はーちゃんの気晴らし日記

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父の事

2007年09月12日 | 回顧録
今日9月12日は、父の命日です。
父の命日にちなんで、今日は思いつくままに父の事を書きたいと思います。

父は女1人、男6人という7人兄弟の4番目。
家は名古屋で商いを営み、かなり裕福だったそうです。
父達は小学校へ通うのにお付きの人を引き連れて学校へ行ったとか。
へぇ~でした。
そんな話は父の口から聞いたことはありませんでした。
それを知ったのは、父が亡くなった火葬場でのことでした。

そんな風に順調に行っていた商売も父親が早くに亡くなったことから不調になり、一家揃って名古屋を引き払い、東京に出てきたそうです。

その後父に召集令状が来て、父は戦争に行きました。
まだ10代だったと思います。
父は中国大陸に渡り、そこで捕虜になったそうです。

鉄砲の弾が当たってそれが貫通したため、父の人差し指は、いつも曲がったままでした。
指の中に弾が残らなかったのが幸いしたそうです。
捕虜になっている間にマラリアにかかって生死を彷徨ったという話も聞きました。
戦争の話はあまりしたがらなかった父ですが、そんなことが私の印象に残っています。

こんなこともありました。
ある時、私がストーブのそばで爪を切っていると、突然怒り出しました。
聞けば、爪が燃える臭いは、人を焼く臭いと似ているとか。
戦争中、何人もの人が亡くなり、その死体を焼いた臭いを嗅いだそうです。
「その臭いを思い出すから、止めろ」
と言って、火のそばで爪を切ることを嫌いました。

戦争が終わり、日本へ帰ってきた父は、まもなく母と結婚しました。
どういう伝で母と結婚することになったのかは知りませんが、結婚の話があり、母と会い、結婚式で会ったのが2回目だったそうです。
昔は、結婚式で初めて相手の顔を見たということも稀ではなかったようなので、私の父母の結婚もそんな感じだったのだろうと思います。

父は男性としては、かなり小柄。
母は当時の女性としては、大柄でした。
よく大女と言われたそうです。
なので、まさに二人は蚤の夫婦でした。
父が言うには、自分が小さいので、大きな女性が良いと思ったそうです。
結婚式の時は、父があまりに小さく見えるので、母にあわせるために、座布団を何枚も重ねて写真を撮ったと言っていました。

父は、母と結婚して東京を離れ、埼玉の母の実家のすぐ近くに住みました。
私も弟もそこで生まれました。
私が物心ついたころは、両親は皮製の時計のバンドを作っていました。
それがうまく行ったのだと思います。
仕事も順調で、一家は埼玉を引き払い、東京に出て家を建てました。
私が6歳の時でした。

仕事はどんどん順調になり、羽振りも良くなりました。
工場も大きくなり、当時集団就職で出てきた男の子達が我が家で住み込みで働くようになりました。
パートさんもたくさん通ってくるようになりました。
私が18歳の頃までのことです。

その後、皮製の時計のバンドは徐々に需要が減り、仕事も少なくなり、住み込みの人たちもそれぞれ自分の実家に戻り、パートさんも徐々に減っていきました。
再び、父と母と二人だけで細々と工場をやり、父がアルツハイマーで仕事ができなくなるまで、そんな生活をしていたようです。

父は、かなり亭主関白でした。
母に言わせると、
「お父さんは外面ばかり良くて、私をかばうとか私に優しくするということはなかった。」
と言います。

でも、父に対する見方を変えるような出来事がありました。
父の兄弟は、毎年お正月になると長男の家に集まります。
兄弟・いとこ一家が全員集まり、宴会が始まります。

私が結婚して、そのお正月の集まりに顔を出さなくなった頃のことです。
その席で、父の一番上の兄が、母に対して何か意地の悪いことを言ったそうです。
母は、情けなくて涙が出てきてしまったとか。
いつもなら、
「みっともない。何泣いているんだ!」
と逆に母を叱責するような父でしたが、その時は、母に
「どうしたんだ?」
と言い、母は何も言わずに、ただ
「家に帰りたい。」
とだけ言ったそうです。

すると父は、自分の兄に向かって
「オレの女房に何を言ったんだ!」
と胸倉を掴んで、殴りかかったそうです。
いつも兄には黙って従い、どうかすると母より兄弟を大事にしているかのように思えた父でしたが、初めて自分をかばってくれた父に対して、母は見直したと言っていました。
私も、後からその話を母から聞き、あの父がそんなことをしたなんて驚きました。
長年連れ添った者同士ですから、父は上手に自分を表現できなかっただけで、母の事をなおざりにしていたわけではなかったろうと思います。

父が大嫌いだったものが、カマキリです。
あの姿がたまらなく嫌なんだそうです。
子供の頃、弟がカマキリをわざと持ってきて父に見せたことがありますが、その時の怒りようは半端ではありませんでした。
子供のする事だからと受け流す余裕すらなかったようです。
そんなことがあったので、今でもカマキリを見ると父を思い出します。

とりとめもなく書きましたが、父の事を書けばキリがなく、まだまだいろいろエピソードはあるのですが、長くなるのでこのくらいにしたいと思います。


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