2008年もあと2日となりました。金融危機、地球温暖化の危機、そして相変わらず平和の危機が進行する中で、日本では少なくとも戦火の中での年越しになっていないことに感謝しなければならないと思います。
パレスチナガザ地区では、しばしの停戦が終わりを告げ、イスラエルによる激しい砲火のなかで、連日100人を超える人々の命が奪われる中での年越しとなっています。停戦を壊したのが、パレスチナのハマス側なのかイスラエル側なのか・・、これは小さな突発事故や意図的作戦やいろいろな背景があり、簡単に決めつけることはできません。はっきりしていることは、この戦闘開始で民間人、女性や子供が殺されていることです。川中島の合戦のように。原野の中で軍隊と軍隊が激突するような戦闘なら、勝手にやってなさいと言えるかもしれません。現代の戦闘は、空爆、ミサイルなどの空中戦で、見境なく都市を狙って飛んでくるのです。そこには必ず一般人がいます。でもイスラエル側の発言のように「大部分はハマスであり、正当な攻撃だ」と、大部分という言葉で正当化されるような感覚になってきています。
攻撃の仕方じたいが、一般人巻き込みを前提にするものとなりつつあります。
ハマス側の攻撃もロケット弾で、イスラエル側の誰に当たるかわからないが、ともかく打ち込めという非人道的感覚のものになっています。
一つ一つの命の存在や、その背景にある人生ドラマや家族や隣人や仕事や、そういう一切のものを大切にしない、いわば切り捨てたところで成り立っています。
ハマスのロケット弾に当たる人が、イスラエル側で和平努力に尽力している人かもしれない。それでも構うもんか、という乱暴な、いわば自暴自棄な考え方になっています。
圧倒的に強い軍事力を持つイスラエル側が、こういうときは自制し、和平を守ろうとすべきなのでしょうが、現実には「待ってました」とばかり、一撃に百撃のような返し方をしています。ここぞとばかり、ハマスの壊滅を狙っているようで、まさに謀ったのではと推測させる動き方です。
ここでもガザ地区に暮らす一人一人の命の存在は切り捨てられています。
さて日本では、戦火はありませんが、この年末に仕事だけでなく住むところまで失う人たちが続出しています。
金融危機に端を発した世界同時不況の結果、ついこの間まで空前の好況を謳歌していた日本企業が一斉に「派遣切り」を開始し、結果として、その雇用形態が社会保険も住居もときに最低賃金すらも補償していないものだというものが明らかになりました。
何百人、何千人もが、契約打ち切り=解雇と一緒に社宅を追い出されるが、しかし、その人たちを受け入れるセーフティネットは何もない。ここにも、一人一人の命の存在は切り捨てられ、いつの間にか、とてつもなく殺伐とした国に日本はなっていたことに気づかされるのです。
まだ若くて体力もある、こんな何千人何万人の人たちが、かりに自暴自棄になって、豊かな者への攻撃や商店の略奪や公共施設の破壊や、などなどに走ったらどうなるのでしょう。
日本の国民性は穏やかで、幸いにそういうことにはなっていませんが、海外では実際に「暴動」の情報も伝わってきます。
その殺伐な時代にあって、リストラと派遣切りを繰り返す企業側の「剰余金」は空前の規模になっているとも報道されています。リストラをしなくても余力はあるのに、その余力を維持するために「人を切る」。
この経営者たちはお金の使い方を知らないのだろうと思います。
派遣労働者を追い出した社宅に新たに入る人はいるか?いません。
その住宅を提供していた会社は、意地悪なようで自分も収入を失う。
派遣切りは当然、派遣会社の経営も圧迫する。
収入の道を断たれた、あるいは激減した人たちは、生き抜くために最低限の消費しかしません。
当然に、デパートもスーパーもコンビニも、ものは売れなくなる。
旅行も娯楽もみんな冷え込む。
日本全体の経済を冷え込ませ、結果的にリストラをした会社もますますものは売れなくなる。
愚かな転落のスパイラルです。
こんな不況下だからこそ、住宅を提供し続け、雇用を確保し、年末年始の購買力を維持していれば、来年にむけて新たな希望と力の湧く新年をつくり出せたかもしれません。
どうして日本の経営者たちは、こんなにも頭が悪いのか。
いやいや、我が社だけがやっても効果はないよ・・、という声が飛んでくるかもしれません。
だからこそ、経団連や日経連があるのではなかったかと思います。
政府が指導力を発揮するという言葉もあったのではなかったかと。
不況のように見えて、実は突然の円高で含み益ががっぽり入っているはずの企業もあります。
膨大な輸入企業の電力会社やガス会社です。
少なくとも来年1月からの値上げなどする必要もないはず。
それを黙って苦しそうな顔をしてみせながら、ちゃっかり懐にしまい込む。
本当にこの国の企業モラルは地に落ちていると思います。
年の瀬に、ウーム、怒りのブログになってしまいました。
パレスチナガザ地区では、しばしの停戦が終わりを告げ、イスラエルによる激しい砲火のなかで、連日100人を超える人々の命が奪われる中での年越しとなっています。停戦を壊したのが、パレスチナのハマス側なのかイスラエル側なのか・・、これは小さな突発事故や意図的作戦やいろいろな背景があり、簡単に決めつけることはできません。はっきりしていることは、この戦闘開始で民間人、女性や子供が殺されていることです。川中島の合戦のように。原野の中で軍隊と軍隊が激突するような戦闘なら、勝手にやってなさいと言えるかもしれません。現代の戦闘は、空爆、ミサイルなどの空中戦で、見境なく都市を狙って飛んでくるのです。そこには必ず一般人がいます。でもイスラエル側の発言のように「大部分はハマスであり、正当な攻撃だ」と、大部分という言葉で正当化されるような感覚になってきています。
攻撃の仕方じたいが、一般人巻き込みを前提にするものとなりつつあります。
ハマス側の攻撃もロケット弾で、イスラエル側の誰に当たるかわからないが、ともかく打ち込めという非人道的感覚のものになっています。
一つ一つの命の存在や、その背景にある人生ドラマや家族や隣人や仕事や、そういう一切のものを大切にしない、いわば切り捨てたところで成り立っています。
ハマスのロケット弾に当たる人が、イスラエル側で和平努力に尽力している人かもしれない。それでも構うもんか、という乱暴な、いわば自暴自棄な考え方になっています。
圧倒的に強い軍事力を持つイスラエル側が、こういうときは自制し、和平を守ろうとすべきなのでしょうが、現実には「待ってました」とばかり、一撃に百撃のような返し方をしています。ここぞとばかり、ハマスの壊滅を狙っているようで、まさに謀ったのではと推測させる動き方です。
ここでもガザ地区に暮らす一人一人の命の存在は切り捨てられています。
さて日本では、戦火はありませんが、この年末に仕事だけでなく住むところまで失う人たちが続出しています。
金融危機に端を発した世界同時不況の結果、ついこの間まで空前の好況を謳歌していた日本企業が一斉に「派遣切り」を開始し、結果として、その雇用形態が社会保険も住居もときに最低賃金すらも補償していないものだというものが明らかになりました。
何百人、何千人もが、契約打ち切り=解雇と一緒に社宅を追い出されるが、しかし、その人たちを受け入れるセーフティネットは何もない。ここにも、一人一人の命の存在は切り捨てられ、いつの間にか、とてつもなく殺伐とした国に日本はなっていたことに気づかされるのです。
まだ若くて体力もある、こんな何千人何万人の人たちが、かりに自暴自棄になって、豊かな者への攻撃や商店の略奪や公共施設の破壊や、などなどに走ったらどうなるのでしょう。
日本の国民性は穏やかで、幸いにそういうことにはなっていませんが、海外では実際に「暴動」の情報も伝わってきます。
その殺伐な時代にあって、リストラと派遣切りを繰り返す企業側の「剰余金」は空前の規模になっているとも報道されています。リストラをしなくても余力はあるのに、その余力を維持するために「人を切る」。
この経営者たちはお金の使い方を知らないのだろうと思います。
派遣労働者を追い出した社宅に新たに入る人はいるか?いません。
その住宅を提供していた会社は、意地悪なようで自分も収入を失う。
派遣切りは当然、派遣会社の経営も圧迫する。
収入の道を断たれた、あるいは激減した人たちは、生き抜くために最低限の消費しかしません。
当然に、デパートもスーパーもコンビニも、ものは売れなくなる。
旅行も娯楽もみんな冷え込む。
日本全体の経済を冷え込ませ、結果的にリストラをした会社もますますものは売れなくなる。
愚かな転落のスパイラルです。
こんな不況下だからこそ、住宅を提供し続け、雇用を確保し、年末年始の購買力を維持していれば、来年にむけて新たな希望と力の湧く新年をつくり出せたかもしれません。
どうして日本の経営者たちは、こんなにも頭が悪いのか。
いやいや、我が社だけがやっても効果はないよ・・、という声が飛んでくるかもしれません。
だからこそ、経団連や日経連があるのではなかったかと思います。
政府が指導力を発揮するという言葉もあったのではなかったかと。
不況のように見えて、実は突然の円高で含み益ががっぽり入っているはずの企業もあります。
膨大な輸入企業の電力会社やガス会社です。
少なくとも来年1月からの値上げなどする必要もないはず。
それを黙って苦しそうな顔をしてみせながら、ちゃっかり懐にしまい込む。
本当にこの国の企業モラルは地に落ちていると思います。
年の瀬に、ウーム、怒りのブログになってしまいました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます