションの使い方に新味はあったが、あまり印象に残らない。

きっと熊川哲也が踊ったら凄いだろうなという振付も普通のダンサーに踊られると背伸びした無理矢理な感じが見えてしまって居心地が悪かった。

『クレオパトラ』第1幕。熊川哲也の新作バレエだけあって覚悟はしていたが跳躍や回転をこれでもかと詰め込んで落ち着かない舞台。観客の好みに合わせたのかリトル熊川みたいなダンサーが暴れまくる印象。色々やる割には単調で退屈。中村祥子のクレオパトラは魔性の女を演じて存在感抜群が救い。

『クレオパトラ』第2幕。政治劇&愛憎劇で格調高く終わるはずもなく、相変わらずの跳んだり回ったりで深みは皆無。もっぱら中村祥子と昨年「リトル・ダンサー」に出ていた栗山 廉を観る事に専念。観客はカーテンコールに登場の熊川哲也に一番反応していた。正直だ。本当に抜け殻みたい何もないバレエだった。

新国立劇場バレエ団 『眠れる森の美女』 2018年6月16日18時30分

2018-06-16 22:26:50 | 日記
新国立劇場バレエ団のウエイン・イーグリング振付の『眠れる森の美女』を観た。二枚看板であるプリンシパルの小野絢子がオーロラ姫を米沢唯がフロリナ王女を踊るという豪華配役。思い起こせば2014年11月の『眠れる森の美女』でフロリナ王女を踊ったのを観たのが小野絢子を知ったきっかけでした。世の中に、こんなに凄いバレリーナがいたとは知らなかった!というのが正直な感想。

もう少し腕が長ければ完璧なプロモーションだけれど、技術もちろん表現力が群を抜いていた。顎のラインも美しいし、強靭さと優美さを兼ね備えたダンサー。ポワントも綺麗。何より踊るのが楽しいという気持ちが伝わってくるのが良かった。

25分の休憩が2回あり、18時30開演で22時近くに終演という長い版であるけれど、最後まで飽きさせることなく見せてくれた。何もかもが美しかったからだと思う。このバレエは幸福を描いたものだと思っていたが、実は女の一生だったという事に初めて気がついた。パリ・オペラ座でヌレエフ版の初演を観てから30年以上が経って、ようやく知るとは。

『眠れる森の美女』プロローグは蜘蛛女となったカラボスの本島美和が圧倒的な存在感。リラの精の細田千晶は押され気味か。誕生という幸福と降りかかる災難を描いて『眠れる森の美女』は改めて女の一生を描いている事に気がつく。冨田実里指揮の東フィルは良い演奏で単なるバレエ公演を超えた名演。

『眠れる森の美女』第1幕。小野絢子の素晴らしいローズアダージョに心震える想い。片脚を軸に、もう片方の脚は膝を軽く曲げて後ろに伸ばすアティチュードのまま、片脚は爪先で立ったままバランスを保つアティチュード・バランスで若さ未来への希望とおののきを見事に表現した。

カラボスは蜘蛛の糸を飛ばして退場という能や歌舞伎の土蜘蛛みたいな演出。井上バレエ団の『くるみ割り人形』のドロッセルマイヤー以外にも糸を投げる役があったとは!眠りは死を表してもいて悲しみは深い。それでも復活の希望があるという展開が好ましかった。

『眠れる森の美女』第2幕。王子とオーロラの孤独を描いた前半。さらに愛おしく思っていても伝わらない片想いの辛さ?を福岡雄大が切なく踊る。そして二人が出会い心を通わせる場面の感動。幸福はどうしたら訪れるのか。その答えがここにあった。チャイコフスキーを舐めたらいけない。美しく、甘く、そして深い。バレエとともに演奏されてこそ真価を発揮する音楽なのだ。

『眠れる森の美女』第3幕。珍しくパ・ド・ドゥのピルエットのサポートに失敗があったものの小野絢子と福岡雄大は素晴らしかった。サポートがなくてもピルエットが出来て当たり前の人達なので、大きな破綻とならずに踊りは続行。

フロリナ王女に米沢唯、親指トムに井澤諒と贅沢な配役を堪能。幸福に包まれて結婚。やがて世継ぎが誕生で生命を繋いでいく喜びを感じた。美しい世界を3時間かけて満喫しました。

六月国立劇場 歌舞伎鑑賞教室 『歌舞伎のみかた』『連獅子』 2018年6月16日

2018-06-16 16:37:38 | 日記
主に歌舞伎を初めて観る学生向けの公演で、短い解説と芝居が上演される形式で続けられてきた歌舞伎鑑賞教室。今回は珍しく舞踊の『連獅子』が取り上げられた。舞踊も歌舞伎の大事な要素なのだから不思議はない。

教育上好ましい学生向けの演目というのが、実は少ない。短くて犯罪や性的な刺激が少ないものとなると同じような演目の繰り返しになってしまう。いくら学生は入れ替わるものとはいえ一般の観客には物足りないものになる。菊之助の知盛のような大冒険の演目は大入り満員だったが、基本的に人気の花形役者は鑑賞教室には出ないので、全体に地味な印象になってしまうのは致し方ない。

今回の出演者は、又五郎、歌昇、福之助、隼人。解説役に巳之助。隼人と巳之助は先月まで御園座でスーパー歌舞伎II『ワンピース』で大活躍だった。月が替って本業?に戻ったわけだが、巳之助はともかく、隼人は精彩を欠いていたように思う。

巳之助の解説は、かつて映画『ピンポン』で大ブレイクする前の獅童と同じような勢いがあった。獅童は舞台に上げた女子高生をいじって爆笑させたり、映画のチラシを配ってやりたい放題だったけれど、その存在感だけで場を支配していた。肝心の『俊寛』では別人のように神妙だったけれど。

巳之助も同じく『ワンピース』からの勢いが続いていて、女子高生との軽妙なやりとりは鑑賞教室という身構えずにいられない空間を和ませた。大人の事情で無理なのは承知だが、歌昇と交互出演すれば面白かっただろうに。

「歌舞伎のみかた」最後にちゃっかり8月の新橋演舞場の『NARUTO』の宣伝をしてしまう巳之助が解説役。所作舞台が敷かれているので、定番の回り舞台やせり上がりを使う開幕演出はなし。観客の目の前で松羽目物の舞台を出現させるのが見所。太鼓の音が何を表現しているかのクイズ?

観客二人による体験コーナーがメイン。摺足、扇、見得など女子高生を相手に抜群の対応力で客席をわかせた。若者にはスーパー歌舞伎II『ワンピース』のボンちゃんやファーファータイムを見せたかったなあ。

『連獅子』又五郎と歌昇の舞踊には定評のある親子による上演。実力と人気が物を言う世界だけに場を与えられたのは良かった。過剰さがなく品良く踊られたのが何より。歌昇の仔獅子が眼を見張る気迫と腕を見せて満足。福之助と隼人の宗論は鑑賞教室らしい修練の場となった。

又五郎は吉右衛門と一座する機会が多く、今月歌舞伎座に出演していたら『夏祭浪花鑑』では義平次か三婦あたりだったろうか。子役時代はテレビにも出てスターだったのに、今は脇役というイメージが定着してしまった。華がないのが何とも残念である。

歌昇は若手では華も実力もあり将来が楽しみだという事を今回も確認できた。御曹司の隼人と福之助は、舞台に上がる事、真剣に舞台を観る人ばかりの中で演じなければならないので勉強になった事だろう。


こまつ座公演『父と暮らせば』2018年6月8日 俳優座劇場

2018-06-08 20:40:53 | 日記
広島を一度だけ訪問したことがある。爆心地、原爆ドーム、資料館、およそ原爆関連の施設には全て行ったと思う。しかし8月6日に広島で原爆の火で焼かれて消えてしまったリ、傷ついた人々の事を考えただろうか。自問自答してみる。目の前にある想像を絶する展示物を前にして、思考停止してしまったのではないだろうか。井上ひさしの『父と暮らせば』を観て、そんな事をずっと考えていた。

終戦から3年目の夏、図書館に勤めている娘を優しく見守る父親。図書館を訪れる原爆資料を収集している青年に恋心を感じている娘。父親と娘の二人の会話だけで展開していく物語だが、父親は原爆で亡くなっていることが観客にも直ぐにわかる。

多くの犠牲者を差し置いて自分が幸福になる後ろめたさ。原爆症の心配もあって、青年との恋を諦めかける娘。家屋の下敷きになって焼け死んでいく父親を見殺しにしたという負い目もある。父親は、そんな娘に幸福になって欲しい一心であれこれと世話を焼く。やがて新しい一歩を踏み出そうとする娘の姿を見届けて父親は消え、芝居も終わる。

井上ひさしの作品らしく笑わせて泣かせて、それでいて深い。かつては博覧強記を誇るような作風が嫌だった作者だが、戦争の愚かさを伝える為に声高に訴えるのではなく、淡々と人間を描いている事に感心した。

役者は二人とも知らないが、広島弁を巧みに操って上手い。東京のど真ん中で広島の空気を出現させてみせた舞台美術、照明も見事だった。音楽が軽快だった事と夏の物語なのに暑さを一向に感じさせなかったのは、人間でない登場人物だから?何か狙いがあったのだろうか。

こまつ座「戦後"命"の三部作」の
記念すべき第一作。
魅力あふれる新しい俳優を迎え堂々上演。

あの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない
二十世紀後半の世界中の人間を代表して、
地獄の火で焼かれたのだ。
だから被害者意識からではなく、
世界五十四億人の人間の一人として、
あの地獄を知っていながら、「知らないふり」をすることは、
なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。
おそらく私の一生は、
ヒロシマとナガサキとを書きおえたときに終わるだろう。
この作品はそのシリーズの第一作である。
どうか御覧になってください。

―――井上ひさし

こまつ座 第122回公演「父と暮せば」

2018年6月5日(火)~17日(日)
東京都 俳優座劇場

作:井上ひさし
演出:鵜山仁
出演:山崎一、伊勢佳世

六月大歌舞伎 夜の部 『夏祭浪花鑑』『巷談宵宮雨』

2018-06-02 22:13:46 | 日記
夜の部は、さらに空席が目立った。2階の下手側の桟敷席には途中まで誰も座っていなかった。先月の名古屋御園座では、あのスーパー歌舞伎II『ワンピース』でさえも観客動員に苦戦したというから仕方ないのかもしれない。

イベント的な歌舞伎には若い観客も集まるが、本格的な歌舞伎、真に価値ある歌舞伎には歌舞伎を毎月観るような観客しか集まらないのかもしれない。同じ団七なら、吉右衛門より海老蔵が観たいという観客が多いなら残念だ。吉右衛門と菊五郎の孫、寺嶋和史の出演が一番の話題としたら悲しい。

『夏祭浪花鑑』「鳥居前」吉右衛門の団七は髭面から良い形へと変り目が鮮やか。年齢を多少感じさせるが孫との共演を心から楽しんでいる様子。菊之助のお梶に手を引かれて登場の和史君は舞台度胸満点。三婦の歌六、種之助、米吉に錦之助と気心の知れたチームワークの良さが際立って安定した舞台となる。

『夏祭浪花鑑』「三婦内・長町裏」吉右衛門の団七は若い頃のように身体は動かないが颯爽とした男振りから舅殺しへ堕ちていく人間の姿を見せて深い。底なしの闇に向かって花道を引っ込んで行った。三婦の歌六も年老いてなお侠気を見せようとする哀れさ。雀右衛門のお辰も痩せ我慢の異様さがあった。

『巷談宵宮雨』六代目以降は勘三郎、延若、富十郎しか演じていない龍達に芝翫が果敢に挑戦。余白は芸の力で埋めていくしかない芝居だけに及第点とは言い難い。松緑の太十、雀右衛門のおいちが好演。今も十七代目の記憶が残っているので個性的な役作りが、かえってその差を際立たせてしまった。