吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

韓国旅の風景 一韓国旅の風景

2006年05月01日 08時20分11秒 | Weblog
韓国旅の風景

 初めての大地
 若い頃から美術的関心があり、特に李氏朝鮮王朝時代のやきものを生んだ韓国の大地を何時の日か踏んでこの肌でそれを確かめようといつも書棚の上に置いて眺めていた李朝の小さな染付け草花文の塩壷を撫でながら機会をうかがっていた。
 昭和四十年にチヤンスが訪れた矢先、妻に死なれてその機会を失った。
 勤めていた商社をやめて十年の才月がすぎたある日、念願の韓国旅が実現した。
 小学校五年生の時(昭和十一年)学んだ『朝鮮の田舎』と題した国語読本で挿絵のオンドルの煙がたちのぼる朝鮮の田舎風景に魅せられて子供心に冬の朝鮮の農村をみたくなったのはなぜなんだろう。
 ひとめでその風景の暖かさ、のどかさ、旅愁のような気持ち…多分、幼少の頃から母とともに旅した思い出のイモーションとして自分の胸のそこにすみっぃたのだろう。
 オンドルは今もあるに違いない…それは冬の季節に限る。
 こうして始めての海外旅として大韓航空、大阪発、金浦行きに乗った。
 真冬とはいえ、高度八千米から見た日本の大地と韓国のそれでははっきり区別がついた。 日本海から朝鮮半島にはいった途端、凍てついた江原道(カンウントウ)の山並みの夢にまで見た韓国の大地が広がっていた。
 空港について巨大な建物を目にした途端…古い朝鮮の美があった!と感動的なつぶやきが出た。
 装飾の少ない空港建物の屋根の反った曲線はまさしく朝鮮の民族性の美を象徴するものだった。
 入国審査の窓口に並ぶ日本人観光客は二月の厳寒のせいもあって疎らだった。
…チョウンヨーヘン…審査官はそうつぶやいた。

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5 コメント

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両班 (梨場)
2006-05-02 08:05:35
伯父さん、こんにちは。

ご無沙汰してます。

さて、今ちょっとソウルの思い出を書いているのですが、両班を揶揄かった庶民の言葉をまた教えてもらえればと思っています。

中央博物館で買ってきた案内書の中に

両班の木で出来た面があります。

北海道の伯母さんの家の鴨居にかかっていた能の般若の面と若女の面

同じ面なのに両班は笑えるのに

能面は恐ろしい記憶しかありません。

これも韓国の人の諧謔性なのでしょうか?
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初めまして。 (ヒロナ)
2006-05-02 16:28:16
いつも楽しく拝見しております。ちょっと難しいなと感じるところも、勉強になるのでゆっくりと読み返したりしています。これからも時々お邪魔します。ブログ頑張ってください。
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Unknown (吉松」ひろむ)
2006-05-02 17:39:05
韓国人にとって両班ほど老若男女のすべてにそれぞれの思いを抱かせる制度はありませんもとは高麗時代の骨品〔コルピン)制から踏襲したもの。第一骨、第二骨,第三骨と三階級制度でしたが、いずれも貴族、庶民,と分けられました。一三九二年に儒教を国教とした李氏朝鮮王朝は両班に始まリ、両班に終わるといっても過言でない。両班が持つ権力と国家のエリートの誇りの反面、両班ならではの失敗と庶民の揶揄は五百年も続くのは世界史でも特記すべきことといえます。両班は常に悠々としなければいけない。咳は我慢して痰は飲みこむこと、、、庶民から見て確かに両班は出自も名門だし科挙試験も突破した秀才だがいわば難しい漢字、漢詩をマスターしただけでないか,、、フン、、それがどうした!と庶民は揶揄したいのである。両班がどうしたというんだ。結局,党派の争いに終始しただけで庶民にとって何の利益にもならんではないか、それは仮面劇に現れ、揶揄の仮面に表現されるのである。 











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Unknown (吉松ひろむ)
2006-05-02 17:57:52
ヒロナさん、コメントありがとうございます。高麗文化とやきものについて私の独自の調査結果を少しずつ発表nしますのでよろしくお願いいたします。
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Unknown (吉松ひろむ)
2006-05-02 18:00:46
ヒロナさん。歴史認識はとても難しいと思います。どうしても史観をしっかりしておかないと歴史認識があやふやになってきます。私の専門はやきものですので、日本人の美意識から見る韓国人の美意識との異なりを知る上にたってわび茶碗を論じなければなりません。国宝の喜左エ門井戸について重要な考えをもっていますが発表を控えてます。

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