花笑 はなえみ

          呼吸を大切に 呼吸を忘れないで と願っています

ふしぎな目をした男の子 佐藤さとる

2013年07月22日 10時19分48秒 | 本棚
 こんにちは
 この時期、七夕まつりをやっている街、多いのではないでしょうか。
 昨夕、街はものすごい人出で大賑わいでした。
 どちらかと言えば、お祭りなどの賑わいが苦手な私は、買い物を済ませて早々に帰宅しました。


 最近読んだ本です。
 コロボックルが登場するシリーズものです。


この物語、142~143ページに書いてある、タケルとヒロシの、ふたりの会話が良いですね。

 中学生のヒロシが、水槽の中の水はちゃんと生きていると言う。
 小学3年のタケルは、水が生きてるってことがどういうことか理解できないでいる。

 ヒロシは言う。
 ミジンコが水の中に落ちたゴミや藻のきれっぱしを食べ、そのミジンコをクチボソが食べ、死んだミジンコやクチボソの糞は、水草や藻の肥やしになる。
 だから、水草なんかも生きていける。

 水草や藻は植物だから、日に当たると水中の炭酸ガスを吸ってきれいな酸素を吐き出す。
 その酸素を、ミジンコやクチボソが吸って炭酸ガスを吐き出す。
 こんな風にして命が回っていると、小学生にでも分かりやすいように説明して上げている。

 さらに続けてヒロシは言う。
 丁度良い数だけミジンコが増えて、丁度良い数だけクチボソが育って、丁度良いだけの水草や藻があって、釣り合い、つまり調和が保たれていて、いつまでも水が清んでいると話している。

 そして、ヒロシは、水が死んでいく条件(原因)を言う。
 海や湖や川や池は、このガラスの水槽の中の水と同じだと。
 命は、自然の営み、摂理の中で、うまく回っているのだと。
 ところが、人間が薬を撒いたり、ゴミをぶち込んだり、やたらに魚を取り過ぎたりするから釣り合い(調和)がぶっこわれるのだと。
 水が死ぬ。
 水が死ねば、命も死ななければならなくなるのだと。

(物語では、小学3年のタケルにも理解しやすい言葉が使われています)

 タケルは、ヒロシの話にとても心を動かされた様子。

 最後に、駄目押しのヒロシのお話し。
 このガラスの中の水は、水がきれいなうちに、裏の桜谷用水池から汲んで来た。
 水草も、藻も、クチボソも、ミジンコも。
 だから、桜谷用水池はこのガラスの中でずっと生きていくんだ。
 もとの用水池が死んじまっても。

 まだ小学3年のタケル君は、ヒロシ君の話を聴きながら、何を感じ、何を思い、何を考えたんでしょうね。
 何か思いついたこととか、何か行動しようとか思ったことはあったのでしょうか。

 このページを読みながら、私は、思わず引き込まれてしまいました。
 ヒロシ君は、学校の先生よりお話しがうまいです。

 ほんとうに、タケル君とヒロシ君の成長を見守ってあげたくなりました。

【コロボックル物語】
1.だれも知らない小さな国
2.豆つぶほどの小さないぬ
3.星からおちた小さな人

お気に入りのたからことば

2013年07月09日 21時32分34秒 | ひとり言
  全体、地味なブログなので、不評を覚悟でイラストを載せてみました。


 宮沢賢治記念館を訪れた時に、最初に迎えてくれた『たからことば』です。

 石碑に記されていました。


     われらは

     世界の

     まことの幸福を

     索ねよう
    


       宮沢賢治

これから読みたい絵本

2013年07月08日 09時48分40秒 | 本棚
タイトル:おおきな木
作者:シェル・シルヴァスタイン(アメリカ)


この絵本を読んだわけではなく、沢山の方々の感想、レビューを読んだだけです。

大きな木とひとりの少年(ちびっこ時代からおじいさん時代まで)を描いているようです。

この絵本を読んだ多くの方々が、『人間に与え続ける木』、『木から恵みをもらうだけの人間』の姿を感じ取っているようです。

これを、愛と表現するか、甘えと表現するか、切ない形だと表現するか、自然の形だと表現するか、この木のようにありたいだとか、自分は木でもありちびっこでもあるという見方をするか、それはこの絵本に触れた方の自由ですね。


『与える』の意味って、宗教圏によって受け取り方、感じ方が異なるものだとは思います。
私はキリスト教圏の人間ではなく、仏教圏で生まれ、仏教圏で暮らしてきた人間です。
だから、『与える』の意味は、この作者の思い描いているものと違うはずです。

この日本という国で、お布施やお賽銭、募金への協力や寄付金、あるいは、見知らぬ人に道を教えるなどという行いをしたことがない人って、ほとんどいないのではないでしょうか。

『与える』をちょっと難しい言い方で『布施』と言います。

 布施は、仏教では3つに分類されているようです。

 財施は、文字通り物品を与えること、寄付金などもこれに相当すると思います。
 身施は、ボランティアなどの奉仕活動に例えても良いと思います。
 法施は、教えを与える、ブッダの教えを与える、ブッダの法を説くなどです。

 勿論、この3つは何れも見返りなど求めません。
 この3つは、キブアンドテイクではありません。
 それゆえ布施行と言うのです。
 

 この作者は、出版によって財は得たはずですから、財施は当たらないかもしれません。
 しかし、ギブアンドテイクとは言え、出版業に携わる人たちには何かしらを与えていますよね。

 この作者は、サイン会などで、自作の購入者に対して無償でサインをしてあげたのではないかとも思います。
 甘い判定かもしれませんが、少し身施にひっかかっているように思います。

 この作者は、人生で培ってきた学びをこのような本を通して多くの人々に与えています。
 これは、この3つのうちのひとつ、法施に当たる行動を起こしたと、私は思うのです。

 作家だって人間界で生きているのですから、暮らしていくための糧は必要です。
 作家自身の生き様を通して、伝えたいものを描いて、自身でできる限りの『与える』を実践しているように思えるのです。

 微妙な導き方ですが、私の独断と偏見です。
 みなさまは、どのように考えられるのでしょうか。


人間に与え続ける大きな木、大きな木から搾取し続けるちびっこ、まるで、地球と人類の関係における、小さな方程式のようですね。

人間は地球からあらゆるものを利用し続けています。
いつ止むとも知れない欲望の塊のような人類のように思えます。

そして、私も、その人類の、生命の循環のちいさな、とてもちいさな一粒です。

この絵本から感じる取るものは百人百様のようですし、その百人百様の方々も、成長していく過程での受け取り方、その心が変わっていくようですね。


まだ見ぬ絵本を想像しながらで・・何なんですが、この大きな木だって、最初からこんな風に、何でも知ってるような物分りの良い木だったのでしょうか?

この大きな木だって、最初から絵本に登場するような、大きな木ではなかったでしょう。

今は大きな木だって、この大宇宙の中の点のようなこの地球上に生を授かってより、大地から無償の恵みを受け取り、大空から無償の恵みを受け取り、時には大地からこっぴどい仕打ちを受け、大空からもこっぴどい仕打ちを受け、それさえも受け入れるしかなかったのではないでしょうか。

これだけ大きな木なら何百年間か生き続けてきたのだと思いますし、多くの生命の泡沫のようなはかなさも見知っていることでしょう。
そうですね、大いなる悲しみ、心からの喜び、見ているだけの辛さやもどかしさ、痛みや苦しみ、心躍る楽しさ・・そのような、この大きな木の経験はどこにも記されていなさそうですが。

誰が役割を決めるのかは分かりませんが、この大きな木の役割は、一粒の小さな命の役割ではなく、大自然の役割ではないのかなと思いました。

そして、さまざまな人間がいますが、この作者は、大自然のお相手に、ちびっこの男の子を選びました。
そして、このちびっこの男の子は、その役割をしっかりと果たしているようです。

このちびっこの代役として、あなたは、どんな役割を果たしてくれるのでしょうか。
あなたは、このように誰からか与えられたか知れない、あるいは、自分自身で掴み取ったか知れない役割を、どうしたいですか。
この世界に、この描かれた世界に、何か、希望は、願いはありますか。

今生きている、この時にこそ、何かを、次の世代へ・・・・・伝えたいもの、伝えていった方が良いものは・・・・・・私たちは必ず死ぬ者ですから・・・・・そのことだけは忘れてはならないことだと思っています。

私は、これから図書館へ出かけて行って、この絵本を借りてこようと思います。
本田錦一郎訳(1976年 篠崎書林)と、村上春樹訳(2010年 あすなろ書房)を、読み比べてみたいと思っています。

まだ、一読もしたことがなく、今、初めて知ったこの絵本について、何も知らないまま、書き綴ってしまいました。

読み終えた後で、私は、何を思うのでしょうね。
とても楽しみです。

宮沢賢治記念館 訪問

2013年07月05日 07時44分08秒 | 遠出
 2013年7月3日(水曜日)昼頃、自宅を出て、盛岡方面へ向かった。

 盛岡駅下車。
 12:47 北上行きに乗り、花巻駅下車。
 13:31 お腹が空いたので、観光案内所で、いくつかの飲食店を教えてもらった。
 その中で、白金豚(はっきんとん)で有名な源喜屋で『白金豚の定食』を注文した。

 食事を終え、お茶を飲んでいたら、雨脚が強くなってきた。
 お店の人が、宮沢賢治記念館行きの交通のことなど親切に教えてくれた。
 バス(320円)に乗り、賢さんの記念館へ向かった。

 遅い出発だったので、残念ながら充分には見学できなかった。
 しかし、大きな収穫はあった。

 賢さんって、思っていた以上に世界人だったのですね。
 明治29年生まれですから。
 戦争、戦争、飢饉、飢饉、大津波・・苦難の時代、苦難の連続、そんな中ですから。
 そんな中で、賢さんのような人間の出現は奇跡のように思います。

 実際は、賢さんがどんな人間だったのか、やっぱり、さっぱり分かりません。 
 でも、ユーモアに溢れた、人思いの楽しい人。
 それから、美味しいものが好きで、でも我慢して、仕事や作品に全力を注いで日々を過ごした人。
 そんな人物像も想像してみました。

 そんなに、そんなに、人のために尽くして、命を人のために燃やし尽くして、多くのものを残してくれたんだ。
 きっと、大いなる願いがあったから、病気を押してまであんな無茶苦茶な行動を起こしたんだ。

 私も、賢さんと同じ道を歩いているとは言い難いけれど、とても共感ができた。
 私自身の気持ちが、少し震えているのを感じていた。
 もし、私と賢さんがどこかでつながっているとしたら、ブッダの法に触れたことかな。
 いくつかの仏典に触れた中、法華経の現代語訳は何度か読み返したことがあるから。

    みなさまのご参考までに、
    私が所持している現代語訳
    の仏典、法華経です。

    法華経 現代語訳(全) 
      三枝充悳 第三文明社

 宮沢賢治記念館から新花巻駅まで歩いた。
 30分位かけてゆっくり歩いた。

 電車を乗りついて、もうへとへとだけど、もうすぐ我が家。
 
 おなかがへった!と叫びたい
 でも、がまん、がまん、
 もう、すぐ おうち がまん がまん
 
 そんな自作の歌をうたいながら帰宅したのは21時近くだった。