旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

尾上神社

2015-06-16 18:29:20 | 加古川
2015年6月13日、お参りしました。鶴林寺から南に約1Kmに鎮座しています。周りは住宅街となっています。
加古川市尾上町長田字尾上林518
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駐車場にある碑

加古川市の説明書『祭神は、海の神様、住吉大明神です。境内に謡曲「高砂」に謡われた相生霊松「尾上の松」があり、現在の松は8代目です。国重要文化財の「尾上の鐘」も朝鮮鐘として有名です。「尾上の鐘」にはその昔、海賊に盗まれて海に沈められた後、漁師の手によって引き上げられ高野山に奉納されたが、鐘をつくたび「おのえへ、いの~」と聞こえたため、尾上神社に戻されたという伝説があります。』

鳥居と随身門(登録有形文化財)





尾上の松





手水舎



七代目尾上の松



拝殿(登録有形文化財)







本殿

















片枝の松



尾上の鐘



筆塚

末社



社務所





大村神社(尾上神社の境内の右手に鎮座しています。)
『古来、大村神社、歳神社とも旧長田村の地神様として信仰されておりました。特に大村神社は「ワーワーの頭(とう)」の大村講の神社として信仰されておりました。』





一本稲荷社



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鶴林寺(聖徳太子御創立)

2015-06-16 14:12:14 | 加古川
2015年6月13日、お参りしました。山号は刀田山(とたさん)、天台宗の寺院です。拝観料は500円です。無料の駐車場があります。地元では「刀田の太子さん」や「播磨の法隆寺」と呼ばれています。
パンフレットより『高句麗の僧、恵便法師が、物部氏ら排仏派の迫害を逃れてこの地に身を隠しておられたので、聖徳太子が法師の教えを受けるため、この地に来られた、587年、秦河勝に命じて精舎を建立し、刀田山四天王寺聖霊院と名付けられたのが、当寺のはじまりであると伝えられている。養老2年(718)武蔵国大目身人部春則が太子の遺徳を顕彰するため、七堂伽藍を建立し、9世紀の初め、慈覚大師円仁が入唐の際に立ち寄られ、薬師如来を刻して国家の安泰を祈願されて以降天台宗となった。天永3年(1112)鳥羽天皇から勅願をいただき、「鶴林寺」と寺号を改め、勅願所に定められた。鎌倉時代、室町時代と太子信仰の高まりと共に、鶴林寺は全盛期を迎え、寺坊30数カ坊、寺領25000石、楽人数十名が常に舞楽を奏していたと言われたが、戦国時代に至って信長、秀吉らの弾圧、さらには江戸時代の厳しい宗教政策のため、衰微せざるを得なかった。』
加古川市加古川町北在家424
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案内図、お寺の周りは公園になっています。

参道

安産子育地蔵尊

官兵衛の妻・光(てる)ゆかりの地、鶴林寺の説明書
「1540年ごろの官兵衛の父・職隆の書状や1588年の官兵衛直筆の書状、信長や秀吉が鶴林寺への乱暴狼藉を禁じる禁制の文書のほか、織田勢に降伏した高砂城主・梶原景行が寄進した机などが残っており、官兵衛と鶴林寺の深いつながりがありました。」

仁王門(兵庫県指定文化財)
「鶴林寺は聖徳太子の草創と伝える播磨の古刹である。仁王門は、三間一戸の楼門形式で、大伽藍の正面に位置する。屋根は入母屋造、本瓦葺で大棟に鬼瓦がづる。全体を遠くから見れば、屋根と縁の張出しが良く、下層は高く、上層は低く、均整がとれて美しい。」











三重塔(兵庫県指定文化財)
「三間三重、本瓦葺、初重は文政年間(1818~1830)の大修理の際、ほとんど新材で補修された。二重、三重の軸部および斗栱
部、軒廻りは古様をよく伝えている。各部の木割、各種の逓減率、軒反りの形式、三面の鬼瓦などから室町時代の建築と思われる。」









経蔵

行者堂の前の鳥居

境内



行者堂(重要文化財)
『正面を春日造り、背面が入母屋造りという小さいが珍しい建物である。本堂、鐘楼とともに室町時代初期の鶴林寺の全盛期に建てられ同じく折衷様式である。日本には古くから「神」と「仏」は同体であるという思想があった。前方の鳥居が示すように、仏教の聖地「鶴林寺」を守護するため「日吉神社」が建てられたのがこのお堂の前身である。しかし、明治以降、絶大な超能力をつけたリーダー役行者(えんのぎょうじゃ)をまつり「行者堂」となった。毎年3月23日、この前庭において大護摩が焚かれ、世界の平和と人々の幸せを祈っている。』、1406年の建築。









常行堂(重要文化財)
「この建物は、国宝太子堂とほぼ同時代に建立で、もとは太子堂と同じく桧皮葺(ひわだぶき)であったものを1566年に瓦屋根に葺きかえたものである。外観は比較的低くて、蔀戸(しとみど)や板扉を用い、簡素で上品な落着いた建物である。」





手水舎



本堂(国宝)
「仏教の説法を聞いたり儀式を行うところから大講堂とも呼ばれている。13世紀頃に中国から唐様(からよう)と天竺様(てんじくよう)と呼ばれる新しい建築様式が伝わり、14世紀頃に従来の和様(わよう)と折衷(せっちゅう)した様式ができあがった。この本堂はその折衷様式の最もすぐれた建築である。」1397年の建築です。















菩提樹



新薬師堂

講堂

浄心院



本堂と常行堂

子安地蔵尊

鐘楼(重要文化財)
「袴腰造りの優美な建築、本堂と同時代のもの。中に吊るされる高麗期の梵鐘も重要文化財である。」、1407年の建築。







太子堂(国宝)
「兵庫県下最古の建築で、聖徳太子ご創建の聖霊院の後身として太子堂とよばれているが、本来は西方にある常行堂と対をなす天台宗最古の法華堂である。桧皮葺きの美しい屋根に宝珠がのせてあり、内部は正面に礼堂があり奥が三間四面の内陣となっている。天井は小組格天井とよばれるぜいたくな天井である。」、1112年の建築。







宝生院















境内

沙羅の木



石風呂、手前のもの





ふりきり門と法華一石一字塔





ふりきり石



真光院





護摩堂(重要文化財)
「1563年建築、三間四面の入母屋造り、本瓦の均整のとれた小堂。柱上の斗組を省略した簡素な造りである。外部が和様、内部が禅宗様の折衷様式である。」、1563年の建築。



弁財天





巴山の句碑



モチノキ

瀧瓢水歌碑



佛足石









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