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正岡容の小説圓朝

2011-06-19 23:01:14 | Weblog
1943年というから昭和18年に出版されたものの文庫版として2005年河出文庫のもの。これを読む。
序を引く
「夕月淡く柳がくれの招き行燈(あんどん)に飛ぶ禽(とり)落とす三遊亭圓朝が一枚看板、八丁荒しの大御所とて、焉(いづく)んぞ沙彌(しゃみ)より長老たり得べけむや。あわれ年少未熟の日の、八十八阪(さか)九十九折(つづらおれ)、木の根岩角躓(つまづ)き倒れ、傷つきてはまた起ち上がり、起ち上がりてはまた傷つき、倦まず弛まず泣血辛酸、かくして玉の緒も絶え絶えに、出世の大本城へは辿り着きしものなるべし。即ち作者は圓朝若き日のその悶々の姿をば、些(いささ)か写し出さむと試みたり。拙筆、果たしてよくその大任を為し了せたるや否や。看官(みるひと)、深く咎め給わざらむことを。
梨の花青し  圓朝の墓どころ」と。
江戸時代の絵草子のような文体である、ひさびさに触れたが、この序いわば「はじめに」にあたるか、の文章でこの小説の大意を尽くしている。
圓朝幼年期から明治維新の時までを括る。平岩弓枝の「御宿かわせみ」でいうなら麻太郎とほぼ同年代だろうか。彼の苦労を書いている。
言わずと知れた圓朝、昭和の落語界隆盛の元となった名人、いまの落語のほとんど原型をつくったといっていい、その圓朝である。これを読んだ。いい。鴎外、藤村とまた違った味わいで、ときどき作者が見え隠れするのがいい。なんと坪内逍遥を「春のやおぼろ」などを知るや、驚き。

正岡容なるを知らなかったが小沢昭一の師匠、桂米朝も師事した小説家らしい。どうりで芸事に造詣が深いわけだ。
コメント
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