今日は、大分での観光記録をお届けします。
3日間もいたので、駅周辺の徒歩圏内ばかりではありますが、あちこちと回ることができました。
まずは、大分駅前の大友宗麟像から。
大分には、駅からしばらく歩いた海の近くにも、大友宗麟像があります。
微妙に違いますよね。
後者の大友宗麟像は、南蛮貿易場の跡地に建てられたものです。
お次は、大友宗麟が住んでいたと言われる館の跡。
住宅街の中にちょこんと残っています。
大友宗麟はキリシタン大名でキリスト教の布教に努めたため、大分市中心部にはフランシスコ・ザビエル像もあります。
その他にも、市の中心部にある遊歩公園では、天正遣欧使節団として派遣された伊東マンショの彫刻や、西洋音楽発祥記念碑などがあります。
また、同じく遊歩公園にある西洋技術発祥記念像からは、宗教観のみにとどまらず西洋が先進的な技術をももたらしていたこと、それを取り入れた大分が当時日本の中で最先端の文明を誇っていたことをうかがい知ることができました。
その遊歩公園では、土曜市が開催されていました。
にぎわっているように見えたのですが、今年の3月で終了してしまうんだとか。
遊歩公園には、滝廉太郎終焉の地もあります。
ここからは神社、お寺シリーズ。
まずは春日神社。
10日に訪れたのですが、まだ初詣の人でにぎわっていました。
ご神木のクスノキは、推定樹齢が1000年を超えているんだとか!!
続いては弥栄神社。
大分駅南部の上野丘公園の中に、静かにたたずんでいます。
お次は金剛宝戒寺。
こちらも上野丘公園の中にたたずむ、真言宗のお寺です。
次の元町石仏は、国指定史跡になっているものです。
掘り出された時の状態そのままの外観で、今までチェバが見た石仏の中でも、最も素晴らしいように思いました。
思わず手を合わせましたよ。
さぁ最後の2枚。
天守閣は残っていませんが、府内城の跡が少しだけ残っていました。
お城好きのチェバは見逃しません。
ラストは、この赤レンガの建物。
この地域のシンボルのようですが、これ実は大分銀行なんです。
この建物がある中央通りは、「赤レンガ通り」とも呼ばれているんだとか。
とても素敵な建物でした。
街歩きも良かったのですが、とり天やりゅうきゅうなどの食べ物もおいしくて良かったです(関サバやふぐには高くて手が出ませんでしたが……笑)。
もうちょっとお金に余裕のある時に、また来たいと思います☆
3日間もいたので、駅周辺の徒歩圏内ばかりではありますが、あちこちと回ることができました。
まずは、大分駅前の大友宗麟像から。
大分には、駅からしばらく歩いた海の近くにも、大友宗麟像があります。
微妙に違いますよね。
後者の大友宗麟像は、南蛮貿易場の跡地に建てられたものです。
お次は、大友宗麟が住んでいたと言われる館の跡。
住宅街の中にちょこんと残っています。
大友宗麟はキリシタン大名でキリスト教の布教に努めたため、大分市中心部にはフランシスコ・ザビエル像もあります。
その他にも、市の中心部にある遊歩公園では、天正遣欧使節団として派遣された伊東マンショの彫刻や、西洋音楽発祥記念碑などがあります。
また、同じく遊歩公園にある西洋技術発祥記念像からは、宗教観のみにとどまらず西洋が先進的な技術をももたらしていたこと、それを取り入れた大分が当時日本の中で最先端の文明を誇っていたことをうかがい知ることができました。
その遊歩公園では、土曜市が開催されていました。
にぎわっているように見えたのですが、今年の3月で終了してしまうんだとか。
遊歩公園には、滝廉太郎終焉の地もあります。
ここからは神社、お寺シリーズ。
まずは春日神社。
10日に訪れたのですが、まだ初詣の人でにぎわっていました。
ご神木のクスノキは、推定樹齢が1000年を超えているんだとか!!
続いては弥栄神社。
大分駅南部の上野丘公園の中に、静かにたたずんでいます。
お次は金剛宝戒寺。
こちらも上野丘公園の中にたたずむ、真言宗のお寺です。
次の元町石仏は、国指定史跡になっているものです。
掘り出された時の状態そのままの外観で、今までチェバが見た石仏の中でも、最も素晴らしいように思いました。
思わず手を合わせましたよ。
さぁ最後の2枚。
天守閣は残っていませんが、府内城の跡が少しだけ残っていました。
お城好きのチェバは見逃しません。
ラストは、この赤レンガの建物。
この地域のシンボルのようですが、これ実は大分銀行なんです。
この建物がある中央通りは、「赤レンガ通り」とも呼ばれているんだとか。
とても素敵な建物でした。
街歩きも良かったのですが、とり天やりゅうきゅうなどの食べ物もおいしくて良かったです(関サバやふぐには高くて手が出ませんでしたが……笑)。
もうちょっとお金に余裕のある時に、また来たいと思います☆