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日光本宮神社・四本龍寺

2019-05-28 15:08:24 | 栃木
2019年5月23日から25日、2泊3日の草津・鬼怒川名湯めぐりと世界遺産日光東照宮のトラピクスの旅に行きました。3日目です。日光二荒山神社、日光山輪王寺、日光東照宮のあと、本宮神社に向かいます。
日光社寺案内図

石標

世界遺産の碑







児玉堂

華蔵院



日城坊





禅智院



桜本院



南照院



四本龍寺
「本宮神社のすぐ裏手で、大谷川を蛇の橋で渡った勝道上人が、草庵を結んだところ。」
観音堂(栃木県指定文化財)
『四本龍寺は、766(天平神護2)年、日光山を開山された「勝道上人」(735~817)によって創建された日光山で最初の寺院です。勝道上人は下野国(現在の栃木県)の生まれで27歳で下野薬師寺において唐僧鑑真和尚の高弟であった如宝僧都から戒を受けて僧侶となり、長年修学の後、深い観音信仰のもと、十人の弟子たちとともに日光開山を志します。32歳のとき、深沙王の助けによって無事に大谷川を渡った上人一行は、東の空に神々しい「紫の雲」が立ち昇るのをみて、この地に小さな草庵を結び「観音様」と「氏神様」を祀りました。はじめは紫の雲が立ち昇ったので紫雲立寺とし、後に竜の似ている「四本龍寺」となったといわれています。上人はその後、四本龍寺を基点として弟子達とともに苦修行され、782(天応2)年、ついに補陀名山(二荒山=男体山・標高2,486メートル)の頂上を極めます。そして中禅寺湖畔に生えていた大木に千手観音像を自ら刻み「中禅寺」を開創しました。雨を祈って雲を起こすなど、さまざまな霊験を伝えます。これは、日本仏教の二大教祖である「最澄」「空海」の活躍するおよそ20年ほど前のことになります。「観音堂」は四本龍寺の本堂で、現在の建物は807(大同2)年、下野国司が建立したもので、千手観音が本尊として祀られています。四間四方で二社一寺の建築物の中では数少ない素木造りとなっています。なお、このお堂は1874(明治7)年に金剛童子を合祀したので「金剛堂」とも呼ばれ、下野三十三観音巡りの第三番札所ともなっています。』



三重塔(重要文化財)
『日光山24世座主「弁覚上人」が、将軍源実朝の供養のために1241(仁治2)年に東照宮境内付近に建立し、その後この地に移築されました。1684(貞享元)年の大火で焼失しましたが、翌年再建されたのが現在の塔です。三間四方(約6メートル)で、最下層の軒下に十二支の彫刻があります。』



石護摩壇
「採灯護摩壇といい、山伏が屋外で護摩修行をするためのものですが、この様に石造りで常設されている例は全国でも珍しく、日光山独特のものと言われています。」

紫雲石
「ここから西南に少し離れた唯心院境内の礼拝石で、勝道上人が、ある日、礼拝をささげた折、この石の辺りから紫の雲が立ち昇り、男体山の方へたなびくのを見たということから、紫雲石と呼ばれる。そしてこの地を四神守護の霊地として、四本龍寺を建てたという。現在は、観音堂、三重塔のみだが、日光発祥の地であり、奈良、塀運時代の日光の中心地であった。」

本宮神社
「奈良時代(710~794)に創建と伝えられる日光山内で最も古い社寺の一つであり、祭神は二荒山神社の主祭神である大己貴命の御子神の味椙高彦根命である。勝道上人がここに小さな祠を建てたと伝えられることから、日光二荒山神社発祥の地であるともいえる。」
鳥居

手水舎

拝殿



本殿



こぶ杉







神橋
「日光山内の入り口、大谷川にかかる朱塗りの橋。長さが28mあり、寛永の大造替の際に朱塗りのものにされた。」



深沙王祠





浄土院

教光院



法門院



磐梯日光店ドライブインで栗おこわ葵御膳です。1080円。

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