秋田の昔っこ「さんきちさん」
秋田市の太平山は、古くから「さんきちさん」の愛称で親しまれてきました。
坂上田村麻呂、蝦夷討伐の際、戦勝を祈願して建立したといわれる神社です。
修験の山としての太平山信仰と、力の神・勝負の神である 三吉信仰が相まって、勝利成功
事業繁栄の守護神と知られています。 三吉さんには、このようなお話が語られています。
秋田駅東口からの展望 秋田市のシンボル 太平山 ↑
秋田の三吉さんは、その昔 一国の主として大きなお城に住んでいたといわれてます。
生まれた時から力持ちの三吉さんは、いつもお城の家来ばかりを集めて 相撲ばかりとってました。
ある春の日のこと。お城の周りには桜が咲いていました。三吉さんも 家来たちも丸裸にになって
お城の庭で 花見相撲を始めました。
大男の三吉さんが、しこを踏むと桜の花は雪のように はらはらと散りました。
相撲に疲れると、三吉さんは4尺6寸の長い長いキセルを出して ぷかぷかと一服してました。
ところがその時、お城の裏山でときの声が上がりました。隣の国から大軍が押し寄せてきました。
三吉さんもお城の家来たちも、丸裸です。鎧兜に身を固める暇もなく 刀や弓矢を採る暇もなく
お城はたちまち敵に攻め落とされてしまいました。
三吉さんは丸裸のまま、長キセルをかついで逃げました。山から山を越えていくと
たくさんの大きな熊が襲ってきました。三吉さんは腰を下ろし、長キセルを取り出して
ぷかぷかとふかしました。すると熊は煙に参ってよろよろになり そこを三吉さんは得意の相撲で
投げ倒しました。三吉さんはどんどん逃げて 秋田市の太平山迄やってきました。
三吉さんは太平山がとても気に入り、やがて秋田の守り神になりました。
秋田の人も三吉さんが気に入って 大きな飯ベラを作ってあげたり、大きな杯をあげたりしました。
三吉さんは喜んで、マタギが山で苦しんでいる時や、農家が水で難儀をしている時などに
出てきては、みんなを助けてあげたということです。
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