旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

津田石清水神社・鳴門市ドイツ館

2019-07-06 21:45:48 | 香川
2019年7月4日、四国観光で神戸に帰る途中にお参りしました。
津田石清水神社
説明書より「古くは難波津(ナニハヅ)と呼ばれ、海外では朝鮮半島と、又国内では畿内(大和朝廷)などと交易のあった津田浦の氏神社で、仁和年間(885~888)、山城国(京都男山)石清水八幡宮の分霊を勧請、現在地の西方にある雨滝山麓に津田八幡宮として鎮座しました。雨滝城主安富氏の保護も篤かったと伝えられています。1583(天正11)年、長宗我部軍の兵火により衰退しましたが、1592(文禄元)年8月に再興しました。この後、1600(慶長5)年、現在地に遷座しました。跡地は座殿池という名のため池となっています。1872(明治5)年、現在の石清水神社と改称しました。」
香川県さぬき市津田町津田106番
map
境内案内図











狛犬



随神門









境内

手水舎

拝殿

狛狼(日本狼が祀られているのは珍しいですね。)



本殿



猫様が番をしていた。





神馬



三社









加茂神社







鳴門市ドイツ館
「1917年から1920年までの3年間、ドイツ兵俘虜と板東の人々のあたたかい交流から始まりました。第1次世界大戦が始まると、日本も参戦し、ドイツの租借地だった中国の山東半島にある青島を攻撃しました。敗れたドイツ兵士約5,000人が俘虜となり、日本各地の収容所に送られました。その内、四国の徳島・丸亀・松山に約1,000人が板東俘虜収容所で過ごしました。地域の人々は、俘虜たちの進んだ技術や文化を取り入れようと牧畜・製菓・西洋野菜栽培・建築・音楽・スポーツなどの指導を受けました。そして板東の街並みでは、俘虜たちを「ドイツさん」と呼び、彼らとの間で日常的な交歓風景があたれまえにみられるようになりました。1972(昭和47)年に旧ドイツ館が建設され、1974年に鳴門市とドイツ・リューネブルク市との間で姉妹都市盟約が締結されました。それ以降、両市は相互に親善訪問団を派遣するなど国際交流が活発に展開されるようになりました。1993年に新しいドイツ館が完成しました。」
徳島県鳴門市大麻町桧字東山田55-2
map











賀川豊彦記念館
「賀川は、1889(明治21)年に神戸で生まれました。4歳の時に両親を亡くし、父の家がある鳴門市大麻町に引き取られました。孤独、家の破産、病苦など、多くの苦難を乗り越え、賀川は神戸神学校の学生だった21歳の時、神戸のスラムに入り、救済活動を行いました。その後、自伝的小説『死線を越えて』を執筆し、400万部を超えるベストセラーとなります。そして労働運動、農民運動、生活協同組合運動に献身し、関東大震災ではいち早く被災地に入り、救援活動に尽力しました。戦後は世界連邦運動を提唱し、世界平和を訴えました。ガンジやシュバイツァーと並んで世界の三大偉人と呼ばれ、現在も賀川の活動は、様々な組織で引き継がれています。」

第九の里物産館



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 史跡高松城 | トップ | メルヴェール有馬 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

香川」カテゴリの最新記事