花笑 はなえみ

          呼吸を大切に 呼吸を忘れないで と願っています

映画 終戦のエンペラー

2013年09月15日 07時24分39秒 | 映画
この映画を見に行った理由は、
面白そうだと思ったからではなく、
見たいと思ったからではなく、
時間が空いたから埋めたかっただけ、
でしたっけ。

史実的な戦争、に関わる映画って初めて見ました。

いろんな争いがあるけれど、
戦争って、人間に、何を与えてくれるものなのでしょうか。
戦争、勝者への褒美、誰が、何を、与えるのか、それを解っている人間を
あなたは知っていますか。
そして、敗者とは何者を指すのでしょうか。
恐怖を抱いていたのは敗者だけだったでしょうか。
人間性の喪失は敗者だけだったでしょうか。
国家の誇り、民族の誇り、家族の誇り、ひとりの人間としての誇りを、
勝者が敗者を裁けるのでしょうか。

何故、私はこの映画を見に行ったのでしょうか。
何故、アメリカは戦争を選択したのでしょうか。
何故、日本は戦争を選択せざるを得なかったのでしょうか。
何故、世界は戦争を回避できなかったのでしょうか。
何故、人間は戦争を回避できないのでしょうか。
何故、人間は闘いを選択したのでしょうか。
何故、生命は人間を選択したのでしょうか。
何故、生命は選択を誤ったのでしょうか。
それとも、選択の問題ではなく、
単純な誰かの自己都合とか経験志向とか好き嫌いなどという類の、単純な問題なのでしょうか。
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人間の視点で、地球を大きく分類・分解していくと海と陸と空になります。大陸・島・海洋・天空など含めてそれらを分類・分解していくと国家になります。国家を分類・分解していくと地方になります。さらに地方を分類・分解していくと地域になります。そこからさらに小さな地域に区切ります。その小さな区域には学校、会社、商店が配置され、いくつもの共同体があります。またさらに細かくしていくと血縁共同体、そして家族、そして個人まで分類・分解できます。

ひとりひとりの集合体から事は始まるのです。
ひとりからふたり、ふたりからさんにん、さんにんからじゅうにん、このあたりまでだとまだ人間らしいかな。
100人、1000人、10000人なんて書いてくると人間のことを書いているというより、データのことを書いている気分になってきます。
人はいつから、人は何をきっかけに、人はどの段階で、人である意識や認識を喪失していくのかな。

1000、10000、100000、1000000、10000000、1000000000000000  ・・・・・・ 数字の集合体は、何かしら分類したくなるような記号です。
何を分類するかといえば、疑心、差別、志向、恐怖心、嫌悪感、優越感、富集め、主導権集め、あるものをないとするもの、ないものをあるとするもの、国、信条、民族、人間、世界の将来図、自国の領土、自国の利益、世界のエネルギー量など、見えるもの・見えないものを含めてほぼ無限ですね。欲の塊の人間の考えることですから。
いろんな物事が交錯してある種の団体が出来上がったりします。

最初は小さくても、1年、10年、100年、1000年、10000年と時間が蓄積されていくと垢がたまってきます。
ひとり、ふたり、さんにん、10人、100人、1000人、10000人と歴史が蓄積されていけば垢も落とせなくなります。
でも、始まりは小さいのです。

ひとりを大切に、いちにちを大切に、人間以外のいきものも大切に、ちいさな花、ちいさな虫、身近な動物も大切に、つながりを大切に、次代へ引き継いで欲しいものは、大切なものは何でしょう。
人類がためこんできた垢の中から、良いものを選び取って活用していく叡智の力こそ必要なものです。
それは、慈悲の力とともに人類の宝だと思います。
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戦争って、人間から、いろいろなものを奪っていきますが、
戦争が与えてくれるものを知っている人間がいるから、
回避できないのでしょうか。

人間って、その都度、何かしらを選択し、
何かしらを捨て、何かしらを手にし、
時間の世界を突き進んでいますよね。
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どちらかと言えば勝ち負けや闘いの類を好まず、
日常、スポーツ観戦などほとんどしない生活なので、オリンピックも見ませんし、テレビも置いていませんし、新聞の購読もありません。
人間的に、どっかが、何かが欠落してるのかな。

そんな私が、10月にスポーツ観戦をしてきます。
贔屓のチームもないのに、プロバスケットのチケットを買いました。
どういう心境の変化かは我ながら知りませんが、
人生、こんな経験は悪くはありませんよね。

どちらのチームが勝ち、どちらのチームが負けるのか、
私はそれを見なくちゃならないんですね。
スポーツに関わる人って、引き分けは好みませんよね。
そして、試合中、試合後の結果については、勝者でもない敗者でもない審判員が判定します。
時として、審判員の判定に対して観戦者がジャッジを下すんですね。
そこのところが面白いです。
スポーツですから、勝者だからといって敗者への判定を下すことはできません。
勝者だからといって、審判員だからといって、観戦者の感情や思いを意のままに動かすこともできません。
スポーツ観戦は、そこのところが面白いのかもしれません。
こういうのを野次馬っていうのでしょうか。