吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

プルコギ礼賛

2005年06月17日 13時30分42秒 | Weblog
プルコギ礼賛

 ここ暫く堅い話がつづいたので今日は食べ物の話をする。
 韓国と言えばキムチにプルコギにビビンパと来る筈である。。
 しかしプルコギは何時頃からどこで始まったのか?なにっ!決まってるだろう…十人が十人そう答えるだろう。
 始めの頃(一九八〇年頃)ソウルの朝鮮ホテル近くの繁華街を歩きながらプルコギ店をさがしたがなかなか見つからず、ふと巡回の警察官に訊ね…若い警察官は、案内します…と言って歩きだしたのでついて行くと、ある店を指差した。広いガラス越しの調理台に牛肉が三十キロほど見え、コックが包丁をさばいている。二階へ上がって暫くすると、大きな皿に肉と野菜の山盛りを運んできた。まんなかが山になった鉄板を乗せたコンロにガスが点火され、私は箸をとってプル加減を確かめつつ真露片手にはじめてのプルコギを楽しんだ。ソウルに来る度にその店の常連みたいになった。綺麗な娘 (アガシ)が愛想よく、たちまちなくなるキムチをハサミでちよっきんちょっきんと大皿に落としてくれる。
 ある年、新しく友人になった陶芸家と南大門の食堂が集まった路地に足を向けるとたまらない匂いがしてきた。ふと見ると厳めしい木の門のある食堂がその匂いのもとだった。
 がやがやする人声はほとんど韓国の婦人逹である。
 この店の肉はいつもの店と違ってなにかに漬けこんだ感じだし、スープに小さな沢蟹もついてくる。じゅくじゅく焼けたのを口にほうり込んで驚いた。こんなに美味しいプルコギははじめてだった。 そして…特別にサービスと言ってポットに入れたスープを鉄板に流してくれた。コチュジャンも辛味は強いが豊潤な味で麦飯によくあった。聞けば牛一頭からやっとポットひとつ分しかとれない貴重なものと言う。以来、その店はソウルにくる度にかならず一度は寄る店となった。さてプルコギの発祥地はなんと日本であった。えっ!と驚くのは早合点だ。戦前、戦後在日朝鮮人が場から廃棄されるような内蔵の胃や腸などを仕入れてそれを調理して売ったのがプルコギの始まりで彼等が帰国して始めたと友人が話してくれた。
 私にも戦後まもなくの頃、東京近くのK市の場末でドブロクと朝鮮料理を食べた思い出がある。

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