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須磨観光ハウス~花月と猫の物語

1937年(昭和12年)に神戸市迎賓館として誕生した須磨観光ハウス「花月」と猫ちゃんたちを応援するブログです。

花月と人(3)~安東聖空

2020-08-30 12:16:45 | 日記
2025年大阪万博のシンボルマークが発表されました。

公益社団法人2025年日本国際博覧会協会

最初は「えっ?」と驚いたものの、最近でいう「キモカワ」風、印象的なシンボルマークですね。

「1970年の大阪万博は人生という地図の出発点・再出発点だ」という方はたくさんいて、私もその一人です。老いも若きも、日本人を広い世界へと目を開かせ、目を向けさせてくれた素晴らしいイベントでした。
2025年のシンボルマーク製作者も「太陽の塔」に多大な影響を受け、そのオマージュとしてマークを作成したとおっしゃっています。桜のシンボルマークに似ている(全体の形がですか?)という方もいらっしゃいますね。

さて、家族が2005年愛知万博(愛・地球博:テーマは自然の叡智)に関わっていたこともあって、愛知万博のシンボルマークを再確認してみました。
「モリゾー・キッコロ」のキャラクターが際立っていたので、シンボルマークは覚えていないんですね。確認すると愛称ロゴマークとのバランスは良いのですが、残念ながら単独では印象が薄い気がしました。
自然との共生、それでいいのでしょう。何かが際立つより全てが調和することに価値を持つ、「世界に一つの花」が流行った平成日本の思想の現れでしょう。それはそれで価値あるものだと思います。

「花月」には、大阪万博「日本館」貴賓室の正面でお客様をお迎えした「書」があります。書家の名は安東聖空(1893-1983)、かな書道の第一人者です。
読んでみてください。「花は誇らず その美 見る人にあり」、書体も意味も日本館にふさわしいものです、そして終の棲家になった「花月」にもふさわしい言葉です。

月刊 神戸っ子 連載 神戸秘話 ⑨

海外で働いた経験があります。海外に出ると自分が「日本を知らない」ことがよく分かり、帰国後はまず良き日本人になろうと思いました。まだまだ修行中ですが、国際人への第一歩は英語の習得ではなく、日本人になることだと思います。

この書にある日本的な価値観、外国人がいう「サムライ」的な価値観は日本の誇る美徳でもあります。「みんな違って、みんないい」という意味を軽くとらえない方がいい、誰もがそれぞれの自己を主張すればいいという意味ではなく、人に認められても認められなくても、それぞれが黙々と、おのれの努力を重ねる日本人の美意識をこの言葉に探ることもできます。
いまいち分かりにくければ、同じく神戸ゆかりの作家、山本周五郎の『蕭々十三年』などを読んでみられてはいかかでしょうか。

2025年の大阪万博を個人的にはとても大変楽しみにしています。
そして「その現場で働いてみたいな」と夢見ています。世界・自然・宇宙・人類・体内・・・・・スケールの違いはありますが、構造が似ているように思います。2025年の万博は人間の体内、生命の可能性を探ることがテーマだと思いますが、その中でウィルスとの共生も見えてくるかもしれません。大阪万博、今から期待が持てます!

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【公式】神戸須磨の会席料理ランチ・ディナー │ 味と宿 花月
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お盆~往く命・来る命・還る命

2020-08-10 15:52:50 | 日記
14歳4か月のご長寿金魚、2006年祇園祭の金魚すくいで友人がもらってきてから長生きをしてくれた出世魚、愛魚が逝きました。8月9日12時19分でした。多臓器不全の老衰、寿命が来たようです。金魚の命は15歳ぐらいが限界と聞いたことがありますので、まさに与えられた生を、生ききった命でした。

今年の夏の初め、2020年6月に愛猫を亡くしたばかりで萎れていた心を、ひと月支えてくれた金魚でした。
愛猫と同じく障害(奇形)がありました。金魚すくいの戦いを勝ち抜いてきた結果、身体が曲がりヒレも無くなっていました。のっぺらぼうでしたが、愛嬌があって人好きで、錐揉みのような泳ぎ方を「剣の舞」と呼んでいました。
剣の舞でイルカのように跳ねて、水槽の外までビチャ!!っと元気いっぱいに大きく水を飛ばしていました。気のいい子でした。

母の勧めで10時頃に最後の餌をやりました。嬉しそうに食べましたが、少し吐き出しました。11時半ごろから傾きはじめ、1時間ほどで苦しまずに亡くなりました。大往生でした。
ありがとう、よく生きたよ。

母は「お盆の道が開いたよ。天国に行けるよ」と言いました。そうですね、お盆です。祖先も愛猫たちも帰ってくる「天国(浄土・極楽)からの扉」が、まさに開きます。

最後の愛猫が亡くなり、葬儀に参列してくださった時にマネちゃんは「大丈夫。猫は同じ形になって帰ってくるから・・・」とおっしゃいました。その時は言葉の意味がよく分かりませんでした。だって同じ猫はいませんから・・・。

しかし、先月、花月猫ちゃんに二組の親子が出来ました。
お母さん猫にはそれぞれ二匹ずつの子供がいましたが、不思議なことに二組とも、仔猫の一匹はお母さんと瓜二つの全く同じ模様でした。黒いちょび髭まで同じでした。そしてもう一匹の仔猫は全く違う模様でした。
自然は遺伝子を引き継ぎ循環させているのかも知れません。同じものを繋ぎ、違うものを生み出す、そんな命を引き継ぐ工夫が自然の摂理にあるのかもしれません。

これが、「猫は帰ってくる」ということでしょうか。だったら、往ってしまった大事な家族たちも、いつか新しい命として還って来てくれるかもしれません。私は多分その子たちと会うことはできませんが、その命に幸多かれと祈ります。もし帰ってきてくれることがあるならきっとすぐ気がつくでしょう。

「素晴らしい命が輝きますように」と祈ってお盆を迎えます。暑い日々、皆さまもご自愛ください。



広島~被爆建物保存

2020-08-08 09:09:54 | 日記
8月6日は広島原爆投下75年目の日でした。
辛坊さんの「ウェークアップ!ぷらす」で「被爆建物の保存」を取り上げていました。

金銀紙を扱う会社である「歴清社」は、倉庫の一部を被爆当時のままで使用されています。補修と耐震工事に数千万、歴史を守るために売り上げに応じて少しずつ工事を進められるそうです。

この倉庫のおかげで海外との取引が成功した例もあったようで、海外の方、そしてその土地に根を下ろした住民には価値が分かるのですね。

歴清社倉庫(被爆建物)~広島広域観光情報公式サイト「ひろたび」より 

一方、広島市南区に残る被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」について、広島県は3棟のうち2棟を解体する方針だそうで、理由は高額な耐震工事。
地元住民からは保存の声が上がっています。上記「歴清社」のような民間でも、自力で費用を少しずつでも捻出しながら歴史を保存する動きもあるのに、県はどうして目先の費用に振り回されるのか・・・不思議ですね。

広島アンデルセン」・・・全国展開する美味しいパン屋さんですね。
私は「アンデルセン」には全く悪意はないのです。三井銀行広島支店(のちに旧帝国銀行広島支店)として建てられた被爆建物の解体は忍びなく商業施設として買い取り、リノベーションを引き受けた。むしろ素晴らしい選択だと思います。
しかし、国・県・市が自力で何とかできなかったのでしょうか。寄付金を募る活動など、官民一体の活動もできたはずですね。

日本で歴史的建造物をリニューアルするにあたって、なぜ「カフェ」や「レストラン」や「店舗」になってしまうか?私の言いたいのは「ここ」なんです!!

お金や商売よりも、歴史的にふさわしい残し方をする、民間でも個人レベルで努力して守ろうとする価値を、大きな組織で守る。
それができるのが国・県・市なんです。須磨浦公園も観光ハウスも、幸運なことに神戸市の持ち物なので、歴史的価値の現状維持がなされているのだと思います。今後も神戸市には軸がブレないことを期待しています。

この点、広島は本当に不思議です。
私はカンボジア国立トゥール・スレン(虐殺犯罪博物館 )に、2回行きましたが、自分の年齢によって感じるものが違うので、恐ろしさの戦慄は同じではありませんでした。

観るのも辛い体験は、2回とも深く人間を探る糸口になりました。
トゥール・スレンはプノンペンの一等地にある学校跡です。カンボジアは急速に発展していますが、ここがマンションになったり、カフェになることは絶対にないと思います。

広島の被爆建物も、この後も原爆による死者や犠牲者に畏敬の念をもつ歴史的建造物であってほしいのです。

須磨浦公園(1)~ 昭和の歴史

2020-08-05 09:17:08 | 日記
須磨観光ハウス花月には昭和天皇もお越しになったといわれています。
それもそのはず、ウィキペディアを読んでいてピンと来たのですが、須磨浦公園はそもそも御料林(旧憲法下での皇室所有の森林 )であった場所。昭和天皇のご成婚により有償払い下げを受けた土地だからです。


この時すでに、一ノ谷御料林の一部を借り受けて明治23年頃から営業していた旅館「須磨花壇」ら(払い下げについても内定済みであったという)と神戸市の間で、所有権に関わる訴訟が起きました。

昭和10年の新聞記事によると、平家の末裔である「須磨花壇」の関係者は、神戸市よりも有償払い下げ順位の上位にいて、同地での営業続行を希望しており、宮内省とも既に契約が成立、後は支払いのみだったようです。

そして、当初は神戸市も「須磨花壇」ら民間人への有償払い下げに同意していたそうです。歴史的に見れば当然ですね。キチンと歴史的景勝地を守ってきた人々が立ち退く必要はありません。

私は神戸の郷土史を勉強しているのですが、そもそも須磨浦公園は長田神社の飛地の御旅所であるため、民間人がダメなら、長田神社のほうが神戸市より払い下げに対する上位の順位を有していたという理屈も納得です。古来から須磨浦公園は長田神社ゆかりの土地なんです。

結果、神戸市は横やり(?)を入れて、昭和10年に神戸市立の須磨浦公園が完成します。「須磨花壇」の末裔さんたちはどうなったのでしょう、とても悔しかったでしょうね。強制立退きさせずとも、共存できたのではないでしょうか。

その後、2~3年をかけて「須磨観光ハウス」が完成します。これまでの経緯をみると、観光ハウスには神戸市の威信がかかっていますので、名建築なのは当たり前ですね。当時の営業は「みかど食堂」でした。詳細は以前のブログの新聞記事をご覧ください。それからまもなく戦争に入り、戦後は進駐軍に接収されます。

そして、戦後昭和22年(1947年)、金井一族の創業者、マネちゃんのお祖父さまが「須磨観光ハウス」で「花月」を立ち上げ、営業を始めます。終戦後わずか2年です。
それから73年間、マネちゃん一族はこの地を守り続けてきました。マネちゃんご兄妹は定期券をぶら下げて、小学校には山陽電車で通ったそうです。西須磨小学校出身とのこと。小学生には遠い!

そんな須磨浦公園、現在は神戸市公園協会が保全しているようです。

近年、不況からなのか地方公共団体は土地を売却したり、施設を民間委託したりすることも多いようですね。
都市部の小学校などは合併すると、跡地は民間に売却されてすぐにマンション等が建ちますよね。日本の歴史的建築遺産はどんどん変化しています。
それどころか、公園などは、維持管理に費用がかかるだけだった広大な空間を、逆に収益施設も誘致して「儲かる観光資源」として積極的に稼いでもらうように方向転換がなされているようです。

新しいマンションになったり、近代的なビルに改築して不自然にエントランスだけを残したり、いつの間にか安っぽい店舗が立地して風情を損ねたり・・・非常に残念なことです。神戸市はこの場所を無理してまで欲しかったのですから、まさか手放すことはないでしょうが、もし民間に売却したり委託したりすると、風光明媚であるがゆえに、また海辺にマンションが建つかもしれません。原風景、心の風景はみんなものにしておいてほしいです。

日本の人口は減っています。戦後ずっと新しいマンションや郊外の家を作ってきた日本、外国のように歴史的建造物を大事に100年以上リノベーションしながら保存する手段もあります。パリの街並み、我らが京都の街並みにも規制があります。街だけでなく「風景」も文化遺産として残してほしい。

神戸市の持ち物である須磨浦公園、せっかく官営なんだから、今後も経済効果だけに走らない手段を模索してほしいと願っています。

そして、「人の歴史」も大事に大事にしてほしい。代々受け継がれ、受け継ごうとしている想いは時代を作ります。日本の転換期は既に来ています。経済効果だけで物事を計る時代はもう終わったと思うのです。


花月の器(2)~花月オリジナル・再び

2020-08-02 06:18:42 | 日記
先般、「花月オリジナルセット(ノリタケ)」をご紹介しましたが、無名であっても優れた発注品を二点ご紹介します。

まず、もう一枚しか残っていないお皿です。もちろん花月のシンボルマーク「源氏香・須磨」 入り、御所車に少し立体的な桜の花びらが舞う様が雅です。真ん中はお料理用に空いていますので、お料理を盛りつけて食べたいものです。御所車は帯の図案などでよく目にしますが、御所車=源氏車なのを初めて知りました。ここに「源氏」が隠れているとは粋なはからいですね。



花月の源氏は「光源氏」で、「源氏と平家」の源氏ではありません。源氏車とはそもそも源氏物語にゆかりがあるのでしょうが、東北地方を中心にした佐藤氏の家紋になっているようですね。関西、特に神戸は「平家」びいき。帯や着物の文様を「御所車」と言っても「源氏車」とは言わないのかもしれません。

また、ズバリ!シンボルマーク源氏香・須磨の「陶板焼き用品」。鉄?銅?真鍮?家族で色々な意見が出ましたが、みんなうとくて分かりません。誰か教えていただけませんか?