原作とアニメって、どういう意図で違うのかわからないようなことに至るまで、けっこう違いますが、23話「鋼のこころ」あたりも、かなり違いますね。
ヨウさまのブログ、風遊でもコメントなさっていましたが、ウィンリィの描き方もそうでした。
幼なじみとして、兄弟同様にエルリック兄弟の内面にまで踏み込んでいるのが原作。
それに対してアニメでは、兄弟が大事なことを何も話してくれない、と疎外感を感じていることが前面に出されています。
これねえ、後者の描き方の方が、よりエルリック兄弟の絆を浮き彫りにできたと思います。
ウィンリィでさえ立ち入れない、兄弟の特別な絆と、その傷痕を。
ただ、ウィンリィには気の毒だけど…。
ウィンリィを大事に思っていたらできない描き方かもしれない(爆)
(そして、そこでウィンリィに疎外感をもたせておいて、マリア・ロスに特別な役割を振るのはバランスとしてどうかなっていう気もするけれど、まあそれは余談。)
それから、アルが疑念を爆発させるきっかけとなるエドの言葉も。
「アルはいいよな、こんなの飲まなくってもでっかくてさ」
という言葉は同じでも、成り行きが違う。
原作では、単に口をすべらせてしまった感があります。
アニメでは、その前の段階(21話「紅い輝き」・22話「造られた人間」)でエドがアルに対する負い目を強く感じているもんだから、様子のおかしいアルに対してジャブをかましたところ暴発した、という感じ。
口をすべらせたのは同じ、だけどこちらは、アルから軽口が返ってくることを期待するあまりのこと。
思い切り地雷ふんで失敗してますけどね…。
で、この後の展開も違うんですね。
原作の方は、ウィンリィにアルを一喝させておいて、エドが「これしきのことで揺らいでたまるかよ」と握りこぶしを作って、アルの握りこぶしとコツン、で収まってますが。
これはこれで、カラッとしたテイストで、さすが原作、ではあるのですが、私にはエドがちょっと無神経にも思える。
「アルが恨んでるんじゃないか」とうなされるくらいなら、あんな口のすべらせ方はしないはずじゃないでしょうか?
その意味では、アニメ版のエドの方が繊細なんです。
そしてアニメでは、そう簡単には仲直りもさせてくれない。
ある意味、スタッフは鬼だなと思うんですが、ちゃんとエド自身の口から、ずっとわだかまっていた疑念、「俺を恨んでるか?」という積年の(4年間ずっと言えなかった)思いを言わしめているんですね。
そこで初めて、決着に至る(24話「思い出の定着」)わけです。
このあたりの、粘着的とさえ言える人物の掘り下げは、さすがに多面的でもあり複合的でもあり、ほぼ一人で作り上げるコミックと、共同作業のアニメとの構造的な違いでもあるのかなあと感じます。
好みの差でしょうけど、ここらへんについては、私はアニメ支持。
あの原作のカラッとサラッとした味は、原作にしか出せないものでしょう。
同じリズムでアニメにするのは至難。
仮に原作どおりに、水準以上の作品を作ったとしても、それは亜流でしかない。
そうである以上、アニメでは別の描き方を。
子どもにもわかりやすく、苦悩は苦悩できちんと凝縮し、着地点を探す。
あの原作を向こうに回して、真正面からここまで描いてくれたアニメに、私は賛辞を捧げます。
いや、もちろん、ギモンもあるんですよ? 特にマスタング大佐あたりに!! まあそれはおいおい語ります。(←いつまで語る気なんだか)
ヨウさまのブログ、風遊でもコメントなさっていましたが、ウィンリィの描き方もそうでした。
幼なじみとして、兄弟同様にエルリック兄弟の内面にまで踏み込んでいるのが原作。
それに対してアニメでは、兄弟が大事なことを何も話してくれない、と疎外感を感じていることが前面に出されています。
これねえ、後者の描き方の方が、よりエルリック兄弟の絆を浮き彫りにできたと思います。
ウィンリィでさえ立ち入れない、兄弟の特別な絆と、その傷痕を。
ただ、ウィンリィには気の毒だけど…。
ウィンリィを大事に思っていたらできない描き方かもしれない(爆)
(そして、そこでウィンリィに疎外感をもたせておいて、マリア・ロスに特別な役割を振るのはバランスとしてどうかなっていう気もするけれど、まあそれは余談。)
それから、アルが疑念を爆発させるきっかけとなるエドの言葉も。
「アルはいいよな、こんなの飲まなくってもでっかくてさ」
という言葉は同じでも、成り行きが違う。
原作では、単に口をすべらせてしまった感があります。
アニメでは、その前の段階(21話「紅い輝き」・22話「造られた人間」)でエドがアルに対する負い目を強く感じているもんだから、様子のおかしいアルに対してジャブをかましたところ暴発した、という感じ。
口をすべらせたのは同じ、だけどこちらは、アルから軽口が返ってくることを期待するあまりのこと。
思い切り地雷ふんで失敗してますけどね…。
で、この後の展開も違うんですね。
原作の方は、ウィンリィにアルを一喝させておいて、エドが「これしきのことで揺らいでたまるかよ」と握りこぶしを作って、アルの握りこぶしとコツン、で収まってますが。
これはこれで、カラッとしたテイストで、さすが原作、ではあるのですが、私にはエドがちょっと無神経にも思える。
「アルが恨んでるんじゃないか」とうなされるくらいなら、あんな口のすべらせ方はしないはずじゃないでしょうか?
その意味では、アニメ版のエドの方が繊細なんです。
そしてアニメでは、そう簡単には仲直りもさせてくれない。
ある意味、スタッフは鬼だなと思うんですが、ちゃんとエド自身の口から、ずっとわだかまっていた疑念、「俺を恨んでるか?」という積年の(4年間ずっと言えなかった)思いを言わしめているんですね。
そこで初めて、決着に至る(24話「思い出の定着」)わけです。
このあたりの、粘着的とさえ言える人物の掘り下げは、さすがに多面的でもあり複合的でもあり、ほぼ一人で作り上げるコミックと、共同作業のアニメとの構造的な違いでもあるのかなあと感じます。
好みの差でしょうけど、ここらへんについては、私はアニメ支持。
あの原作のカラッとサラッとした味は、原作にしか出せないものでしょう。
同じリズムでアニメにするのは至難。
仮に原作どおりに、水準以上の作品を作ったとしても、それは亜流でしかない。
そうである以上、アニメでは別の描き方を。
子どもにもわかりやすく、苦悩は苦悩できちんと凝縮し、着地点を探す。
あの原作を向こうに回して、真正面からここまで描いてくれたアニメに、私は賛辞を捧げます。
いや、もちろん、ギモンもあるんですよ? 特にマスタング大佐あたりに!! まあそれはおいおい語ります。(←いつまで語る気なんだか)
アニメでは兄弟の絆があまりにも強く描かれているから、ウィンリィの立場も違ってきちゃいますよね。
私は原作でウィンリィが泣きながらアルに言った「自分の命を捨てる覚悟で偽物の弟を作るバカがどこの世界にいるってのよ。」という台詞がすごく好きだったので、このエピソードは原作のほうが好きかも・・・。
でも、鋼という作品はアニメと原作、それぞれ良いところと悪い所がとてもバランス良く存在しているので、全体的にみるとどちらも大好き。
アニメのエドが繊細なのは同感です。
原作ではあんなに図太いのにねぇ~(笑)。
そしてアニメ脚本はエドを追いつめすぎ~~ッ。
もう見てて胸が痛くなります。
エドだけを見るならば、私はアニメに一票なんですけど(やっぱりアルにはエド本人から言ってほしい)、SHOKOさんと同じく、上のウィンリィのセリフもいいなと思うのでした。
そしてアニメ脚本はエドを追いつめすぎ、っていうのにも同感。ちょっとヒドイよね~