妄想族戦闘記

乳癌になっちまったよ。
この世の平和のためにキャンサーバスターとして立ち上がったおばさんの冒険記??

2006年6月1日…

2012年06月01日 | 乳癌 手術入院

思い出します…乳癌手術して退院の一日前

 

何故って…この日の朝 主治医に退院してもいいと許可が下りました。

そう、今からでもいいぞってね…普通は喜び勇んで退院すると思うでしょ~

 

私には心残りが あったのです…

鮎の解禁日で 夕食に選択献立で鮎の塩焼きに大きく丸していたことが…

 

でっ…主治医に すみません家族が今日は準備できず←何の準備だ???

明日の午前中退院ってことにしますって 言い切り退院の嬉しさと鮎の塩焼き食える楽しさが

重なった一日だった…本当に食い物に卑しい女だと我ながら思えるわ

(主治医もわけも分からん言い訳に よくうなづいたと思う

 

そんなこんなでまるまる6年 手術して7年目…治療はまだまだ続くが…

毎年わが職場の献立は6月1日 

鮎の塩焼きメインで山菜ごはん 煮物 昆布和え 清汁 フルーツ

 

皆より早く食べて味見する 検食中なんとなく

あの時 あの日の事がふっと頭によぎった今日でした。

 

美味かったぞ


術後7日目

2006年06月02日 | 乳癌 手術入院
やはり早く管を抜いたほうが 体液が皮下にたまり痛い。
退院前に担当医に液を注射器で抜いてもらう。
何時も思うがこの先生の注射はうまい
痛くないのだ。細胞診の時も市立HPのDrは泣けた紫になった。
この先生はへっ?終わり?って感じでうまいのだ。

まあ~たまったら抜きに受診するって事と又骨シンチをやる予定
(他の退院患者は次の受診だけなのに
何で私だけ…転移の可能性あるの?)

義妹と母迎えに来てくれ退院~
近所は気づかなかったかな?
車置いてあるの不審に思わなかったかな?

昼食後ホームセンターへそば君の連れ添いが欲しくなり見に行くが
雄ばかりなのでスーパー行って夕食の買い物して戻る。
(癌の手術して午前中まで入院してたのよ~
買い物客は何も知らないね
本当に意地っ張り…自分でもあきれるね。

術後6日目

2006年06月01日 | 乳癌 手術入院
朝担当医がドレーンの管を抜いて良いと指示
今日・明日に退院との事
えっ?今日
今日の今日じゃちょっと無理って事で
明日退院になった。

本当は今日の夕食は選択献立で
鮎の塩焼きが出るこれを選択したあるから
食わないでは退院できんのよ

ホッホホホ~基本は食欲
頑張って腕上げしちゃうし~階段も何回でも上り下りしちゃう
夕食目的の自分が凄いと思っちゃった。

思えば大きな手術の割に短期間の入院
見舞い客も遠慮して親戚の人たちは10日後位に来ると言っていた
退院後??
職場の部下達はビール他アルコール類を見舞いと称し
持ってきて仕事・同僚・上司・部下の愚痴を話してかえる。
…あたしのストレスって…

まあアルコール類ばれない様に明日持ち帰ろう。

術後5日目

2006年05月31日 | 乳癌 手術入院
まだ退院は無理
ドレーンの体液が沢山出ているが…一本でこれってことは…
早めに抜いたところが気がかり

義妹が口腔外科で紹介状を持って
親不知を抜くつもりで来たがレントゲンと血液検査のみ
だったと一文句

辞めた会社から脅しの手紙が来たと見せてくれる。
何処もヘルパーが欲しいのか?
辞めても他の職場ではヘルパーに付くなと
訳のわからない脅しの文書
(個人情報保護の法的根拠も違う?ぜんぜん理由になってない)

運送業から多角経営始めた○た○わさん
だから職員居つかないのよ~
社長さん~まさか弁護士入れて脅しの文書だと騒いでいる元パートさんが
私の義理の妹って知ったら驚きね

一緒に勉強会やお食事会でお顔合わせしているしね
今後お顔拝見するのがちょっと楽しい

術後4日目…最悪日

2006年05月30日 | 乳癌 手術入院
生理が4日遅れできました。
(あるデーターでは生理中のOPは再発率が多いと
聞いていましたが…セーフ?)

朝10:00ナースが体液のドレーン管の残った物を無理やり絞ろうとしたら
右脇に激痛!ナースも驚いていた。
2本あるうちの一本にちょっとでも触ると今までにない
焼き鏝を突っ込まれたような熱さ?激痛?様子を見てくださいと帰っていったが
昼食も咽喉に通らないほど痛い

2:00までイタイイタイと言いながら我慢
腕の測定時 またまた負けず嫌い病
痛いながらもシュワッチって伸ばしたら激痛…涙が自然と流れ
声も出ない状態…見ていたナースも顔面蒼白の私を見て異常を察し
外科医に緊急連絡

私はワナワナしながら腕上げっぱなし
Dr来た時は直ぐにドレーン抜く。
どうも朝の時にナースがドレーンに無理に引圧をかけたので
管の道の流れが変わり神経に触りそれを引いていた状態だったらしい。
彼女業務終了後謝りに来たが…医療ミスでしょう

一本抜けたドレーンでは体液完全に排出できないジャン

まあ、夕方病院の栄養課室長と影の室長が来てくれる。
ここの病院の立ち上げ時一緒に頑張った仲間たちだ。
黙っていても食事箋送られ直ぐに私とばれたらしい。

委託側の店長にもバレバレで術後1日・2日で挨拶に来ている…
まあ口が硬い人達であるし、安心できる同じ職種の仲間

彼女達が癌に関してはこの病院は大丈夫
安心して通いなって言ってくれって気にさせてもらいました。

ありがとね


術後3日目

2006年05月29日 | 乳癌 手術入院
痛み止めの管をぬく。
やっとでシャワーを浴びる
(ドレーン付き下半身と頭洗いのみ)

午前 再建予定の形成外科外来にドレーン吊り下げながら受診。
無表情で残りの乳をジィーっと見て指差し一言…
Dr「下垂してる」
私「えっ?」
Dr「下垂してるシリコンはない。」
私「…重さは丁度良くなるでしょう?」
Dr「片方が下垂した形になってしまう。写真を撮って7月再受診を」

保健も効かないし其処まで言われたらもうこの病院の形成には
来ないぞッて心に誓っちゃったよ。
私から再建したいって言ってないし~
浮気前の市立HPのDrがデカイからしたほうがいいって提案。
セカンドで移った今のDrも同調してこう流れたんだ

午後は目の悪い母がバスに乗ってきてくれたが…
かなり回りに迷惑掛けたみたいだ。
心配が先に来てしまう人なので帰りは玄関まで送っていく
途中上司と同僚が来てくれるのに鉢合わせ
「おまえも大変だなぁ~」と声掛けられました

同僚も数年前この病院で肺がんのOP
本当の初期で完治…超うらやましい見本です。
その為抗癌剤治療をすると話しても少々理解できなかったみたい

まあ、足腰強化の為、4階から地下の売店を2往復階段でする。

術後2日目

2006年05月28日 | 乳癌 手術入院
息子が大学に帰ってしまう
明日から授業でギリギリまで付き添って
いいな無理はするなって置きセリフさみしい

私は心室中かく欠損がある為抗生物質の余分投与がある。
(少しハンデがあるのが悔しい。)
負けず嫌いが出て腕上げは完璧。

まだ微熱あり

術後1日

2006年05月27日 | 乳癌 手術入院
朝から発熱37.5℃

昔から何かあると直ぐに熱を出す。
情けないねェ~

息子が一日付き添ってくれる。
昨日のリンパ転移の落ち込みがわかったらしく
(本人もDrに言われてきつかったでしょうね…ごめんね)
DS脳をきたえる大人のDSトレーニング買ってきて
やってろって…やさしいジャン!
始めては30歳でしたぞ!

腕上げ難なくこなし…見舞い客も難無くこなす

いよいよ手術日

2006年05月26日 | 乳癌 手術入院
朝8:30頃母・息子・弟が来てくれる。

静脈血栓症防止サポーターをはき 生理パット付き(予定日)
T字帯をつけさぁ~手術室にゴー
エレベーター乗って 自分で歩いていくんだなぁ~

OP室に入ると執刀医・担当医・看護師・麻酔医諸々のスタッフ達と
挨拶かわし自分でベットに上り、背中に麻酔薬を入れるラインを作るため注射
(術後の痛み止めに使用)

その後麻酔医…ちょっとイケ面…が酸素ですから吸ってくださいと
マスクを口によこす
でっ思いっきり吸ったら笑気ガス
ちょっと酸素じゃないジャンって言おうと思うか思わないかで

途中凄く面白い夢を見ていた気がする。
楽しく笑っていたのに無理やり名前呼ばれ起こされムッとしたの
覚えているぞ。
(起こされる前に体液がこんな出るとか声が聞こえてた?)

手術は終わりましたよぉぉぉ~って
声に思わず昨夜から絶食の私のお腹が反応
あぁ~腹減ったぁ~

目が醒めかかった時1:15分と外から声が聞こえ
深呼吸してって言われ息が出来ない
っと思ったら口からチューブを出してくれたらすごく楽になり
ウトウト…安静室に移される。

その後2:30頃病室に戻り安静。
タンに少々苦労し 水分が欲しいが6:30までは
飲み食い移動禁

途中担当医が来て予想外に米粒半分のリンパ転移がかなりあったから
今後、抗癌剤治療頑張っていこうって言ってきた。
ショックだった。多発でも転移無しと言われつづけてきたのに
泣けてきたどうしたらいいのか泣けた泣けた。

落ち込んでいても何しても同じなら前向きに考えようって
待ってましたその時間
6:30だよ。
血栓防止のサポーターはずし、膀胱カテーテルはずし自力でトイレ
できるじゃん

看護師が「お夕飯用意しましたがほとんど皆さん食べないからいいですよ」と、
やさしく声掛けしてくれて、てんぷらの夕食を渡してくれました
その後、息子の弁当まであさり全量摂取
「えっ食べられたの?全量?」担当看護師驚きの顔
そんなに驚くこと

私はこれから体力つけて癌と戦い生きていかなきゃ行けないの
食わなきゃ力にならんのよ。

息子は消灯ぎりぎりまで付いていてくれた。感謝
痛みに対しては痛み止めが背中から常時入っているので辛くは無いが
婦長が私の発熱に気づいてくれて夜間助かりました。

熱くて体の置く場所が無かったのよ

入院当日

2006年05月25日 | 乳癌 手術入院
いよいよの入院の日だ

午前中 職場の温泉友達が車で迎えに来てくれて
息子と3人で病院に向かう

私は午前中婦人科で癌検診の結果を聞き その足で入院となる。
一緒に来てくれた彼女は胸にしこりがあるので
無理やり乳腺外来受診させる(結果は良好。)

園長や施設長が婦長たちに私の事を頼むと
言ってくれたらしくこの病棟婦長と職場の故入居者の娘が相談業務の婦長をし
ているらしく顔見せに挨拶にきてくれ元気付けてくれた

園長の古巣でもあり私の元職場でもあるので情報は筒抜けみたい
半分は嫌だけど…分かっているので安心できます

夜9時過ぎ明日のOP説明になる。
息子・母・弟と現在の状況を説明されリンパ転移が無ければ
リンパは取らない様にするとの前向きの話だった。

だか私の場合mm単位の小さい癌が一気に広がったみたいで
先生は同時多発テロみたいになっているとの説明…
しかもスキルスって

明日の手術に掛けます。