妄想族戦闘記

乳癌になっちまったよ。
この世の平和のためにキャンサーバスターとして立ち上がったおばさんの冒険記??

昔の3月11日のチケット見て 思った…母の介護の限界。

2012年01月19日 | 日記

私ってね…猫が居なければ家に帰っていないと思う…毎日毎日家へ帰るのが嫌でしょうがないのだよ。

 

毎晩 認知症の母…私が悪者でお金を使い果たした馬鹿娘といって攻める…

昨夜も毎度のようにお金を使って楽しんでいるって騒ぎ お前ほど運が良くて幸せ者はないと

言い放ち…ブチッ…お前が親父の遺産を食い潰したので長男には一銭もあげられず気の毒だ。

そういう奴には 今にばちが当たって 泣いてもどうにもならな事があるぞ覚悟しろと言われ

 

まぁ~今まで何回も言われていたが…本当にお前母親か?と直接怒ってきた…

大体個人の定期預金は 幾ら子供でも親のものは解約できないんだといっても 理解できず

私が使いたい放題と言い放ち…癌になったのもお前が悪いといわれて泣けたことが何回もあった。

 

…まぁ~もともと性格が自分が悲劇の主人公で周りが悪って思う人だからと思えていたが…

 

何で私が今まで独り者としていたか…何かいい話があっても 母が断っていたのよ。

孫を手放したくないと…直に相手や仲人にそんな仲でも耐えていたけど…

 

 

なんだか昨日は切れたプチプチプチって…ね。

 

 

なんかさぁ~疲れた…いくら認知症でも 病気のことまでバチって言われ今以上に

不幸が訪れると言われてごらん…

身近で介護しているものが悪者になっちゃうのは…本当に辛い。

 

認知症の介護で一番は 居場所を作り何言われても反抗することなく

怒ることもなく受け入れろと…

 

出来るわけねぇ~ジャン

 

乳癌になってその事までも悪く言われる私は やさしく出来ない…ひとり介護ではあまりに重い…

辛い だからストレスと愚痴の発散に恥をばらすように書き込む…じゃないと私の精神が壊れちゃう。

 

 

職場の介護の利用者さんの家族もなきながら訴えている方も居る…いくら年代が同じ位でも

認知症の親と暮らした経験のない相談員が 上から目線で通り一遍の本にアル正解の回答を

述べている現場にいると お前に何が分かるってそいつに食って掛かりたくなる…

 

 

偉そうに言うなよぉぉ~ってね。当事者になると 心がいっぱいいっぱいになってくんだ。

(今朝 弟に私は何も要らないから母の病院の付き添い お金の管理 

全てあなたに任せると丸投げしてやった…返事ナシだが嫁と騒いでいるかも

 

 

笑っていたと思うと突然顔が変わるんだから…私も本でも書いたら立派なものがかける気がしてくる。

 

 

切れる少し前 母の手元を見ると 

3月11日って日にちだけ見えて…へっ…??????

 

あんたどうしたの…これ???

 

知らないが タンスに入っていたから私のものだと…

 

そう よく見ると2006年の3月11日14時開演の野村萬斎の狂言劇場のチケットだった。

 

6年前かぁ~私の病気が発見された時期のほんのチョット前じゃない…

あの1.2年前から微妙に変にはなっていたが 年のせいかと思っていた母…

この半券ホルダーから抜いて自分のものとしてしまってあったみたいだ。

 

あの当時物がないのは 私が大雑把でしまい忘れと思っていたけど…

 

犯人はぁ~婆さん!

お前かぁ~っていえる事がボロボロ出てきちゃっている…

 

 でもさぁ~この年から私の人生は 再度変わったんだよな…

ほんの初期と言われて手術したが 開けてびっくり 癌ちゃんが13個もバラけていたってね。

リンパ転移ナシが突然小さいのが沢山あったって…手術翌日に言われ 声をこらして布団かぶって

ベットで泣いたこと思い出す…抗がん剤 放射線 予想外のフルコース。

 

 

でも心配されるのも嫌で 家でも職場でも元気ぶっていた…やっとで やっとで

あの嵐のような時期を抜けたけど 再発転移の恐怖は続いているのに…なんで 

自分が悪いから癌になったとか 因果報酬のような言い方を親にされなきゃならないのって…

 

 

昨夜突然思ったんだ そして そして キレタ…プチッじゃなくブチッっとね。

 

 

でっ…今朝 弟に〇投げメールと共に 食事の準備や最低限生きていく行為の手助けはするが

顔見たくないし口もききたくなくなっていた…認知症の親をこんなことしちゃいけないんだろうけど

私はチョット疲れたみたい…愚痴です。

 

 

 

それにしても6年前の3月11日のチケット…

あんな大災害が5年後に起きるとは誰も思っていなかったよね。

 

 

 

明日は元気な記事アップするね♪