2019年1月23日、お参りしました。
説明書より『旧長野・古野の一部を氏神とするこの神社は素戔嗚大神を祀っている。また長野恵比須としてもよく知られている。江戸時代中期の頃までは、木屋堂宮・牛頭天王宮とも言われ、命じ元年に長野神社と改称された。
長野神社は、明治初年の神社合祀でつけられた名称です。江戸時代には「木屋堂宮」あるいは「牛頭天王宮」と呼ばれていました。この「木屋堂」は正和2年(1313)の後宇多院御幸記に木屋堂御所の記載が初見です。その後も元弘3年(1333)の粉河寺文書や応永6年(1399)の日野観音寺大般若経奥書に「木屋堂」の記事が見られます。』
大阪府河内長野市長野町8−19
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本殿(重要文化財)
「長野神社の本殿は、一間社流造りで、正面に千鳥破風と軒唐破風がつき、屋根は檜皮葺きです。この建築年代は、天文18年(1549)の棟札のある観心寺の訶梨帝母天堂や天文12年の棟札のあった堺市の多比速比売神社本殿とも似ていますので、これらと同時代と推定されています。」
五社
恵比須社
天神社
カヤの木(大阪府天然記念物)、幹回り4メートル、高さ約17メートル
説明書より『旧長野・古野の一部を氏神とするこの神社は素戔嗚大神を祀っている。また長野恵比須としてもよく知られている。江戸時代中期の頃までは、木屋堂宮・牛頭天王宮とも言われ、命じ元年に長野神社と改称された。
長野神社は、明治初年の神社合祀でつけられた名称です。江戸時代には「木屋堂宮」あるいは「牛頭天王宮」と呼ばれていました。この「木屋堂」は正和2年(1313)の後宇多院御幸記に木屋堂御所の記載が初見です。その後も元弘3年(1333)の粉河寺文書や応永6年(1399)の日野観音寺大般若経奥書に「木屋堂」の記事が見られます。』
大阪府河内長野市長野町8−19
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本殿(重要文化財)
「長野神社の本殿は、一間社流造りで、正面に千鳥破風と軒唐破風がつき、屋根は檜皮葺きです。この建築年代は、天文18年(1549)の棟札のある観心寺の訶梨帝母天堂や天文12年の棟札のあった堺市の多比速比売神社本殿とも似ていますので、これらと同時代と推定されています。」
五社
恵比須社
天神社
カヤの木(大阪府天然記念物)、幹回り4メートル、高さ約17メートル
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