2019年5月23日から25日、2泊3日の草津・鬼怒川名湯めぐりと世界遺産日光東照宮のトラピクスの旅に行きました。3目目、世界遺産の「日光の社寺」のお参りです。
『日光は奈良時代から平安時代にかけて僧・勝道上人が7歳のときに、夢枕に顕れた明星天子の「お前は修業をして山を開け」というお告げを聞いて、男体山を開いたのが始まりです。日光の信仰は、神仏集合です。長い戦国の時代の後、江戸に幕府を開いた泰平の世をもたらした徳川家康は、晩年は将軍職を二代秀忠に譲り、駿府で大御所として権勢をふるった。そして死の直前、「御体は久能へ納、御葬礼を八増上寺にて申付、御位牌を八三州之大樹寺に立、一周忌以降日光山に小き堂を立て」と遺言した。それにしたがっいて、死後朝廷から贈られた東照大権現の神号を受け、日光に神として祀ったのが東照宮です。東照宮が大きく変わるのが、家康の孫・三代将軍家光の時代で、家光は祖父を敬愛し、質素に祀っていた東照宮を、当時の建築技術や経済、幕府の威光すべてを注いで建て直した。「寛永の大造営」と呼ばれ1636(寛永13)年に完成した。』
表参道
石標
石鳥居(重要文化財)
「石造明神鳥居、柱に奉寄進元和四年戊午四月十七日の刻銘がある。1618(元和4)年築造。10段の石段と、その上にそびえる高さ9mの石鳥居は、石段が上に行くほど狭く、1段の高さが低くなり、遠近法で鳥居を高く遠く見せている。」
五重塔(重要文化財)
「1818(文政元)年建築、三間五重塔婆、銅瓦葺。朱塗りの塔は、若狭の小浜藩主・酒井忠勝が献納したもので、直径60cmの心柱が4層目からつり下げられた耐震構造となっている。初層から4層までが和様、5層目のみが唐様になっている。」
五層で垂木が放射状に伸びている唐様
表門(重要文化財)
「江戸前期の1636(寛永13)年建築、三間八脚門、切妻造、銅瓦葺。」
三神庫(重要文化財)
『仁王像を左右に守る表門をくぐると右に1棟、正面に2棟の建物がある。これが右から下神庫、中神庫、上神庫で、総称して三神庫という。中には百物揃千人行列の渡御祭奉仕者1200人分の装束が納められている。上神庫の妻面にある「想像の象」と呼ばれる象の彫刻が必見である。』
下神庫
中神庫
上神庫
創造で彫った象
石灯籠
神厩舎(重要文化財)
「猿が馬の病気を治したという故事にならって馬の守り神としています。全部で16匹で、それぞれ人間の生き方を表しています。」
三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)
母親が手をかざして子猿の将来を見、子猿は信頼して母親を見上げている。子どもの将来の幸福を願う親の心を表している。
こうやまき
銅鳥居
「日本で最初に造られた青銅の鳥居」
御水舎(重要文化財)
「1618(元和4)年に佐賀藩鍋島家が奉納したもので、花崗岩の水盤ににサイフォンの原理で水が噴き上がってくる。花崗岩の12本の柱で屋根を支え、屋根の下には翼がある飛竜や波など水に関係した彫刻が見られる。」
経蔵(重要文化財)
「1636(寛永13)建築、桁行正面一間、背面三間、梁間三間、一重もこし付、宝形造、銅瓦葺。」
鉄燈籠(南蛮鉄灯籠)
『仙台藩主伊達政宗候(62万石)より奉納。ポルトガルから鉄材を運んで鋳造した。燈籠の竿の部分に「藤原朝臣正宗」の銘がある。境内には石造101基、銅製17基、鉄製2基、石造五重塔1基の121基の燈籠が現存する。陽明門直下に諸代大名、陽明門石段下に外様大名から寄進された燈籠が配され、陽明門内にはあるのは東福門院寄進の一基のみである。」
鐘楼(重要文化財)・鼓楼(重要文化財)・回り燈籠
「ここにも動物、霊獣など数多くの彫刻が見られる。ここには外国からの献納品の灯籠が集められている。仲でも目立つのが、八角形の大きな回り灯籠で、寛永年間(1624~1644)にオランダの東インド会社から奉納されたもの。三つ葉葵の紋が逆さになっているので、「逆紋の回り灯籠」と呼ばれている。そのほかにシャンデリア型の釣灯籠、スタンド型の蓮灯籠などがある。」
鼓楼(重要文化財)
陽明門(国宝)
「1636(寛永13)年築造。三間一戸楼門、入母屋造、四方軒唐破風付、銅瓦葺、左右袖壁付。高さ11.1m、幅7mの門は、彫刻の数508ある。上段の龍の頭がたくさん並んでいますが、それぞれ少しずつ口の開け具合が微妙に違っています。十人十色ということを表しています。中段は子どもが遊びに興じている彫刻、平和な世を表現しています。
境内の中から
神楽殿(重要文化財)
神輿舎(重要文化財)
「黒塗りの建物で、中には3基の神輿が納められている。中央が徳川家康、右が豊臣秀吉、左が源頼朝の神輿で、春秋の百物揃千人行列の際に渡御する。」
唐門(国宝)
「唐破風の彫刻は舜帝朝見の儀で、中央の舜帝は家康公にそっくりだと言われています。間口3m、本社を守る重要な門である。江戸時代には将軍に拝謁できる身分の幕臣・大名だけがここをくぐることを許されたものである。ここの彫刻は特に細かいものが多く、寄せ木細工の昇竜・降竜のような技術を駆使したものや、人物の彫刻が多いことも特徴がある。門の左右に延びる透塀は総延長160mあり、ここにも鳥や植物などが彫り込まれている。」
舜帝朝見の儀
「唐門の唐破風の下には、竹林の七賢人、「舜帝朝見の儀」など人物が精緻な彫刻で描かれている。」
祈祷殿
東廻廊潜門・眠り猫
『徳川家康の墓がある奥社に通じる坂下門の入り口にあたり、蟇股を飾るのが「眠り猫」の彫刻。東照宮の数ある彫刻の中でも最も有名なもの。
本地堂[薬師堂](重要文化財)・鳴竜
「徳川家康が薬師如来の生まれ変わりとされたことから、家康の本仏を祀るためにある。ここは「鳴竜」の天井画で知られる。竜の頭の下で手をたたくと、天井と床とで共鳴して鈴を鳴らしたような余韻が聞こえてくる。」
御仮殿(重要文化財)
『日光は奈良時代から平安時代にかけて僧・勝道上人が7歳のときに、夢枕に顕れた明星天子の「お前は修業をして山を開け」というお告げを聞いて、男体山を開いたのが始まりです。日光の信仰は、神仏集合です。長い戦国の時代の後、江戸に幕府を開いた泰平の世をもたらした徳川家康は、晩年は将軍職を二代秀忠に譲り、駿府で大御所として権勢をふるった。そして死の直前、「御体は久能へ納、御葬礼を八増上寺にて申付、御位牌を八三州之大樹寺に立、一周忌以降日光山に小き堂を立て」と遺言した。それにしたがっいて、死後朝廷から贈られた東照大権現の神号を受け、日光に神として祀ったのが東照宮です。東照宮が大きく変わるのが、家康の孫・三代将軍家光の時代で、家光は祖父を敬愛し、質素に祀っていた東照宮を、当時の建築技術や経済、幕府の威光すべてを注いで建て直した。「寛永の大造営」と呼ばれ1636(寛永13)年に完成した。』
表参道
石標
石鳥居(重要文化財)
「石造明神鳥居、柱に奉寄進元和四年戊午四月十七日の刻銘がある。1618(元和4)年築造。10段の石段と、その上にそびえる高さ9mの石鳥居は、石段が上に行くほど狭く、1段の高さが低くなり、遠近法で鳥居を高く遠く見せている。」
五重塔(重要文化財)
「1818(文政元)年建築、三間五重塔婆、銅瓦葺。朱塗りの塔は、若狭の小浜藩主・酒井忠勝が献納したもので、直径60cmの心柱が4層目からつり下げられた耐震構造となっている。初層から4層までが和様、5層目のみが唐様になっている。」
五層で垂木が放射状に伸びている唐様
表門(重要文化財)
「江戸前期の1636(寛永13)年建築、三間八脚門、切妻造、銅瓦葺。」
三神庫(重要文化財)
『仁王像を左右に守る表門をくぐると右に1棟、正面に2棟の建物がある。これが右から下神庫、中神庫、上神庫で、総称して三神庫という。中には百物揃千人行列の渡御祭奉仕者1200人分の装束が納められている。上神庫の妻面にある「想像の象」と呼ばれる象の彫刻が必見である。』
下神庫
中神庫
上神庫
創造で彫った象
石灯籠
神厩舎(重要文化財)
「猿が馬の病気を治したという故事にならって馬の守り神としています。全部で16匹で、それぞれ人間の生き方を表しています。」
三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)
母親が手をかざして子猿の将来を見、子猿は信頼して母親を見上げている。子どもの将来の幸福を願う親の心を表している。
こうやまき
銅鳥居
「日本で最初に造られた青銅の鳥居」
御水舎(重要文化財)
「1618(元和4)年に佐賀藩鍋島家が奉納したもので、花崗岩の水盤ににサイフォンの原理で水が噴き上がってくる。花崗岩の12本の柱で屋根を支え、屋根の下には翼がある飛竜や波など水に関係した彫刻が見られる。」
経蔵(重要文化財)
「1636(寛永13)建築、桁行正面一間、背面三間、梁間三間、一重もこし付、宝形造、銅瓦葺。」
鉄燈籠(南蛮鉄灯籠)
『仙台藩主伊達政宗候(62万石)より奉納。ポルトガルから鉄材を運んで鋳造した。燈籠の竿の部分に「藤原朝臣正宗」の銘がある。境内には石造101基、銅製17基、鉄製2基、石造五重塔1基の121基の燈籠が現存する。陽明門直下に諸代大名、陽明門石段下に外様大名から寄進された燈籠が配され、陽明門内にはあるのは東福門院寄進の一基のみである。」
鐘楼(重要文化財)・鼓楼(重要文化財)・回り燈籠
「ここにも動物、霊獣など数多くの彫刻が見られる。ここには外国からの献納品の灯籠が集められている。仲でも目立つのが、八角形の大きな回り灯籠で、寛永年間(1624~1644)にオランダの東インド会社から奉納されたもの。三つ葉葵の紋が逆さになっているので、「逆紋の回り灯籠」と呼ばれている。そのほかにシャンデリア型の釣灯籠、スタンド型の蓮灯籠などがある。」
鼓楼(重要文化財)
陽明門(国宝)
「1636(寛永13)年築造。三間一戸楼門、入母屋造、四方軒唐破風付、銅瓦葺、左右袖壁付。高さ11.1m、幅7mの門は、彫刻の数508ある。上段の龍の頭がたくさん並んでいますが、それぞれ少しずつ口の開け具合が微妙に違っています。十人十色ということを表しています。中段は子どもが遊びに興じている彫刻、平和な世を表現しています。
境内の中から
神楽殿(重要文化財)
神輿舎(重要文化財)
「黒塗りの建物で、中には3基の神輿が納められている。中央が徳川家康、右が豊臣秀吉、左が源頼朝の神輿で、春秋の百物揃千人行列の際に渡御する。」
唐門(国宝)
「唐破風の彫刻は舜帝朝見の儀で、中央の舜帝は家康公にそっくりだと言われています。間口3m、本社を守る重要な門である。江戸時代には将軍に拝謁できる身分の幕臣・大名だけがここをくぐることを許されたものである。ここの彫刻は特に細かいものが多く、寄せ木細工の昇竜・降竜のような技術を駆使したものや、人物の彫刻が多いことも特徴がある。門の左右に延びる透塀は総延長160mあり、ここにも鳥や植物などが彫り込まれている。」
舜帝朝見の儀
「唐門の唐破風の下には、竹林の七賢人、「舜帝朝見の儀」など人物が精緻な彫刻で描かれている。」
祈祷殿
東廻廊潜門・眠り猫
『徳川家康の墓がある奥社に通じる坂下門の入り口にあたり、蟇股を飾るのが「眠り猫」の彫刻。東照宮の数ある彫刻の中でも最も有名なもの。
本地堂[薬師堂](重要文化財)・鳴竜
「徳川家康が薬師如来の生まれ変わりとされたことから、家康の本仏を祀るためにある。ここは「鳴竜」の天井画で知られる。竜の頭の下で手をたたくと、天井と床とで共鳴して鈴を鳴らしたような余韻が聞こえてくる。」
御仮殿(重要文化財)
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