別館 はまぐりだいあり~

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遅ればせながら、パロマ事件。

2006年07月19日 | 社会・事件
何とも。。。

パロマ事故器、3分でCO濃度致死量に…警視庁実験
(Yahoo!ニュース-読売新聞)
長男亡くした遺族の無念の思い、警察動かす パロマ事故
(朝日新聞)

パロマの対応はもちろん、警察の対応にも大きな問題がある
としか思えません。
一酸化炭素中毒という所見であったにもかかわらず、病死扱い
とした上で、遺族を責めるような言動まで !?

確かにオウム事件は重要だったかもしれませんが、いくら
なんでも酷い対応としか思えません。

この時点でしっかり捜査できていれば、何人の命が失われずに
済んだのでしょう。。。
非常に、残念です。

…亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。


以下、記事全文コピー。
読売新聞より
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 パロマ工業製の瞬間湯沸かし器による一酸化炭素(CO)中毒事故の
うち、1996年3月に東京都港区赤坂で起きた死亡事故について、
警視庁捜査1課が、現場にあった湯沸かし器を使って再現実験を行った
結果、室内のCO濃度が、不完全燃焼を起こしてから3分程度で致死量に
達していたことが、19日わかった。

 昨年11月の同区南麻布の死亡事故の再現実験でも、通常の約400倍の
濃度のCOが検出された。同課は、パロマ工業や販売元のパロマが、
自社製品が引き起こすCO中毒の危険性をどこまで認識していたか、両社の
幹部から事情を聞くなど、業務上過失致死容疑での立件を視野に捜査を
進めている。

 96年3月に赤坂のワンルームマンションで山根敦さん(当時21歳)が
死亡しているのが見つかった事故では、行政解剖を担当した東京都監察
医務院が山根さんの血液を調べた結果、血中のCO濃度が82・18%に
上っていた。血中のCO濃度は70%以上で死に至るとされ、死因の
所見も「一酸化炭素中毒」だった。
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朝日新聞より
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 パロマ工業製の湯沸かし器による一酸化炭素中毒事故。警視庁による
再捜査のきっかけになったのは、約10年前、息子が東京で亡くなり、
警察から「病死」と説明された遺族の執念だった。松江市出身の山根敦さん
(当時21)の父健二さん(57)と母石井聰子さん(53)は15日、
敦さんが育った松江市の自宅で、「もっと早く原因が分かっていれば
犠牲者は増えなかった」と無念の思いを語った。

 10年間、息子は病死したと信じ続けてきた。敦さんは92年、17歳の
時に松江から上京し、音楽専門学校に通った。プロのミュージシャンに
なるのが夢だった。

 96年3月18日、一人暮らしをしていた東京都港区のマンションで
亡くなっているのを友人が見つけた。翌日、東京に駆けつけた健二さんは
赤坂署員から、心不全による病死ではないかと説明を受けた。当時の
担当刑事からは「本人の健康管理や、親の監督がなっていない」とも言われた。

 事故から10年を前にした今年2月、聰子さんが赤坂署に、当時を
しのばせる物が残っていないか尋ねた。署員の勧めで都監察医務院に
連絡し、「死体検案書」を手に入れた。

 解剖所見欄に、通常では考えられない濃度の一酸化炭素中毒だったことを
示す記述があった。不審に思った両親は、赤坂署に再捜査を依頼した。

 「当時敦さんが住んでいた部屋のガス給湯器を調べている」。今月4日、
警視庁捜査1課と赤坂署刑事課の捜査員が自宅を訪れ、こう告げた。
湯沸かし器が息子の死因と関係があることを初めて知った。

 14日夕に再び自宅を訪ねた捜査員は「湯沸かし器の改造が原因で、
一酸化炭素が充満した」と説明した。捜査員は「オウム真理教事件で手が
回らなかった」と、当時の捜査状況にも触れた。正確な死因を知らせなかった
ことについては、「当時の捜査員の落ち度だ」と話したという。

 「安全装置の不正改造をなぜもっと早くつかめなかったのか、問いたい。
『責任がない』と言うのは許されないと思う」と健二さんは言った。
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