旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

長谷寺、アジサイも素敵でした。

2015-06-27 11:40:17 | 奈良
2015年6月23日、お参りしました。ボタンで有名なお寺ですが、アジサイが咲き誇っていました。
パンフレットより『長谷寺は、山号を豊山と号し、朱鳥元年(686)、道明上人が天武天皇のために「銅板法華説相図」を初瀬山西の岡に安置したことにはじまり、のち神亀4年(727)、徳道上人が聖武天皇の勅願によってご本尊十一面観世音菩薩を東の岡にお祀りになりました。徳道上人は観音信仰にあつく、西国三十三所観音霊場を開かれた大徳として知られ、長谷寺はその根本道場とも呼ばれるゆえんであり、長谷詣、長谷信仰は全国に広がりました。下って天正16年(1588)、専誉僧正がご入山されてより、長谷寺は関係寺院三千ケ寺を有する真言宗豊山派の総本山として、また西国三十三所第八番札所として、檀信徒は約二百万人、四季を通じて「花の御寺」として多くの人々の信仰をあつめています。』
入山料500円です。
奈良県桜井市初瀬731-1
map
境内図

縁起説明書

寺標と石観音



参道

歌碑

文字碑

普門院不動堂



仁王門(重要文化財)
『長谷寺の総門で、三間一戸入母屋造本瓦葺の楼門である。両脇には仁王像、楼上に釈迦三尊十六羅漢像を安置する。現在の建物は明治27年(1894)の再建。「長谷寺」額字は、後陽成天皇の御宸筆。』





下登廊(重要文化財)
「平安時代の長暦3年(1039)に春日大社の社司中臣信清が子の病気平癒の御礼に造ったもので、百八間、三九九段、上中下の三廊に分かれている。下・中廊は明治27年(1894)再建で、風雅な長谷型灯籠を吊るしている。」



道明上人御廟塔

歓喜院



宗宝蔵



梅心院

慈願院

月輪院

灯籠

地蔵様

手水舎



中登廊(重要文化財)



紀貫之故里の梅
「人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の 春ににほひける」

句碑(小林一茶)
「我もけさ 清僧の部也 梅の花」





蔵王堂



上登廊(重要文化財)



馬頭夫人社

三百余社



境内

句碑(松尾芭蕉)、歌碑(大伴坂上郎女)

手水舎

鐘楼(重要文化財)

本堂(国宝)
「小初瀬山中腹の断崖絶壁に懸造り(舞台造)された南面の大殿堂である。正面(内陣)は桁行(間口)の柱間九間、梁間(奥行)同五間、入母屋造本瓦葺で、また礼堂(外陣)は正堂よりやや低く、桁行九間、梁間四間、正面入母屋造本瓦葺。」



















舞台からの景色





大黒堂





愛染堂

弘法大師御影堂







供養塔



一切経蔵



本長谷寺
「天武天皇の勅願により、道明上人がここに精舎を造営したことから、本長谷寺と呼ばれている。」







五重塔
「昭和29年、戦後日本に初めて建てられた五重塔で、純和様式の整った形の塔で、塔身の丹色と相輪の金色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は、背景とよく調和し、光彩を放っている。」



三重塔跡

納骨堂

鳥獣・猟犬供養塔







興教大師祖師堂



陀羅尼堂



竹林



本坊参道

御衣黄桜







本坊大講堂玄関











アジサイ
ちょうど咲きごろで、参拝者を和ませてくれます。



















亀さん





門前通り





中之橋天満神社


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

談山神社(大化改新談合の地)

2015-06-26 15:59:52 | 奈良
2015年6月23日、お参りしました。非常に素敵な神社でした。御祭神は藤原鎌足公です。
パンフ説明書より『飛鳥・法興寺で行われた蹴鞠会において出会った中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が、藤の花の盛りの頃、当社本殿裏山で極秘の談合をされました。「多武峰縁起」によれば、「中大兄皇子、中臣鎌子連に言って曰く。鞍作(蘇我入鹿)の暴虐をいかんせん。願わくは奇策を陳べよと。中臣連、皇子を将いて城東の倉橋山の峰に登り、藤花の下に揆乱反正の謀を談ず。」と記されています。この談合により、皇極天皇4年(645)飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を討ち、中央統一国家及び文治政治の完成という歴史的偉業を成し遂げられました。多武峰はこの後、談峯・談い山・談所が森と呼ばれるようになり「大化改新談合の地」の伝承が残りました。現在の社号の「談山神社」もここからきています。天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いと知った天皇は自ら病床を見舞い、後日、大織冠内大臣という人臣の最高位を授けられ、藤原の姓を与えました。藤原氏は、ここから始まります。鎌足公の没後、御墓は摂津国阿威山(現在の大阪府高槻市)に造られましたが、白鳳7年(678)唐より帰国した長男・定慧和尚が鎌足公の遺骨の一部を多武峰山頂に改葬し、十三重塔と講堂を建立して妙楽寺と称しました。さらに、大宝元年(701)方三丈の神殿を建て、鎌足公の御神像を安置しました。これが談山神社(たんざんじんじゃ)の始まりです。』
拝観料500円
奈良県桜井市多武峰319
map
境内案内図


参道の石燈籠(重要文化財)
「竿に、南北朝動乱の始まった年、元徳3年(1331)の刻銘をもつ雄大かつ装飾性豊かな造りで、天皇の御寄進と伝えられている名品」

手水舎

参道

鳥居

参道











総社本殿(重要文化財)
「延長4年(926)の勧請で天神地衹・八百万神をまつり日本最古の総社といわれている。現在の本殿は寛文8年(1668)造替の談山神社本殿を、寛保2年(1742)に移築したものである。」









総社拝殿(重要文化財)
『寛文8年(1668)の祖造営。談山神社拝殿を縮小し簡略化した様式で、正面・背面ともに唐破風をもつ美麗な建造物である。内外部小壁には狩野永納筆の壁画が残り、「山静」の落款も見られる。』







閼伽井屋(重要文化財)
「屋根はこけら葺で元和5年(1619)の造営。」



神廟拝所(重要文化財)





権殿(重要文化財)
『天禄元年(970)摂政右大臣藤原伊尹の立願によって創建され、実弟の如覚-多武峰少将藤原高光-が阿弥陀像を安置した元の常行堂。ここで室町の頃盛行した芸能「延年舞」は有名である。現存のものは室町後期の再建である。』









末社・比叡神社本殿(重要文化財)
「寛永4年(1627)造営の一間社流造、千鳥破風及び軒唐破風付、桧皮葺の小社ながら豪華な様式をもつ。もと飛鳥の大原にあった大原宮で、ここに移築し明治維新までは山王宮と呼ばれた。」



山神神社

稲荷神社

神明神社

談山・御破裂山への登山口





十三重塔(重要文化財)
「藤原鎌足長子・定慧和尚が、父の供養のために白鳳7年(678)創建した塔婆で、現存のものは享禄5年(1532)の再建である。木造十三重塔としては現存世界唯一の貴重な建造物である。唐の清涼山宝池院の塔を模して建てられたと伝えられてる。不比等で、高さは約17メートルあり、屋根は伝統的な桧皮葺である。神仏習合時代の名残であると同時に、談山神社のシンボル的な存在である。」
軒先が直線を描き、本当に素晴らしい建物です。









本殿へ

西宝庫(重要文化財)
「本殿に向かって左右に位置する同形式の二つの宝庫は、校倉造りで元和5年(1619)の造営である。文化財の宝庫として知られる談山神社の古来の名宝を収蔵して来た。」

手水舎



拝殿(重要文化財)
「朱塗舞台造拝殿は永正17年(1520)の造営、中央の天井は伽羅香木でつくられている。折れ曲がる東西透廊は本殿を囲む特異な形態をもち、桧皮葺の屋根が美しい。」































楼門(重要文化財)

本殿(重要文化財)
「藤原鎌足公をまつる旧・別格官弊社。大宝元年(701)の創建で、聖霊院、多武峰社とも号す。現在の本殿は嘉永3年(1850)造替の三間社隅木入春日造、朱塗極彩色の豪華絢爛たる様式で世に名高い。」















東殿{恋神社}(重要文化財)
「鏡女王・定慧和尚・藤原不比等をまつり、若宮とも称す。元和5年(1619)造替の談山神社本殿を寛文8年(1668)に移築したものである。えんむすびの神として信仰があつい。」





東宝庫(重要文化財)

むすびの岩座
「1300年以上も昔、談山神社の前身である妙楽寺の講堂を建てるとき、光る石が発見され、神の宿る磐座として祀られました。」



観音堂

















蹴鞠の庭











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

當麻寺

2015-06-25 19:15:26 | 奈良
2015年6月23日、お参りしました。天気予報で雷雨が気になりましたが、雨には降られませんでした。當麻寺(たいまでら)は、大阪府と奈良盆地の西端に位置し、二上山の麓に位置しています。
奈良県葛城市當麻1263
map
説明書
「當麻の名を知らせる名刹で、二上山のこんまりとした樹影を背景に静かなたたずまいを見せています。用明天皇の皇子麻呂子王が推古天皇20年(612)に河内に建てた万宝蔵院に始まりその後天武天皇白鳳11年(681)に麻呂子王の孫當麻国見が現在地に移してこの地方の豪族當麻氏の氏寺として整備したと伝えられています。金堂、講堂が南北に一直線に並び金堂南方両側に東西二つの三重塔が建ちさらに本堂、薬師堂、仁王門が独特の伽藍配置で建ち並んでいます。とくに古代に建立された東西両塔が完備している姿は全国でも當麻寺だけとして有名です。宗旨としては初め三論宗を奉じていましたが弘法大師が参籠してから真言宗にかわり鎌倉時代には浄土宗の霊場ともなり以降現在まで真言浄土の二宗を併立し八ケ寺の塔頭(寺院)よりなる珍しいかたちとなっています。また金堂にある弥勒菩薩像や日本最古の梵鐘をはじめ数多くの貴重な寺宝を今に伝えて国宝・重要文化財に指定されているものも少なくありません。ボタンの名所としても有名で四月下旬より境内にはボタンの花が咲き誇り落着いた雰囲気に色をそえています。五月十四日には、中将姫ゆかりの"練供養"が行われ全国から集まった参詣者たちで境内は大変なにぎわいとなります。」

中将姫の説明書
『中将姫は、奈良時代の右大臣藤原豊成公の娘で、幼くして母を失い、継母に育てられました。しかし、継母から嫌われ、ひばり山に捨てられてしまいました。その後、父と再会し一度は都に戻りましたが、姫の願いにより當麻寺へ入り、称賛浄土経の一千巻の写経を達成し、17歳で中将法如として仏門に入り曼荼羅(諸仏の悟りの境地を描いた絵図)を織ることを決意し、百駄の蓮茎を集めて蓮糸を繰り、これを井戸にひたすと糸は五色に染まりました。そしてその蓮糸を、一夜にして一丈五尺(約四メートル四方)もの蓮糸曼荼羅に織り上げました。姫が29歳の春、雲間から一条の光明とともに、阿弥陀如来を始めとする二十五菩薩が来迎され、姫は、西方極楽浄土へ向かわれたと伝えられています。「練供養」は、その伝承を再現したもので、毎年五月十四日に當麻寺において行われています。』

境内図

仁王門 (東大門)







鐘楼





境内

中の坊
『白鳳時代の開創に伴い、役の行者が開いた道場で、當麻寺最古の僧坊である。天平時代、十一世実雅上人が女人禁制を解いて中将姫を迎え入れ、弘仁時代には弘法大師の授法を仰ぎ、真言宗の道場となった。中将姫が剃髪したお堂には、姫の守り本尊「導き観音」が祀られ、特に女人の守り本尊として信仰されている。』





鐘楼と金堂(重要文化財)





講堂(重要文化財)



蓮池

護念院







本堂(国宝)











西塔(国宝)









西南院





境内



太子堂



糸繰堂

地蔵様

竹の坊

北門





奥院





































宗胤院














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尾上神社

2015-06-16 18:29:20 | 加古川
2015年6月13日、お参りしました。鶴林寺から南に約1Kmに鎮座しています。周りは住宅街となっています。
加古川市尾上町長田字尾上林518
map
駐車場にある碑

加古川市の説明書『祭神は、海の神様、住吉大明神です。境内に謡曲「高砂」に謡われた相生霊松「尾上の松」があり、現在の松は8代目です。国重要文化財の「尾上の鐘」も朝鮮鐘として有名です。「尾上の鐘」にはその昔、海賊に盗まれて海に沈められた後、漁師の手によって引き上げられ高野山に奉納されたが、鐘をつくたび「おのえへ、いの~」と聞こえたため、尾上神社に戻されたという伝説があります。』

鳥居と随身門(登録有形文化財)





尾上の松





手水舎



七代目尾上の松



拝殿(登録有形文化財)







本殿

















片枝の松



尾上の鐘



筆塚

末社



社務所





大村神社(尾上神社の境内の右手に鎮座しています。)
『古来、大村神社、歳神社とも旧長田村の地神様として信仰されておりました。特に大村神社は「ワーワーの頭(とう)」の大村講の神社として信仰されておりました。』





一本稲荷社



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶴林寺(聖徳太子御創立)

2015-06-16 14:12:14 | 加古川
2015年6月13日、お参りしました。山号は刀田山(とたさん)、天台宗の寺院です。拝観料は500円です。無料の駐車場があります。地元では「刀田の太子さん」や「播磨の法隆寺」と呼ばれています。
パンフレットより『高句麗の僧、恵便法師が、物部氏ら排仏派の迫害を逃れてこの地に身を隠しておられたので、聖徳太子が法師の教えを受けるため、この地に来られた、587年、秦河勝に命じて精舎を建立し、刀田山四天王寺聖霊院と名付けられたのが、当寺のはじまりであると伝えられている。養老2年(718)武蔵国大目身人部春則が太子の遺徳を顕彰するため、七堂伽藍を建立し、9世紀の初め、慈覚大師円仁が入唐の際に立ち寄られ、薬師如来を刻して国家の安泰を祈願されて以降天台宗となった。天永3年(1112)鳥羽天皇から勅願をいただき、「鶴林寺」と寺号を改め、勅願所に定められた。鎌倉時代、室町時代と太子信仰の高まりと共に、鶴林寺は全盛期を迎え、寺坊30数カ坊、寺領25000石、楽人数十名が常に舞楽を奏していたと言われたが、戦国時代に至って信長、秀吉らの弾圧、さらには江戸時代の厳しい宗教政策のため、衰微せざるを得なかった。』
加古川市加古川町北在家424
map
案内図、お寺の周りは公園になっています。

参道

安産子育地蔵尊

官兵衛の妻・光(てる)ゆかりの地、鶴林寺の説明書
「1540年ごろの官兵衛の父・職隆の書状や1588年の官兵衛直筆の書状、信長や秀吉が鶴林寺への乱暴狼藉を禁じる禁制の文書のほか、織田勢に降伏した高砂城主・梶原景行が寄進した机などが残っており、官兵衛と鶴林寺の深いつながりがありました。」

仁王門(兵庫県指定文化財)
「鶴林寺は聖徳太子の草創と伝える播磨の古刹である。仁王門は、三間一戸の楼門形式で、大伽藍の正面に位置する。屋根は入母屋造、本瓦葺で大棟に鬼瓦がづる。全体を遠くから見れば、屋根と縁の張出しが良く、下層は高く、上層は低く、均整がとれて美しい。」











三重塔(兵庫県指定文化財)
「三間三重、本瓦葺、初重は文政年間(1818~1830)の大修理の際、ほとんど新材で補修された。二重、三重の軸部および斗栱
部、軒廻りは古様をよく伝えている。各部の木割、各種の逓減率、軒反りの形式、三面の鬼瓦などから室町時代の建築と思われる。」









経蔵

行者堂の前の鳥居

境内



行者堂(重要文化財)
『正面を春日造り、背面が入母屋造りという小さいが珍しい建物である。本堂、鐘楼とともに室町時代初期の鶴林寺の全盛期に建てられ同じく折衷様式である。日本には古くから「神」と「仏」は同体であるという思想があった。前方の鳥居が示すように、仏教の聖地「鶴林寺」を守護するため「日吉神社」が建てられたのがこのお堂の前身である。しかし、明治以降、絶大な超能力をつけたリーダー役行者(えんのぎょうじゃ)をまつり「行者堂」となった。毎年3月23日、この前庭において大護摩が焚かれ、世界の平和と人々の幸せを祈っている。』、1406年の建築。









常行堂(重要文化財)
「この建物は、国宝太子堂とほぼ同時代に建立で、もとは太子堂と同じく桧皮葺(ひわだぶき)であったものを1566年に瓦屋根に葺きかえたものである。外観は比較的低くて、蔀戸(しとみど)や板扉を用い、簡素で上品な落着いた建物である。」





手水舎



本堂(国宝)
「仏教の説法を聞いたり儀式を行うところから大講堂とも呼ばれている。13世紀頃に中国から唐様(からよう)と天竺様(てんじくよう)と呼ばれる新しい建築様式が伝わり、14世紀頃に従来の和様(わよう)と折衷(せっちゅう)した様式ができあがった。この本堂はその折衷様式の最もすぐれた建築である。」1397年の建築です。















菩提樹



新薬師堂

講堂

浄心院



本堂と常行堂

子安地蔵尊

鐘楼(重要文化財)
「袴腰造りの優美な建築、本堂と同時代のもの。中に吊るされる高麗期の梵鐘も重要文化財である。」、1407年の建築。







太子堂(国宝)
「兵庫県下最古の建築で、聖徳太子ご創建の聖霊院の後身として太子堂とよばれているが、本来は西方にある常行堂と対をなす天台宗最古の法華堂である。桧皮葺きの美しい屋根に宝珠がのせてあり、内部は正面に礼堂があり奥が三間四面の内陣となっている。天井は小組格天井とよばれるぜいたくな天井である。」、1112年の建築。







宝生院















境内

沙羅の木



石風呂、手前のもの





ふりきり門と法華一石一字塔





ふりきり石



真光院





護摩堂(重要文化財)
「1563年建築、三間四面の入母屋造り、本瓦の均整のとれた小堂。柱上の斗組を省略した簡素な造りである。外部が和様、内部が禅宗様の折衷様式である。」、1563年の建築。



弁財天





巴山の句碑



モチノキ

瀧瓢水歌碑



佛足石









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝熊岳金剛證寺と伊勢志摩スカイライン

2015-06-15 16:35:05 | 三重
2015年6月10日、お参りしました。ドライブイン鳥羽より伊勢志摩スカイラインで山頂をすぎたところに寺院があります。通行料は1250円ですが、宿泊したホテルで通行料金割引チケットで1000円です。
途中での伊勢志摩の景色です。

朝熊山山頂展望台で

山頂の売店、こちらで伊勢うどんを食べました。

















金剛證寺
山号は勝宝山で、臨済宗南禅寺派のお寺です。御本尊は福威智満虚空蔵大菩薩です。昔より伊勢神宮の鬼門を守る寺として、神宮の奥之院ともいわれています。創建は欽明天皇の頃、暁台上人によって開かれ、平安時代には弘法大師によって堂宇が建立され、密教修業の一大道場として隆盛を極めました。その後応永年間(1394~1427)に鎌倉建長寺開山大覚禅師の法孫である仏地禅師が再興し、禅寺に改められました。
伊勢市朝熊町岳548
map
山門



金佛(阿弥陀仏)



説明書





おちんこ地蔵尊(子宝を授けてくださいます。)









仁王門













鐘楼



連間(つれま)の池と連珠(れんじゅ)橋
「この池は弘法大師が掘ったと伝えられている。池の中央に架かる橋は連珠橋と呼ばれ、古くは浦田織部藤原長次が願主となって、寛永12年(1672)に創建されたものである。連珠橋を堺に、此岸(迷いの世界)と彼岸(悟りの世界)が表わされ、5月中旬から9月にかけて、睡蓮の花が美しい風景を見せます。」







雨宝堂
「池の向こう岸(彼岸)に建つ御堂は、神仏習合思想の神像、雨宝童子尊を祀る。」





茶店





厄除け六地蔵尊、矢負地蔵尊









三重塔、五重塔

手水舎

仏足石



参道

福丑、伊勢神宮の丑寅(北東)にあるため。



智恵寅

求聞持堂

本堂(重要文化財)
慶長14年(1609)、姫路の城主池田輝政公の寄進により再建された。



















香炉



開山堂







境内









奥の院への参道

明星堂
「伊勢神宮の鬼門除けの為に明星天子を祀り鎮護している。明星は日、月、星の三字よりなり三光天子とも称され国土安穏智慧成就の仏神である。」





朝熊山経塚の説明書









芭蕉碑



極楽門、ここから奥の院へ参ります。



卒塔婆の供養林が続きます。











九鬼嘉隆公の五輪塔



慶光院の墓

小川頼重公の五輪塔



奥の院山門







地蔵菩薩の石仏群



























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥羽丸山の庫蔵寺

2015-06-15 10:15:24 | 三重
2015年6月10日、丸興山庫蔵寺(がんこうさんこぞうじ)にお参りしました。三重四国八十八ケ所の87番目です。国道167号線で近鉄鳥羽駅より南に4キロ程のところに看板があります。その道を西に入って、山道を登ります。鳥羽レストパークの墓苑を通り抜け、そこから1キロです。道は非常に狭いです。自動車1台が通れる山道です。目的地近くに駐車場があります。
鳥羽市河内町539
map
参道です。こんな道が墓苑から1キロほど続きます。

歴史を感じさせる石積みの参道です。山にあるので勾配がかなりあります。

山門

本堂(重要文化財)
説明書より「庫蔵寺は天長2年(825)弘法大師が金剛證寺の奥の院として虚空蔵菩薩を安置し国土鎮護のために虚空蔵求聞持法を修めたと、いわれる寺である。その後、貞治年間(1322)雲海上人によって中興開山され、天正年間には織田水軍の将九鬼嘉隆鳥羽城築城の地鎮の安全の祈願を命じた古刹である。本堂は永禄4年(1561)建立、こけら葺きで内部は唐様、中央には極彩色の彫刻がはめられていて、室町時代の特色を如実に物語っている。建立以来、幾度か修復が行われたが、平成6年11月に平成の大修復が完了した。同じく、国指定重要文化財に指定されている鎮守堂は慶長10年(1605)建立で、同本堂の裏上に祭られている。」













コツブガヤ(天然記念物)、日本にたった2本しかないものです。
説明書「このコツブガヤは樹高は約25m、胸高周囲は4.15m、推定樹齢約400年の巨樹であることのみでなく、種類学上より普通種であるイチイ科のカヤの一変種で、全国的にも極くまれにみる物である。一見、普通のカヤと相違しないが、その名の通り果実種子が小粒である。普通のカヤの種子の長さは平均2.5cm位であるが、このコツブガヤは1.5cm以下で球形に近い形をしている。現在日本でコツブガヤの生育が確記されているのは宮城県に1本と、このコツブガヤのみである。」



鐘楼





鎮守堂(重要文化財)
階段










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二見浦の夫婦岩

2015-06-14 22:49:24 | 三重
2015年6月10日、行きました。
自動車を二見シーパラダイスに駐車して見学しました。駐車料金は無料です。
map
店舗を通り抜けて、夫婦岩につながっています。









竜宮社























夫婦岩

海鵜















日の神、皇居遥拝所

二見興玉神社

オオシャコガイ





天の岩屋







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥羽小浜温泉 ホテル浜離宮

2015-06-14 22:22:09 | 温泉、旅館、ホテル
2015年6月9日、三重県鳥羽のホテル浜離宮に泊まりました。海辺に建つホテルです。今回はふるさと旅行券15000円を使わせていただきました。仲居さんが親切で、近くの観光、買い物や寺院などを教えてくれました。
鳥羽市鳥羽1-22-19
map
玄関

外観





室内











おもてなし

窓からの景色



廊下





あわらぎの湯、伊勢志摩・鳥羽の中でも自家源泉を持つ希少な温泉ホテルで、アルカリ性単純温泉です。





売店



ロビー











夕食です。
和牛すき焼きと伊勢エビ付きの舟盛りです。ビールを飲みながら堪能しました。締めは鍋の伊勢うどんでした。











朝食です。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お伊勢さんのおはらい町とおかげ横丁

2015-06-14 21:51:04 | 三重
2015年6月9日、お伊勢参りの後に行きました。
伊勢神宮・内宮前で栄えるおはらい町。宇治橋から五十鈴川に沿って続くおよそ800mの美しい石畳の通りにはたくさんの土産物店・飲食店が建ち並び、散策と買い物が楽しめます。おかげ横丁は内宮門前町の一画に約4000坪の敷地内に土産物店や飲食店が所狭しと並んでいます。
map







































おかげ横丁













































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする