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旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

引田まち散策(東かがわ市)

2017-12-31 20:07:25 | 香川
2017年12月28日、香川県の旅行で、東かがわ市の引田に行きました。鳴門と高松の中間くらいに位置するところです。引田は、瀬戸内海を運行する船の要港として栄えたまちです。戦国時代には、引田城の城主は四宮氏、矢野氏など何度も変わりました。戦国時代の終わりごろの天正15年(1587)に、讃岐国を治めることとなった生駒氏は讃岐国支配の拠点とする高松城と並行して、東讃地方の支城として引田城を利用していました。現在の引田城跡には、生駒氏が築いた自然石を積んだ野面積の石垣が残っています。城山のふもとの湾は風よけの良港となっていました。ここでの船はよい風が来るのを待ち、その間、船人は引田のまちで滞在していました。そのため、引田は料亭、商店、旅館などが100軒程並ぶ、賑わいのあるまちとなりました。北前船の立ち寄り港であったため、物流にも恵まれ、醤油や酒の醸造が発達したともいわれています。
かめびし屋(登録有形文化財)
香川県東かがわ市引田2174
map
「宝暦3年(1753)創業の老舗醤油屋。伝統製法(むしろこうじ)製法と築200年以上の蔵で長期熟成された醤油は、独特の風味と香りが特徴です。かめびし醤油の名称は歴史が長く、氏神のある亀山の「かめ」と醤(ひしお)から取ったといわれています。」

























讃州井筒屋敷
「佐野いえは高松藩の郷士といわれています。元禄年間に醤油の製造を開始し、その後、酒の製造も行っています。」
母屋

五之蔵

一之蔵

二之蔵

三之蔵











引田のひなまつり
2018年2月28日から3月3日まで、引田駅から引田の古いまち並みまでの間をひな祭りで飾られます。

日下家(登録有形文化財)
「初代を寛永7年(1630)没の日下彦右衛門であるとし、江戸時代に代々引田村の庄屋、大内郡の大庄屋を務めてきた家です。屋敷は江戸時代の庄屋としての格式を随所に残しており、風格のある長屋門、母屋が配置され、それらを囲む土塀が残っています。長屋門は木造平屋建、切妻造の本瓦葺で使用人の部屋、馬屋や納屋もあります。母屋は木造平屋建、入母屋造の本瓦葺です。勘定部屋や女中部屋などの間もあります。江戸時代、日下家周辺には高松藩の浦番所や米蔵があり引田村の村政の中心地でした。また、日下家に伝来する古文書は瀬戸内海歴史民俗資料館に寄託されています。その中でも浦方御用留には、廻船・海難・漁業・水夫についての願書や触書が綴られており、引田浦だけでなく、讃岐国高松藩の制作も捉えることができる貴重な資料です。」







旧引田郵便局(登録有形文化財)
「明治4年(1871)に郵便制度が実施され、全国に郵便局が創設されたとき、地方の三等郵便局は戸長宅(当時の役場事務を執ったところ)に置くとの規定から吉川清太郎宅に局が設けられた。大正7年日下武近氏が譲り受けた。昭和7年(1932)、日下家により建築された建物で、昭和52年まで開局していました。建物は、木筋コンクリート造り平屋建の洋風建築で、上部に八角型の窓、下部には上げ下げ式の窓、高い天井、入念な装飾に昭和初期の様式美が見られる。」

松村家(登録有形文化財)
「江戸時代の中期から引田村、魚の棚において多嶋屋の屋号で魚の卸商を営んでいた商家です。4代目の時に分家し、現在の場所に多嶋屋弁吉の名で薬屋(薬種商)を開店、漢方薬の調合・販売を始める。分家6代目のとき(明治中期)に医院を開業、屋敷の北半分を診療室にあて、手術なども行って多くの患者を集めるとともに薬の調合・販売もしていた。建物は江戸時代末期の建築です。」



泉家(登録有形文化財)
「海産物の販売を本業とするかたわら、酒、たばこの小売を行う商家でした。建物は江戸時代末期の建築です。」



神崎家(屋号・米屋)
「江戸時代から酒、醤油の醸造や廻船業で財をなし、引田村一の豪商でした。」





引田まち並み案内図



山本家
「明治37年(1904)に醤油の製造を始めた醸造元です。建物は明治時代の建築です。」







ギャラリー翼

藤澤南岳の石碑
「天保13念(1842)引田生まれ、幕末に高松藩の危機を救った功労者。孫は小説家の藤澤恒夫。」

長崎家(登録有形文化財)
「江戸時代から廻船業をしていた家です。明治時代中頃から醤油の製造も始めました。」





萬生寺(まんしょうじ)
「讃岐三十三観音の7番札所、真言宗の寺院で、永正年中に創建し当初寺名を新坊と称していたが、江戸期前に現在の寺名に改めています。歌手の笠置シヅ子さんゆかりの寺です。」



















善覚寺
「浄土真宗の寺院で開基は不祥です。引田城の門を移築したと伝わっています。」













積善坊(しゃくぜんぼう)
「真言宗の寺院で、藩主松平頼重公の遊猟のおりの宿坊となり、客殿を新築し、寺号を西向寺積善坊と改めています。寺門の仁王像は江戸時代に作られ四国第一といわれています。作家の瀬戸内寂聴さんゆかりの寺です。」























海の見える路地
「まち並みは、誉田八幡宮を北端に北西から南東に約1kmに渡っています。メーンストーリーには商家が並び「オカ」と呼ばれ、それに平行した海側の通りは漁師町で「ハマ」と呼ばれていました。向かって下る幾筋もの細い路地があります。家々の板壁に挟まれた人一人がやっと通る道、その奥には瀬戸の小さな海が光っています。漁家と町家を結ぶ生活の匂いがする道です。」


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