もう直ぐ2月がやって来る。
1年の節目とされる節分をもって、ようやく昨年度が終りを告げる。
忌み嫌われる厄年も、この2月3日の節分で終るのだが、そもそも厄年を全て悪の根源として考え捉えているのはいかがなものか?
あくまでも体にガタが来る頃合で、体には十分気をつけなさいよ。という事なのだが、災いをすべて厄年におっかぶせる風潮はヤメて欲しい。
節分も然りで、関西方面の風習だった巻き寿司の丸かぶりも、海苔屋が海苔を売り出すために絞り出したアイディアを、寿司屋と共に広げた大阪商人の苦肉の策。
コンビニのセブンイレブンが売り出した事で、瞬く間に全国区に広がった。
それはそれでいいのだが、深い意味を含めて広がればもっといいのに。とつくづく思う。
ボヤキはこれくらいにして、花は何も考えずにただただ咲くから美しい。
天才松本隆さんが、盟友松田聖子のために書き下ろした「櫻の園」に、「雨上がりの櫻の花、散るために咲くから綺麗なの」と歌っているが、その潔さが人の心を引き寄せるのだろう…
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます