旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

旧吹田村散策、高浜神社・浜屋敷・吹田の渡・弘誓寺・光徳寺・円満寺・泉殿宮

2019-06-29 20:57:26 | 大阪
2019年6月27日、旧吹田村を散策しました。あいにくの雨でした。JR吹田駅下車し、南側の旭通り商店街を400mほど進みます。











内本町コミュニティセンターを見ながら、少し左手に進んだところに鳥居が見えます。



高浜神社
説明書より「当社の創立は悠遠にして不祥なるも古文書によれば735(天平7)年既に吹田の大宮として存在せし古社である。又869(貞観11)年には素戔鳴大神祀って疫病の流行を止めてもったとも伝へられている。神社の前面御所の内牛丸附近に太政大臣藤原氏の吹田殿営まれて1251(建長3)年後嵯峨上皇御遊幸の時、当社にも御参拝「来て見れば千代もへぬべし高浜の松に群れいる鶴の毛衣」を詠まれた。太政大臣藤原氏代々、足利将軍家代々領主竹中氏代々、郷土橋本氏代々及び遠近衆諸の崇敬厚かった神社である。尚当社は病気災難除けの神和合の神、学問智慧の神、福の神として古来有名な大社である。」
大阪府吹田市高浜町5-34
map







手水舎





神馬

お牛様



御神木(鶴の松)・和加久寿大明神
「昔の境内はこのような松の大木がたくさんありまして鶴が巣を作りましたが、太閤秀吉が大阪城築城の時、用材として切りとられたとの伝説が残っています。この松の大木は1786(天明6)年の台風に倒れましたが今は巳さんの信仰があります。」

拝殿

狛犬



本殿





社務所



高浜殿

福神社





石灯籠(吹田最古)
『吹田で最古と言われる石灯籠は1620(元和6)年江戸時代前期の建立です。石灯籠の竿部分の文字は「元和六年」「奉寄進 牛頭天王御神前」と刻まれており、願主 吹田村住人 久左衛門とあります。銘文からは、高浜神社の主祭神「素戔鳴尊」に献じられた事がわかり、江戸時代初めに当神社が「牛頭天王社」と呼ばれていた事と一致します。』



本真寺







神社の前の道を南に200mほど進みます。
浜屋敷
『江戸時代吹田村の旧庄屋屋敷です。吹田市が寄贈を受け、歴史と文化のまちづくりに関わる文化活動や交流の場として活用するため、吹田歴史文化まちづくりセンターとして生まれ変わりました。日本の伝統的建築技術によって造られた主屋は、敷地内で「くらし」の中心的存在をなす建物です。畳の間は「田の字型」の間取りが特徴で土間を併せ持っています。屋根は入母屋造りで落ち着いた雰囲気を醸し出しています。土間はタタキとも呼ばれ大戸口(オモテ)側には年貢米などが置かれていました。その反対側にはかまどハシリ(流し)井戸が据えられていました。かまどは大阪府内では「へっつい」と呼ばれていました。蔵棟三棟は「部屋蔵」「中の蔵」「隅の蔵」からなっています。』
大阪府吹田市南高浜町6-21
map



























観音寺
浜屋敷の南側にあります。











南町道標(旧街道分岐点)[すく(直進)大坂 右 京 左 中山]
「この道標は、亀岡街道から吹田街道が分岐するところにたてられています。この二街道が吹田渡を要として、大阪と京・北摂地方や能勢方面を結ぶ大切な道であったことをしめしています。」





南に100mほど進んで川に出ます。
吹田の渡
『このあたりは、もと神埼川の船渡しであった吹田の渡があったところです。この渡は大坂から丹波へ向かう亀岡街道の道で、西国街道にもつながり、また、古代では三島路であったとみられる交通の要地で、「摂津名所図会」などにも記されています。かつて、三国川と呼ばれていた神埼川は、奈良時代末期に淀川と直結し、京都と西国をつなぐ水路として発達しました。そのころから、吹田は津(港町)として栄え、また、その景観をたたえて、貴族達が訪れました。鎌倉時代には西園寺公経が別荘「吹田殿」を設けたことも知られています。室町時代には水運はますます盛んになり、江戸時代には、過書船株を持つ家がありました。明治になって鉄道が開設され、水運が衰え始めましたが、昭和初めまでは吹田浜には廻漕業者があって、にぎわっていました。吹田の渡は、もとは川幅も広く、堤の間が二百三十間はあり、ここを渡し船が通いました。江戸初期では渡し船は一艘でしたが、幕末には五艘になっており、大正時代の記録では一艘に三十人、牛馬五頭を乗せることができました。明治8年に渡し船は廃止され、有料の高浜橋が架けられましたが、神崎川の付け替えによって、新たに高浜橋が架けられ、この旧橋は大阪府に寄付され、修築されて、現在の上高浜橋になっています。』







高浜橋



橋を北に100m進んで左に進みます。右手に泪の池公園の南側に墓地があります。
松の音善蔵の墓
「明治時代に大坂相撲で活躍した吹田市出身の大関力士」

西に進んで右手に進みます。
弘誓寺
「浄土真宗本願寺はの寺院、山号は難思山です。」















大の木神社









旧西尾家住宅
大阪北部地震により建物等の被害があり復旧が完了するまでは休館でした。

少し北側に進むと茅葺の旧家が残るまちなみ



さらに北西に進みます。
光徳寺
「寺伝によると1542(天文11)年、土地の住人道清が開基したといわれています。浄土真宗本願寺派の寺院です。」













北に進みます。
円満寺
「高野山真言宗の寺院です。摂津国第四十二番札所、735年に行基によって開山された寺院で、最盛期は数万坪という広大な寺領荘園をもち足利将軍や名将吹田氏が菩提寺として信仰されていたのですが、応仁の乱の兵火によって全焼し、寺領荘園のすべてを失ってしまった。
大阪府吹田市元町28-13
map
仁王門







手水舎

本堂













水子地蔵尊

めぐみ地蔵

香炉

ふれあい地蔵

あゆみ地蔵

庫裏

釈迦涅槃仏

仏足



修行大師像

鐘楼堂

鎮守堂



七福神両天堂





弁天堂

天照皇大神宮





泉殿宮
「古来は宇迦之御魂大神のみを祀っていた。869(貞観11)年に当地が長く旱魃に見舞われた際、平安京に迎えられようとしていた建速須佐之男大神の神輿が当宮に滞在していた。里人は建速須佐之男大神を相殿とした上で降雨を祈ったところ、たちどころに驟雨がもたらされ、旱害から救われた伝えられる。」
大阪府吹田市西の庄町10-1

































コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 吉志部神社 | トップ | 貞光の二層うだつの町並み »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

大阪」カテゴリの最新記事