ご協力どうどよろしくお願いいます
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件名: 【賛同のお願い】東ティモール日本軍性奴隷制被害者に関する要請
差出人: Kyoko Furusawa
送信日時: 2009/02/22 23:35
皆さま
今年も以下のような要請を日本政府に対して行なうことになりました。
この要請に対してご賛同をいただければ大変ありがたいです。賛同は個人
でも団体でも可で、あて先: mm3k-frsw@asahi-net.or.jp (東ティモール
全国協議会/古沢)、期限は2月25日(水)夜12時です。できれば所属や
参加団体などもお書き下さい。なくてもけっこうです。
今年の要請は、昨秋の〈第9回「慰安婦」問題アジア連帯会議〉で来日
したエスペランサ・アメリア・フェルナンデスさんの証言を核にしていま
す。エスペランサさんは諸会合において堂々と発言されましたが、自らの
経験については多くを語りませんでした。会議後のインタビューでも、何
度も「神様はすべてを知っているのだから自分が話す必要はない。話をす
ると怒りが戻ってくる。話をすると自分の唇が汚れる」と言いました。そ
ういう彼女が語ってくれた大事なことを外務省に伝えたいと思います。
また、最後の文章が「・・自らの責任において、被害者への謝罪と補償
を行なうように」となっているのは、この間日本政府が「東ティモールと
日本は両国の外交関係樹立時に未来志向でやっていくことに合意してお
り、これまで東ティモール政府は日本政府に何の要請もしていない」と主
張し、日本が何もしないことの理由にしてきたことに関連しています。
期限まで日数のないお願いで誠にすみません。どうかよろしくお願いし
ます。
古沢希代子(東京女子大学/東ティモール全国協議会)
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東ティモールの日本軍性奴隷制被害者に関する要請書
2009年2月20日をもって東ティモールは第二次大戦時の日本軍侵攻から67
年目を迎える。日本軍は全土でリウライ(伝統的な首長)や村長などに命じ
女性たちを差し出させ、駐屯地の周囲に「慰安所」を建設した。これは占領
政策の一環としての性奴隷制であり、非人道的な犯罪行為であった。この問
題に関する実態調査は、1975 年から同国を軍事占領したインドネシアの撤
退後(国連暫定行政期)に開始され、国家独立による正義ある解決が切望さ
れた。しかし、日本政府は今日に至るまで被害者救済のための何の手だても
講じようとしなかった。つまり、日本政府は敗戦から66年以上も当時のポル
トガル領ティモールに対する戦争責任を放置しており、その態度に私たちは
強く抗議する。
私たちはこれまで日本政府に対し様々な形で被害者の苦しみ伝えてきた
が、本要請書では、新たに判明した被害の様態を紹介する。それは昨年11月
に東京で開催された〈第9回「慰安婦」問題アジア連帯会議〉で来日したエ
スペランサ・アメリア・フェルナンデスさんに関するものである。エスペラ
ンサさんは東ティモール東部のウアトカラバウで日本軍将校に占有された
時、まだ生理もない少女だった。彼女の食糧(イモ類)は両親が運び、その
軍人とは食事を共にしたこともなかった。その軍人が話す日本語で彼女が憶
えているのは「コラッ」という言葉のみである。しかし戦後、彼女は「慰安
婦」にされた他の女性たちとともに復帰したポルトガル政庁によって日本軍
協力者として捕えられた。彼女はまずイリオマールで3ヶ月拘禁され、そこ
からラウテンとバウカウに連行されて取り調べを受けた。ラウテンでは飲み
水がなく、地面にたまった水を這いつくばって犬のようにすすった。泣けば
殴られた。結局彼女は日本軍から「服をもらっていなかった」ため放免され
たが、その屈辱に深く傷ついた。
東ティモールでは、2006年に被害者のエスメラルダ・ボエさんが、2007年
にはマルタ・アブ・ベレさんとクレメンティーナ・カルドゾさんが、そして
2008年にはマリアナ・デ・ソウザ・フレイタスさんが亡くなられた。みな日
本政府が彼女たちに目を向けることを待ち続けた。エスペランサさんは最後
にこう語った。「自分たちの性は馬や牛のように扱われた。兵士たちは自分
勝手に東ティモールに来たわけではない。国家が送ったのだ。だから国家が
始末をつ けなければならない」と。
私たちは、日本政府が昨年11月の国連人権委員会の勧告を受け入れ、一刻
も早く、自らの責任において、東ティモールの日本軍性奴隷制被害者に対し
て謝罪と補償を行なうことをここに要請する。
2009年2月20日
東ティモール全国協議会