吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

よきものの大地 三

2005年12月18日 08時57分04秒 | Weblog
やきものの大地 三

 初めての利川窯旅である。
 京幾道、利川郡は李氏朝鮮王朝の昔から良き陶土にめぐまれ、高麗王朝時代に焼かれた翡色青磁の伝承から、粉青(プンチョン…日本では三島)や白磁、青華白磁(日本の染付け)などが盛んに焼かれた。朝鮮陶磁を大別すると磁器所と陶器所に分かれ、その数はおよそ半分とみてよいだろう。それも分院が多いのは、朝鮮王朝のやきものは日本とことなり、官窯として保護奨励され、一般庶民の食器は白磁盒と真鍮を使った。
 真鍮の盒は端が内側に反って蓋がついているので飯がさめない。白磁盒も高台が大きく、匙(スゥッカラ)を右手(左は不浄の手)ですくっても盒がたおれたりしない。
 ご飯は麦飯(ポリパップ)だがこれは韓国のどこの家庭でもそうである。
 かって奈良(韓国語で国の意味)平安時代に日本の貴族逹も匙を使用していたが、日本の湿度の高い気候で金属の錆が生じて次第に廃れていったが韓国は今も食事に匙と箸(チォッカラ)を使っている。それも右手で箸と匙を交互につかうので音がかしましい。 しかも小皿(チョプシ)にキムチを始め、佃煮、岩海苔、焼き魚、みそ汁などなど具が多いので膳の足が曲がるほど…と大袈裟な表現が生まれる。
 具の種類が多いといっても、いわゆる薬膳料理と言って良いほど栄養のバランスがよいのは李朝の昔から伝統としてつづいているのだ。
 高麗仏教文化から李朝の儒教文化に変貌て、茶栽培に重税を果していらい、喫茶の習慣が次第に廃れ、老人のための薬酒としてマッコリルなどが盛んにのまれるようになり、茶の代わりに李朝の人々はご飯のお焦に湯を注いで飲む習慣が生まれた。それはスンニョンと言うが、現代では釜でご飯を炊くのは電化によってみられなくなり、同じ茶色の麦茶で代用するようになった。
 儒教の祭器として発達した白磁は李朝文化のシンボルと言ってよい。
 しかし白磁の美の誕生は日本では明治になってからだった。