吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

やきものの大地 二

2005年12月17日 10時44分56秒 | Weblog
やきものの大地 二

 韓国の大地と日本のそれとは飛行機から見下ろした光景ではっきりとその違いを知ることができる。私は韓国のやきものの土、胎土をみるにつけいつもなるほどと合点するのだ。 具体的に国土全体の眼に映る自然を比べてみよう。
 私は百数十回に及ぶ韓国旅の前半は成田から、後半は仙台からのフライトだが、いずれのコースにしても、島根、鳥取上空から日本海にでて二十分もすれば韓国の大地が見えてくる。緑の多い日本上空から岩石の多い韓国大地の上空に達したのがひとめで分かる。
 私は本能的と言ってよいほど…なるほど…と合点したのだった。
 山口県の萩焼きは秀吉の朝鮮侵略によって拉致された陶工、李敬、李勺光の兄弟が毛利氏の命を受け、松本萩と深川萩の開窯となるが、これも最初からそうなったわけではない。二人の陶工は領内をくまなくよい土を求めて踏査し、各地で焼き物の試し焼きをくりかえし のである。
 条件として母国のような、耐火性、粘着性に富んだ胎土を見つけるまでの労苦は大変だったがついに日本一と言われる萩土の発見となる。世間で言う古萩を大きく二つに分けるとすれば、毛利藩で焼かせた初期の萩、そして江戸時代に発見された大道萩土による茶碗類となるだろう。それはさておいて、高度、一万米の上空から見下ろした大地が韓国で異質にみえるのは、岩石の風化による韓国の土がやきものにもっともよい自然の胎土に数万年もかけて変化してるのがおおよそ分かる。
 はじめて、上空からその光景を見た時…これだ!…と私は独り言をつぶやいた。
 日本は焼き物革命を歴史的に二度、経験している。最初は百濟土器(高火度焼成)技法の招来で焼かれた、須恵器である。この技法によるやきもの技術(ロクロ、築窯)は次第に北上して東北南部にまで達して、いまも各地に古窯の痕跡をみることができる。
 須恵器は約、七百年以上も続いてその伝統を今に残して、能登半島の州珠焼を始め備前、越前、瀬戸、常滑、信楽、丹波と存在している。