吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

カウライ男の随想 四十

2005年12月01日 13時35分20秒 | Weblog
カウライ男の随想 四十

 夏目漱石って胃が悪かったのですね!それでいらいらして書いた小説もあるんでしょう…生半可な読み方をしていた私は勝手な想像をしていたが、まさに噴飯ものの批評ぶりだ。
…結局。芸術の世界が最高と言いたかったんでしょう!…これはU先生のかんがえかた。
…情にはだれでもほだされるわ…とK先生。
…住み憎い世の中って厭世哲学にあったよ…それがこうじて我が身を切り刻むギリシャ哲学の本を読んだよ…とこれはわたしの発言。 とにかくもう一度、ハイケンスを聞きましょう。
 そんな職員室の雰囲気が毎日続いた。
 U先生の妹は女子医専志望で府立九女の優等生でS大尽家の娘も同級である。
 わたしは時々数学問題の解答を教えただけだった。
 どうしても上を狙うのならもう一段のレベルが必要だったが次郎の教師は頼まれて成績をあげたが娘は頼まれたわけでもないので…たまにそんなことがあっただけである。
 受け持ちの生徒で府立農林を志望してるのが三人いた。
 やはり四国の西峰と違って奥多摩の山村とは言え、林業を営む家の生徒は裕福な家庭なので進学するのである。
 奥多摩では唯一の中等学校なので希望者も多く競争率も厳しかったので特別学習時間をもうけた。
 父兄も心配と見えて、時々、学校へ届け物をしてくれる。そのほとんどが食糧品だった。
 四国の落人のドブロク攻めには縁がなかったがなにしろ食べ盛りの十八才…自炊生活に大助かりだった。
 神戸商大のO君も食糧には苦労してる…西峰を思うとあの頃は天国だった…との手紙がきた。