花笑 はなえみ

          呼吸を大切に 呼吸を忘れないで と願っています

映画 世界を変えた男

2013年11月05日 08時55分03秒 | 映画
秋です。図書館へ寄って絵本を借り、その足で菊人形展を見て、かねてより計画していた『世界を変えた男』を見てきました。

ジャッキー・ロビンソンというメジャーリーガーの物語です。
彼が登場するまでは白人選手のみが出場できたプロスポーツ、野球です。
太平洋戦争終結直後から彼の力は目に見え発揮されていきます。

彼が何故成功したのかは、映画からははっきりとは掴み切れませんでしたが、才能も体力もその魂も心も並外れていたことと、運命の出会いがあったからかもしれません。
運命の出会いとは、球団ゼネラルマネージャー、ブランチ・リッキーとの出会いです。

黒人に対する根強い偏見、人種差別・・肌の色(黒、黄、白等)による人種の区別がくっきりと刻み付けられている社会、レストラン、ホテル、バス等の乗り物、トイレまで別々に区別をつけられている日常生活です。凄まじい迫害があったようです。

そんな中、ジャッキーの野球に対しての優れた才能を発掘し支えたブランチ・リッキーという人物は、やはり並外れた魂と心の持ち主だったことでしょう。

このブランチ・リッキーは、時々、対立している相手を説得するときや交渉するとき、聖書の引用、天国、神のことを口にしています。この人は強い信念の持ち主であると共に、強い信仰をもって、いばらの道、嵐の道を突き進んでいった人なのでしょうね。
ブランチ・リッキー自身は、ジャッキー・ロビンソンを、苦難のイエスにも譬(たと)えていました。

奴隷制度の記憶も国民の間にはかなり残っていて、肌の色を取り立てて人間の優劣を決め付けることもありふれた時代、白人社会だったアメリカが舞台の映画です。

私が子どもの頃、きょうだいの誰かが親から買ってもらった『アンクルトム物語』が蘇ってきました。
日本でも、今でも、肌の色ではないけれど、差別がありますよね。

この映画の中でリッキーが、苦悩し嘆き荒れて呻(うめ)きのような言葉を吐いたジャッキーに対して、紳士であれ、耐えろ、試合で示せ、のような(あまり覚えていませんが)言葉で応えたのが印象的でした。

渾身の言葉には人を動かす力・エネルギーが秘められているのですね。

ジャッキーの背番号42は、アメリカ大リーグでは、唯一全球団共通の永久欠番とのことです。

4月15日、大リーグでは、グラウンドにいる全員が背番号42を付けるのだそうです。黒も黄も白も区別なく42です。他の一切に左右されないスポーツ精神なんですね。

映画 終戦のエンペラー

2013年09月15日 07時24分39秒 | 映画
この映画を見に行った理由は、
面白そうだと思ったからではなく、
見たいと思ったからではなく、
時間が空いたから埋めたかっただけ、
でしたっけ。

史実的な戦争、に関わる映画って初めて見ました。

いろんな争いがあるけれど、
戦争って、人間に、何を与えてくれるものなのでしょうか。
戦争、勝者への褒美、誰が、何を、与えるのか、それを解っている人間を
あなたは知っていますか。
そして、敗者とは何者を指すのでしょうか。
恐怖を抱いていたのは敗者だけだったでしょうか。
人間性の喪失は敗者だけだったでしょうか。
国家の誇り、民族の誇り、家族の誇り、ひとりの人間としての誇りを、
勝者が敗者を裁けるのでしょうか。

何故、私はこの映画を見に行ったのでしょうか。
何故、アメリカは戦争を選択したのでしょうか。
何故、日本は戦争を選択せざるを得なかったのでしょうか。
何故、世界は戦争を回避できなかったのでしょうか。
何故、人間は戦争を回避できないのでしょうか。
何故、人間は闘いを選択したのでしょうか。
何故、生命は人間を選択したのでしょうか。
何故、生命は選択を誤ったのでしょうか。
それとも、選択の問題ではなく、
単純な誰かの自己都合とか経験志向とか好き嫌いなどという類の、単純な問題なのでしょうか。
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人間の視点で、地球を大きく分類・分解していくと海と陸と空になります。大陸・島・海洋・天空など含めてそれらを分類・分解していくと国家になります。国家を分類・分解していくと地方になります。さらに地方を分類・分解していくと地域になります。そこからさらに小さな地域に区切ります。その小さな区域には学校、会社、商店が配置され、いくつもの共同体があります。またさらに細かくしていくと血縁共同体、そして家族、そして個人まで分類・分解できます。

ひとりひとりの集合体から事は始まるのです。
ひとりからふたり、ふたりからさんにん、さんにんからじゅうにん、このあたりまでだとまだ人間らしいかな。
100人、1000人、10000人なんて書いてくると人間のことを書いているというより、データのことを書いている気分になってきます。
人はいつから、人は何をきっかけに、人はどの段階で、人である意識や認識を喪失していくのかな。

1000、10000、100000、1000000、10000000、1000000000000000  ・・・・・・ 数字の集合体は、何かしら分類したくなるような記号です。
何を分類するかといえば、疑心、差別、志向、恐怖心、嫌悪感、優越感、富集め、主導権集め、あるものをないとするもの、ないものをあるとするもの、国、信条、民族、人間、世界の将来図、自国の領土、自国の利益、世界のエネルギー量など、見えるもの・見えないものを含めてほぼ無限ですね。欲の塊の人間の考えることですから。
いろんな物事が交錯してある種の団体が出来上がったりします。

最初は小さくても、1年、10年、100年、1000年、10000年と時間が蓄積されていくと垢がたまってきます。
ひとり、ふたり、さんにん、10人、100人、1000人、10000人と歴史が蓄積されていけば垢も落とせなくなります。
でも、始まりは小さいのです。

ひとりを大切に、いちにちを大切に、人間以外のいきものも大切に、ちいさな花、ちいさな虫、身近な動物も大切に、つながりを大切に、次代へ引き継いで欲しいものは、大切なものは何でしょう。
人類がためこんできた垢の中から、良いものを選び取って活用していく叡智の力こそ必要なものです。
それは、慈悲の力とともに人類の宝だと思います。
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戦争って、人間から、いろいろなものを奪っていきますが、
戦争が与えてくれるものを知っている人間がいるから、
回避できないのでしょうか。

人間って、その都度、何かしらを選択し、
何かしらを捨て、何かしらを手にし、
時間の世界を突き進んでいますよね。
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どちらかと言えば勝ち負けや闘いの類を好まず、
日常、スポーツ観戦などほとんどしない生活なので、オリンピックも見ませんし、テレビも置いていませんし、新聞の購読もありません。
人間的に、どっかが、何かが欠落してるのかな。

そんな私が、10月にスポーツ観戦をしてきます。
贔屓のチームもないのに、プロバスケットのチケットを買いました。
どういう心境の変化かは我ながら知りませんが、
人生、こんな経験は悪くはありませんよね。

どちらのチームが勝ち、どちらのチームが負けるのか、
私はそれを見なくちゃならないんですね。
スポーツに関わる人って、引き分けは好みませんよね。
そして、試合中、試合後の結果については、勝者でもない敗者でもない審判員が判定します。
時として、審判員の判定に対して観戦者がジャッジを下すんですね。
そこのところが面白いです。
スポーツですから、勝者だからといって敗者への判定を下すことはできません。
勝者だからといって、審判員だからといって、観戦者の感情や思いを意のままに動かすこともできません。
スポーツ観戦は、そこのところが面白いのかもしれません。
こういうのを野次馬っていうのでしょうか。

映画 ナオト・インティライミ冒険記 旅歌ダイアリー

2013年06月17日 20時55分07秒 | 映画
 本日観た2本目の映画は、この映画。
 少し前に帰宅したばかりです。

 こんな音楽家がいたなんて全く知りませんでした。
 どちらかと言えば、自宅ではクラシック以外の音楽はあまり聴きませんし、私自身の興味の範囲も狭いせいでしょう。

 曲も人も、ポップスって言うより、シンガーっていうより、音楽家って言った方が似合っています。
 全部、自分で音を探して、自分で音を組み合わせて、言葉も自分の言葉で、表現も旅して探して、楽器も自分で演奏して、考えて苦しんで楽しんで、そんな風に音楽を作っているのです。
 ナオトさんの体全体が発するオーラ(コスモ)が音楽なんですね。

 ナオトさんは、とってもバイタリティがある人間ですね。
 ナオトさんのように、行った先々の国のトップミュージシャンと肩を並べてステージに立って、即共演できる音楽家って、クラシックやジャズ以外ではあまり聞いたことがありません。
 映画を観ていて感じたことは、この人、音楽に溢れている、って感じでした。
 楽しそうに苦しむんですね。
 楽しそうに悩むんですね。
 挫折した経験を決して挫折で終わらせないで、挫折や悔しさや辛さをプラスのエネルギーへと変換できる能力があるんですね。

 こんな人を見たのは、まぁ映像でも初めてです。

 映画を観て、大きなエネルギーをもらった!!って感じたのは初体験でした。

映画 サンゴ・レンジャー

2013年06月17日 19時53分20秒 | 映画
 本日1本目の映画はこの映画。
 映画を観た限りでは、主役は、物言わぬ自然ってことになるのでしょうか。
 原作を読んでいないので、そこのところは分かりません。 
 現実的な問題を扱っているのに、とってもファンタスティックな印象でした。

 島と島に橋を架けるか架けないか、自然破壊か自然保護かという二者択一問題です。
 もちろん、作品の意図するところはそれだけではありませんよね。
 そこで生きて、そこで暮らしている人間の願い、考え方、利益、要望ってあります。
 でも、そこの限定された地域単位ではなく、もっと大きな単位で考えてみると、どうでしょう。
 つまり、地域単位から県単位、地方単位へ、国単位へ、地球単位へ、宇宙単位って考えた場合どうでしょう。
 
 一度破壊された自然は元には戻らないって、ほぼその通りだと思います。
 ずうーっと昔に読んだ本の中に、人間に絶滅させられた種について書かれた本を見たことがあります。
 人間に絶滅させられた種は、驚くほど多かったです。
 つまり、私が見たことも聞いたこともない動物がイラストで紹介されていたんですね。
 その種は、人間がどうあがいたって再生させることは不可能です。
 人間は神様ではありませんから。

 しかし、そこで生活している人々の暮らしが改善されないということも、はっきり言って悪いことです。
 双方が成り立つ方向に持っていくことこそが人間が向かわなければならない目的地ではないでしょうか。
 と、この映画を観て思ったものでした。

 万物の霊長って死語ですよね。
 意味は、あらゆる物質、あらゆる生命体、知りうる限りの全ての物の中で最もすぐれている存在のことらしいのです。
 もし、仮に万物の霊長が人間、人類だとしたら、万物の霊長ってこの程度のものなの、っていうところでしょうか。
 どちらかと言えば、物言えぬ生き物より、物言わぬ生き物よりは、物言う人間の優先する人間社会ですよね。

映画 舟を編む

2013年04月24日 22時09分56秒 | 映画
『舟を編む』

昨夕、仕事帰りにこの映画を見てきた。

辞書作りに携わる人々の生き様を伝えようとしたのか・・

見終わった後の印象、
淡々とした表現だけど力強さを感じた。

ずっとずっと長い間、私はそういう生き方をしたかった。
そんなことを思い起こさせてくれた映画だった。

若いうちに生涯を懸けて打ち込める仕事と出会えることって
めったにないことだと思う。

一途さが仕事を呼び込んだのか、
それとも単なる必要性との出会いで
彼の人生は劇的に変化したのかは知らないけれど

生涯懸けた仕事が
生きている間に成就しなくっても、
引き継ぐ者、受け継ぐ者がいるってことは、
ある意味
安心してあの世とやらへ旅立てるものなのかな・・

作品自体の骨格がしっかりしてるから
仕事帰りで疲れてて眠かったけど、
けっこう充実した2時間半を過ごせた。

良い映画でした。