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長命寺

2018-12-28 21:57:20 | 滋賀
2018年12月24日、お参りしました。
麓から本堂に至る808段の長い階段で登ります。非常に細い道ですが、自動車で本堂近くまで行くことが出来ます。そこから108段の階段を登ってお参りします。伝承によれば、第12代景行天皇の時代に、武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願した。聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見したという。これに感銘を受けてながめていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置するよう告げた。太子は早速、十一面観音を彫りこの地に安置した。太子は宿禰の長寿にあやかり、当寺を長命寺と名付けたと伝えられている。
滋賀県近江八幡市長命寺町157
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808段の階段の参道







山門

手水舎



書院





本堂(重要文化財)
「入母屋造、檜皮葺き。桁行7間・梁間6間の和様仏堂である。寺の文書から室町時代・大永4年(1524年)の建立と判明する。手前の奥行3間分を外陣、後方の奥行3間分を内陣及び後陣とする。内陣須弥壇中央には秘仏本尊を安置する厨子を置き、厨子外の向かって左に毘沙門天立像(重要文化財)、右に不動明王立像が立つ。厨子も堂と同時代の造営。」

















本堂の裏の大きな岩

三重塔(重要文化財)
「本堂の東方、やや小高くなったところに建つ。高欄擬宝珠銘から慶長2年(1597年)の建立と判明する。こけら葺きで全面丹塗。和様の一般的な三重塔であるが、初重の両脇間に連子窓を設けず板壁とすること、初重に和様には珍しく腰貫を用いる点が特色である。初重内部は須弥壇を設け、胎蔵界大日如来像(桃山時代)と四天王像(鎌倉時代)を安置する。大日如来像は像底の銘から天正17年(1589年)、七条大仏師康住とその子の大弐の作とわかる。」





閼伽井堂





護摩堂(重要文化財)
「本堂と三重塔の間に建つ宝形造、檜皮葺き、方三間の小堂。屋根上の露盤の銘から慶長11年(1606年)の建立と判明する。内部は北面中央間の側柱前に角柱二本を立て、その中に仏壇を設けている。なお、寛政5年(1793)にこの仏壇上に壇を重ねてその上に作り付けの厨子を新造している。三間四方の正面中央は桟唐戸、正面左右は連子窓で、側面中央は板扉または板戸、側面前方は連子窓で、他は板壁という簡素な造りである。また、柱は全て角柱で、絵様大斗肘木に軒先は疎垂木木舞打という軽やかな姿である。」





石碑

三仏堂(滋賀県指定有形文化財)
「桁行五間、梁間四間の入母屋造、檜皮葺き、丹塗の堂で、側廻りは円柱に舟肘木をのせた簡単な造りであるが、内部は木鼻・実肘木を入れた三斗を組む。軒は二軒疎垂木で、背面では一軒としている。元暦元年(1184)佐々木秀義の菩提を弔うため、その子定綱が造立したと伝え、釈迦・弥陀・薬師の桟尊を祀る。永禄年間(16世紀半ば)頃の建立と推定されるが、江戸時代の寛政5年(1793年)に改造されている。」



護法権現社(滋賀県指定有形文化財)
「 三仏堂の西に、短い渡り廊下を経て護法権現社の拝殿がある。拝殿は入母屋造檜皮葺きで、隣の三仏堂と同じく永禄8年(1565年)頃の建立と推定される。奥にある本殿は一間社流造で江戸時代後期の建立。長命寺の草創説話にかかわる武内宿禰を祀る。」





鐘楼(重要文化財)
「境内西方の高い位置にある。入母屋造、檜皮葺き、重層、袴腰付きの鐘楼。上棟式の際に用いられた木槌に慶長13年(1608年)の銘があり、建立年次が判明する。内部の梵鐘は中世にさかのぼるものである。」

如法行堂
「勝運将軍地蔵尊・智恵文殊菩薩・福徳庚申尊安置。」

修多羅岩
「修多羅とは、仏教用語で天地開闢、天下太平、子孫繁栄をいう。封じて当山開闢長寿大臣、武内宿禰大将軍の御神体とする。」





太郎坊権現社
「鐘楼のさらに西方にある、長命寺の総鎮守である。ここに祀られる太郎坊とは大天狗の名で、寺の縁起によれば、後奈良天皇の時代に長命寺にいた普門坊なる超人的力をもった僧が、寺を守護するため大天狗に変じたものという。境内の中で最も琵琶湖の展望が良い。」













拕柷尼天尊(稲荷大明神)





琵琶湖の景色



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