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備中松山城

2015-12-11 20:18:07 | 岡山
2015年12月7日、2泊3日の島根、岡山の旅行で立ち寄りました。高梁の石火矢ふるさと村の散策の後、自動車でふいご峠に向かい備中松山城をめざします。
パフレットより「この城の歴史は古く、鎌倉時代の延応2年(1240)に有漢郷(現在の高梁市有漢町)の地頭に任じられた秋庭三郎重信により臥牛山のうちの大松山に砦が築かれたことに始まります。その後、小松山に移り、城の縄張りは時代とともに変化しますが、なかでも天正2年(1574)に起こった「備中兵乱」時は、「砦21丸」と呼ばれた出丸が築かれたことが記録として残っており、臥牛山全域が一大要塞となっていたことが、うかがえます。当時の城主であった三村氏が滅んだ後も、毛利氏の東方進出の拠点として、またさらに毛利氏が防長二国に退いてからも、備中国奉行として赴任していた小堀正次・正一父子により修改築がされるなど、備中の要塞としての役割を担っていたようです。」
駐車場にいく途中で警備の方が道路案内をしています。道路が狭いため、お城から降りてくる自動車を確認しての案内です。
駐車場の石碑

案内図

ここから約700mで徒歩約20分です。



最初から登りです。











階段です。





























後300m、まだまだです。















後200m

大手門跡
「右手に石垣郡、天然の岩盤の上に石垣を築き、更に土塀を建てる山城の手法です。」









足軽箱番所





大手櫓



三の平櫓東土塀(重要文化財)
「四角い矢狭間と丸い筒狭間を備えた三の平櫓東土塀。」

二の平櫓跡



土塀









三の平櫓跡



















厩曲輪































復古図





雪隠跡







































天守(重要文化財)
「木造本瓦葺き二層二階の建物で、内部一階には囲炉裏と装束の間が、二階には城の守護神を祀った御社壇があります。古い木組みの構造の中に、美しい手斧と槍鉋の跡が見られます。」















天守の中に入ります。































二重櫓(重要文化財)
「天守同様、天然の巨石を櫓台とした二層二階建の構造です。南北2つの出入口は、北は後曲輪に、南は天守裏に通じています。」



































































お疲れ様でした。当時の城勤めの方は城下から1600mを歩いて登ってくるのは中々大変ですね。


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